エフレーモフ(Ivan Antonovich Efremov)
えふれーもふ
Иван Антонович Ефремов/Ivan Antonovich Efremov
(1907―1972)
ソ連の古生物学者、SF作家。ゴビ砂漠の恐竜の発掘者としても著名。第二次世界大戦で中断されたソ連SFがリバイバルするに際して、1950年代から1960年代にかけて指導的役割を果たした。最初のSF短編集『五つのポイント』を1944年に刊行。中編『星の船』(1949)を経て、1957年には代表作『アンドロメダ星雲』を発表した。これは、英米作家が好んで描くペシミスティックな未来小説に対するアンチテーゼとして執筆されたユートピア小説であり、マルクス主義の立場から空想と科学の関係を弁証法的にとらえるというSF論を実践した作品である。続編にあたる『蛇座の心臓』(1959)、『丑(うし)の刻』(1969)など、人間理性の賛歌ともいうべき楽天的なSFのほかに、実験的な歴史ファンタジー『アレクサンドロスの王冠』(原題『かみそりの刃』、1963)がある。
[厚木 淳]
『飯田規和訳『世界SF全集22 エフレーモフ』(1969・早川書房)』
エフレーモフ(Oleg Nikolaevich Efremov)
えふれーもふ
Олег Николаевич Ефремов/Oleg Nikolaevich Efremov
(1927―2000)
ロシアの俳優、演出家。1949年モスクワ芸術座演劇学校を卒業。同校で教鞭(きょうべん)をとるかたわら中央児童劇場で俳優、演出家として働く。58年サブレメンニク(現代人)劇場を創立、1960年代には演劇界の「雪どけ派」の第一人者として活躍し、また映画俳優としても人気を集める。ローゾフの『永遠に生きるもの』(1957)、シュワルツの『裸の王様』(1960)など、鋭い時代感覚と若々しいリリシズムで注目された。70年にモスクワ芸術座の主任演出家に迎えられ、同劇場を名実ともに刷新する。『ワーニァ伯父さん』(1985)、『イワーノフ』(1986)、『三人姉妹』(1997)などチェーホフの現代的解釈の演出をおもに行う。「ペレストロイカ」(建て直し)「グラスノスチ」(公開性)の先導役として活躍し、89年に二つに分裂したモスクワ芸術座の一つ「チェーホフ記念モスクワ芸術座」の主任演出家になった。
[中本信幸]
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エフレーモフ
Ivan Antonovich Efremov
生没年:1907-72
ソ連邦のSF作家。元来は古生物学者で,ゴビ砂漠の探検隊長なども務めた。病気のために研究の第一線を退き,SF小説を書き始める。最初の作品集《五つのポイント》(1944)で彼は,自分の科学的仮説を短編の形で表現しようとした。代表作は紀元3000年代の人類社会を描いた壮大なユートピア小説《アンドロメダ星雲》(1957)であり,これによって彼はソビエトSF界の第一人者となった。その他のおもな作品としては《星の船》(1947),《蛇座の心臓》(1959),《かみそりの刃》(1963),《丑の刻》(1969)などがある。
執筆者:沼野 充義
エフレーモフ
Oleg Nikolaevich Efremov
生没年:1927-2000
ロシアの演出家,俳優。1949年にモスクワ芸術座演劇学校を卒業,同校で教鞭をとりながら俳優・演出家として働く。57年に若手俳優や弟子をひきいてソブレメンニク(現代人劇場)を創立し,演劇界の〈雪どけ〉派の第一人者として活躍。70年,若返りをはかるモスクワ芸術座の主任演出家に迎えられ,斬新な演出と演技で注目を集め,大胆に外部の演出家や俳優を招いて,同劇場を名実ともに刷新した。
執筆者:中本 信幸
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エフレーモフ
Efremov, Oleg Nikolaevich
[生]1927.10.1. モスクワ
[没]2000.5.24. モスクワ
ロシアの演出家。モスクワ芸術座付属の演劇学校を卒業後,1957年「青年俳優研究劇場」を結成,翌年「サブレメンニク (現代人劇場) 」と改称,ローゾフの『とわに生きるもの』などを上演して,形骸化したスタニスラフスキーの理想をよみがえらせた。 71年モスクワ芸術座の首席演出家,87年芸術監督に就任,斬新な演出で注目を集めた。
エフレーモフ
Efremov
ロシア西部,トゥーラ州の都市。州都トゥーラの南南東約 120km,ドン川支流クラシーバヤメチャ川にのぞむ。 17世紀後半建設された要塞を中心に発展した町で,現在,合成ゴム,食品 (チーズ,野菜缶詰,食肉) などの工業がある。トゥーラとエレツを結ぶ鉄道が通る。人口約5万 5000。
エフレーモフ
Efremov, Ivan Antonovich
[生]1907.4.22.
[没]1972
ソ連の SF作家,古生物学者。科学者としてのすぐれた知識を文学作品に開花。『人間の世界』 Lezvie britvy (1963) などで広く知られる。
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「エフレーモフ」の意味・わかりやすい解説
エフレーモフ
ロシアの俳優・演出家。モスクワ生れ。モスクワ芸術座演劇学校卒業。改革派文化人で,同校で教鞭をとるかたわら俳優・演出家として活動した。1957年に弟子や若手俳優を率いてソブレメンニク(現代人劇場)を創立。1970年には若返りを図ろうとするモスクワ芸術座の主任演出家となる。チェーホフ作品などの斬新(ざんしん)な演出で知られた。
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世界大百科事典(旧版)内のエフレーモフの言及
【ラーダ】より
…戦前から存在したウクライナ知識人の組織〈ウクライナ進歩主義者協会〉を基礎に成立したこの中央ラーダは,事実上のウクライナ自治政府の役割を果たした。議長には歴史家[フルシェフスキー],副議長には作家のビンニチェンコV.K.Vinnichenkoと文学史家のエフレーモフがなった。中央ラーダはウクライナ自治を各分野で実現していったが,その過程でロシアの臨時政府と厳しく対立した。…
【SF】より
… ソビエト連邦では革命の前後にユートピア小説の名作ザミャーチンの《われら》(1924)やロケットの生みの親の一人といわれるチオルコフスキーの《月世界到着》(1920)など,さまざまなSFが書かれたが,《われら》は国内での刊行は認められず,ようやくイギリスで刊行されたものであり,ソ連では社会や科学技術の進歩に貢献する作品が歓迎された。そうした社会主義リアリズムSFともいうべきソ連SFの代表的な作家がI.A.エフレーモフで,結果的には彼の作品は黄金時代と呼ばれたころのアメリカSFと共通する面が多い。また大衆小説作家としてのベリャーエフの人気にはアメリカでのスペース・オペラの人気に共通するものがあり,ソ連時代のSFを代表するストルガツキー兄弟,ゴルG.S.Gor,ワルシャフスキーI.I.Varshavskiiといった作家たちの作品にはエフレーモフ的なものに対する批判の姿勢もうかがうことができるし,人間の内面性を扱うことで結果的に自由の問題をとり上げているものも多い。…
※「エフレーモフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」