オタフンベチャシ跡(読み)おたふんべちやしあと

日本歴史地名大系 「オタフンベチャシ跡」の解説

オタフンベチャシ跡
おたふんべちやしあと

[現在地名]十勝郡浦幌町字直別

浦幌町の南東端、太平洋に面する半独立丘陵上に築かれた丘頂式チャシの典型例。太平洋に向かって半島状に延びる白糠しらぬか丘陵の先端部に所在し、標高は二七メートル。擂鉢を伏せたような小丘の肩部付近に頂上の平坦部を取囲むように周壕が築かれている。頂上の平坦部は二一×七メートルの隅丸長方形で、壕もそれに沿って構築されている。前近代の記録では幕府の侍医兼薬園総管の渋江長伯が一七九九年(寛政一一年)に東蝦夷地を旅した記録である「東遊奇勝」に「ヲトンベと云土山あり形重台をなす」とあるのが唯一で、その後のものには見当らない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「オタフンベチャシ跡」の解説

オタフンベチャシあと【オタフンベチャシ跡】


北海道十勝郡浦幌町直別にあるアイヌの砦(チャシ)跡。十勝支庁釧路支庁の境付近、白糠(しらぬか)丘陵にあり、16世紀から18世紀に構築されたものと考えられている。周囲を壕(ごう)(空堀)が囲み、平坦面は約21m×7mで「お供え餅形」の典型的な外観を呈する。1981年(昭和56)に国指定史跡となった。「チャシ」は柵、柵囲いを意味し、区画された祭祀談合の場が始まりで、後世、見張り台などの役目を果たすようになった。河川、海、湖沼などに臨む丘陵、段丘などに多く築造され、方形、半円状、土壇状のものが北海道全域に分布している。また、「オタ」「フンベ」は、それぞれ、砂、クジラを意味するアイヌ語で、かつて厚岸(あっけし)アイヌが砂で作ったクジラを囮(おとり)にして白糠アイヌを不意討ちにしたという伝承に由来する。現地は、十勝平原から釧路にかけて続く美しい海岸線が見渡せる丘陵地で、エゾカンゾウの原生花園が広がる。JR根室本線厚内駅から車で約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報