コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

エリュアール エリュアールÉluard, Paul

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エリュアール
Éluard, Paul

[生]1895.12.14. パリ近郊サンドニ
[没]1952.11.18. シャラントンルポン
フランスの詩人。本名 Eugène Grindel。父は会計係,母はお針子。リセ (高等中学校) 在学中に肺結核にかかりスイスに転地,アポリネールやホイットマンに親しんだ。第1次世界大戦に従軍,反戦詩集『義務と不安』 Le Devoir et l'inquiétude (1917) を発表。戦後,ダダ,次いでシュルレアリスムの運動の主唱者の一人として『苦しみの都』 Capitale de la douleur (26) ,『愛・詩』L'Amour,la poésie (29) ,『豊かな目』 Les Yeux fertiles (36) ,『自然な流れ』 Cours naturel (38) など多くの詩集を発表。彼の詩は愛,夢,反抗を主要テーマにし,初めは孤独とメランコリーに彩られていたが,やがて広く人々と結びつこうとして力強い簡潔な詩風をとり,自由と人間愛を歌った。スペイン内乱以後政治に参与し,1942年共産党入党。第2次世界大戦中はレジスタンスの詩人として『詩と真実』 Poésie et vérité (42) などを発表。シュルレアリスム詩人のなかで最も音楽的な詩人といわれる。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

エリュアール

フランスの詩人。本名ウジェーヌ・グランデル。第1次大戦後ブルトンアラゴンらとダダ,次いでシュルレアリスムの運動に活躍,詩集《苦しみの都》(1926年),《豊かなひとみ》(1936年)等を発表,虚偽,貧困とたたかう情熱的詩風で人気を得た。
→関連項目プーランクマグリット

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

エリュアール【Paul Éluard】

1895‐1952
フランスの詩人。本名ウージェーヌ・グランデル。少年時代をサナトリウムで過ごし,厭戦気分の漂う抒情詩集《義務と不安》(1917)を発表した後,ブルトン,アラゴン,スーポーの主宰する《文学》誌に加わり,ダダ運動を経てシュルレアリスム運動の創立者の一人となった。この時期に語法とイメージは大胆に刷新されたが,持ちまえの平易明快な作風は終生変わらなかった。シュルレアリスム詩の傑作といわれる《苦悩の首都》(1926),《愛・詩》(1929),《直接の生》(1932)のほかに,ブルトンとの共著《処女懐胎》(1930)のような実験的作品もある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

エリュアール【Paul Eluard】

1895~1952) 〔本名 Eugène Grindel〕 フランスの詩人。シュールレアリストとして出発したのち、共産党に入党。第二次大戦中は、抵抗運動に参加。詩集「苦しみの都」「詩と真実」「途絶えざる歌」など。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エリュアール
えりゅあーる
Paul Eluard
(1895―1952)

フランスの詩人。本名ウージェーヌ・グランデル。12月14日パリ北郊サン・ドニに生まれる。少年期に肺結核にかかり、スイスで療養中にロシア娘ガラに出会い、のち結婚する。第一次世界大戦中は看護兵として戦争の惨禍を体験、反戦詩集『義務と不安』(1917)、『平和のための詩』(1918)を発表する。戦後はパリのダダ運動に参加、さらにブルトン、アラゴンらとともにシュルレアリスム運動の代表的詩人となる。『苦悩の首都』(1926)、『愛・詩』(1929)、『直接の生』(1932)などの詩集においては、生来の明快流麗な文体に大胆な実験的語法が加わり、平易な語句の意想外な組合せから驚くべき超現実的イメージが出現し、華麗なエロティシズムが脈動している。また、ブルトン、シャールとの共著『工事中徐行』(1930)、ブルトンとの共著『処女懐胎』(1930)がある。
 ガラと別れたあとは第二の妻ニュッシュを迎え(1934)、国際的シュルレアリスム運動の活動家として活躍、『肥沃(ひよく)な眼(め)』(1936)、『自由な手』(1937)、『自然な流れ』(1938)、『見せる』(1939)などの中期の秀作には、平明な言語により万人に親しみやすい作品を書こうとする配慮がみられる。ファシズム台頭、スペイン内乱を契機としてしだいに政治問題に関心を深め、1938年ブルトンらのグループと決別する。社会正義と同胞愛を詩の目的とみなす詩論『詩的証明』(1936)や詩集『ゲルニカの勝利』(1938)などの作品にはこの間のエリュアールの内的変化が反映している。第二次世界大戦中は対独抵抗運動に加わり、共産党に再入党。抵抗詩の傑作「自由」を含む『詩と真実1942』(1942)、『ドイツ軍駐屯地で』(1944)などは広く一般に愛唱された。晩年の代表作に『とだえざる詩』(1946~53)、『時は溢(あふ)れる』(1947)、『フェニックス』(1951)などがある。52年11月18日没。[田中淳一]
『嶋岡晨訳『エリュアール選集』全二巻(1972・飯塚書店) ▽安東次男訳『エリュアール詩集』(1969・思潮社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内のエリュアールの言及

【シュルレアリスム】より

…発端は1919年に彼とスーポーとが試みたいわゆる〈自動記述(オートマティスム)〉(《磁場》1920)にある。この実験の結果,思考の純粋かつ原初的な姿に触れうると信じた彼らは,アラゴン,エリュアールらとともに,その確信にもとづく新しい思想と運動の可能性を探りはじめた。20年からはツァラ,ピカビアらのパリ・ダダの運動に参加するが,他方,ペレ,デスノス,クルベル,エルンストらの詩人,画家を加えて,夢や催眠術,霊媒現象などの実地研究を行い,それらを通じて,理性の統御を受けないオートマティックな思考の存在を確認,これをかりに〈シュルレアリスム〉と名づける。…

【レジスタンス文学】より

…他方,42年4月に用紙統制委員会が発足し出版統制が一段と厳格化されたため,非合法出版物の刊行が盛んとなり,〈希望と拒否の文学〉が広く読まれはじめるのである。 非合法雑誌を代表するのは〈全国作家委員会〉の機関紙としてドクールJacques Decour(1910‐42),ポーランの手で42年9月創刊された《レットル・フランセーズ》であり,その他《ポエジー40》(年とともに41,42…と改称),エリュアールを中心とする《レテルネル・ルビュ》誌などがあったが,アルジェで刊行された《フォンテーヌ》誌,A.ベガンがスイスで出しはじめて50点を数えた〈カイエ・デュ・ローヌ叢書〉の果たした役割も見落としえない。また42年8月ベルコールVercors(1902‐91)の《海の沈黙》の刊行により開始された,ベルコール,レスキュールPierre de Lescure(1891‐1963),ポーランの〈深夜叢書〉は,アラゴン,F.モーリヤック,トリオレElsa Triolet(1896‐1970),カスーJean Cassou(1897‐1986),バンダ,ゲーノ,ジッドらの作品を作者を匿名として44冊世に送った。…

※「エリュアール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

エリュアールの関連キーワードタルデュー(Jean Tardieu)デイビッド・エメリイ ギャスコインマリー・クリスチーヌ ガニューシャール(René Char)北園克衛(きたそのかつえ)フランコ フォルティーニJ. マルスナック工事中、徐行せよルネ マグリットレジスタンス文学ルネ シャールフォルティーニ仕事を遅らせるギャスコインエルンスト安東 次男イエーシュクローロ深夜叢書リュルサ

今日のキーワード

俳句甲子園

1998年から松山市で開かれる全国高等学校俳句選手権大会。高校生が5人1組で句の優劣をディベートで競い合う。チームでの勝敗とは別に、個人の最優秀句も選ぶ。今年は過去最多の41都道府県から121校、15...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

エリュアールの関連情報