日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュワルツ」の意味・わかりやすい解説
シュワルツ(Laurent Schwartz)
しゅわるつ
Laurent Schwartz
(1915―2002)
フランスの数学者。パリでアルザス出身のユダヤ人外科医を父として生まれた。母方の祖父はユダヤ教のラビ、伯父は数学者ジャック・アダマールで、義父は確率論のポール・レビーPaul Pierre Lévy(1886―1971)、親戚(しんせき)に「ドレフュス事件」で有名なアルフレッド・ドレフュスがいる。超関数の理論を構築し1950年にフィールズ賞を受ける。その業績は『超関数論』Théorie des distributions(1950~1951、邦訳『超函数の理論』)にまとめられ、その後の解析学に深い変革をもたらした。またラドン測度論を通じて、解析学と確率論の相互理解に貢献するなど、20世紀後半の解析学の中心人物となった。フランスの数学者集団「ブルバキ」のメンバーでもあった。学生時代にトロツキーの思想に共鳴、第二次世界大戦中はレジスタンスに参加した。知識人として、人権、民族自立問題に鋭い感覚をもち続け、アルジェリア戦争、ベトナム戦争、旧ソ連およびラテンアメリカにおける反体制知識人迫害に対し、抗議行動を展開した。ベトナム戦争に際し、戦争犯罪国際法廷をイギリスの数学者ラッセルやフランスの哲学者サルトルと開いたのはその一例である。チョウの採集・収集家としても有名で、兵役時代にも幼虫を飼育し、海外旅行には捕虫網を携えることを忘れなかった。パリ大学、エコール・ポリテクニク(理工科大学校)教授を歴任。1997年に大部の自伝『世紀と格闘した一数学者』Un mathématicien aux prises avec le siècleを出版。フランス科学アカデミー会員。
[山田俊雄]
『L・シュワルツ著、吉田耕作・渡辺二郎訳『物理数学の方法』(1966・岩波書店)』▽『岩村聯他訳『超函数の理論』原書第3版(1971・岩波書店)』▽『彌永健一訳『闘いの世紀を生きた数学者――ローラン・シュヴァルツ自伝』上下(2006・シュプリンガー・ジャパン)』▽『垣田高夫著『シュワルツ超関数入門』(1999・日本評論社)』▽『Un mathématicien aux prises avec le siècle(1997, Edition Odile Jacob, Paris)』
シュワルツ(Melvin Schwartz)
しゅわるつ
Melvin Schwartz
(1932―2006)
アメリカの物理学者。ニューヨークに生まれる。1949年にコロンビア大学に入学、卒業後も同大学にとどまり、1958年助教授、1960年準教授、1963年教授に昇格した。1966年にはスタンフォード大学教授に転じたが、1979年にはシリコンバレーにおいてコンピュータ・セキュリティ事業を扱うディジタル・パスウェーズ社の社長となった。さらに1991年にブルックヘブン国立研究所の高エネルギー・核物理学研究部門の副部長となった。
シュワルツは、コロンビア大学助教授であった1959年にπ(パイ)中間子の崩壊を利用してニュートリノ線(ニュートリノ・ビーム)をつくりだすアイデアを思いつき、1960年からブルックヘブン国立研究所において大学の同僚であるレーダーマン、シュタインバーガーと共同で研究を開始、そのための装置を製作した。そしてこの装置を稼動させ、μ(ミュー)粒子(ミューオン)と対をなすミューオン・ニュートリノを発見し、レプトン(軽粒子)の双極子構造を実証した。この業績により、シュワルツはレーダーマン、シュタインバーガーとともに1988年のノーベル物理学賞を受賞した。
[編集部 2018年8月21日]
シュワルツ(Hermann Amandus Schwarz)
しゅわるつ
Hermann Amandus Schwarz
(1843―1921)
ドイツの数学者。ハレ、チューリヒ、ゲッティンゲンの各大学教授を歴任した。解析学の基礎的な研究とその幾何学への応用に貢献した。多変数関数の微分に関する結果のほか、関数論における円内有界関数の評価、等角写像について交代法や鏡像の原理を創始した。楕円(だえん)関数や偏微分方程式の研究もある。また、等周問題や極小曲面に関する業績がみられる。
[小松勇作]
シュワルツ(Evgeniy L'vovich Shvarts)
しゅわるつ
Евгений Львович Шварц/Evgeniy L'vovich Shvarts
(1896―1958)
ソ連の劇作家。初め俳優として働き、やがて劇作に転じ、児童劇、人形劇で確固とした地位を占める。アンデルセン童話を素材にした寓話(ぐうわ)劇『裸の王様』(1934)、『赤ずきんちゃん』(1937)、『雪の女王』(1938)などがあり、とりわけ『ドラゴン』(1944)でナチズムを痛烈に批判しながら、スターリン体制を風刺した。シナリオも書いている。
[中本信幸]