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オドンネル オドンネル O'Donnell, Calvagh

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オドンネル
オドンネル
O'Donnell, Calvagh

[生]?
[没]1566
北アイルランドのティルコネルの族長。 1548年父マナスにそむき,いったんはイングランドアイルランド総督の仲介で和解したが,55年父を捕え,その権力を奪って族長になった。 61年 S.オニールに急襲され捕えられたが,64年釈放され,66年エリザベス1世に支援を求めて領地を回復した直後に病没。

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オドンネル
オドンネル
O'Donnell, Cyril

[生]1900.12.9. ネブラスカリンカーン
アメリカの経営経済学者,経営コンサルタント。 1944年シカゴ大学で学位取得。この間インディアナポリス配給会社社長,マロリー会社のインダストリアルエンジニア,第6次戦時労働局の提訴委員会副議長,ウッド建設会社取締役会長,ド・ボール大学経済学部長を歴任。

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オドンネル
オドンネル
O'Donnell, Hugh Roe

[生]1572頃. アイルランド,ドニゴール
[没]1602.8.30. スペインシマンカス
アイルランドのアルスター地方ティルコネルの族長。マナス・オドンネルの孫。敵対関係にあったヒューオニールと同盟して対イングランド反乱(ティローンの反乱)に協力。1597年コンノートを占領し,1601年キンセールを包囲したイングランド軍をスペイン援軍とともに攻撃。

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オドンネル
オドンネル
O'Donnell, Leopoldo

[生]1809.1.12. サンタクルスデテネリフェ
[没]1867.11.6. ビアリッツ
スペインの軍人,政治家。第1次カルリスタ戦争イサベル2世の摂政マリア・クリスティナ支持者として頭角を現したが,進歩派の B.エスパルテロが内乱鎮圧の功労者として組閣すると摂政クリスティナとともにフランスに亡命 (1840) 。

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オドンネル
オドンネル
O'Donnell, Manus

[生]?
[没]1564
北アイルランドのティルコネルの族長。 1539年長年対立していたオニール家と和解し,協力してイングランドの支配に反抗したが敗北。 48年長子 C.オドンネルにそむかれ,55年その捕虜になり,族長の地位を奪われた。

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オドンネル
オドンネル
O'Donnell, Rory

[生]1575
[没]1608. ローマ
北アイルランドのティルコネルの族長。マナスの孫,ヒュー・ローの弟。 1602年兄の亡命後代って族長になり,翌年イングランドの新王ジェームズ1世からティルコネル伯に叙せられた。兄の志を継ぎ,H.オニールとともに民族の独立を画策したが,その秘密が漏れたため,07年身の危険を感じてオニールとともに亡命し,各地を転々としてローマで没した。

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世界大百科事典 第2版の解説

オドンネル【Leopoldo O’Donnell】

1809‐67
スペインの軍人,政治家。カルリスタ戦争,第1次モロッコ戦争での功績により貴族の称号を受けた。ナルバエス将軍とともにイサベル2世政権の支柱となり,自由主義的な立憲君主制を定着させようとした。1854年6月,プロヌンシアミエントを指揮し,エスパルテロ内閣の陸軍大臣となる。56‐57年,進歩派と穏健派に分裂していた自由主義陣営の融合をめざし,中間的党派自由主義連合を率いて内閣を組織。58‐63年,自由主義連合の繁栄時代を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オドンネル
おどんねる
Leopoldo O'Donnell
(1809―1867)

スペインの軍人、政治家。軍人を輩出する貴族の家系に生まれる。カルリスタ戦争マリア・クリスティナ側で戦い、その信任を得た。1840年に反エスパルテロのクーデターを試みて失敗し、マリア・クリスティナとともに亡命したが、1854年には反穏健派政府のクーデターに加わって成功し、進歩派のエスパルテロ政府の陸相となった。政治的に穏健派と進歩派との中間にあり、1856年クーデターによりエスパルテロを追放、1858年から1863年まで長期にわたって政権を握った。1859~1860年のアフリカ戦争をはじめ、幾たびかの外征を行う一方で、綿工業の発展、鉄道建設ブームによる好景気を利用して、比較的安定した政治を実現した。1865年にふたたび首相となるが、経済危機と進歩派、民主派、民衆などの運動激化に直面して翌年辞任、強硬策をとるナルバエスに政権を譲った。1867年11月5日、フランスのビアリッツで死去。[中塚次郎]

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世界大百科事典内のオドンネルの言及

【スペイン】より

… 44年から比較的安定していた穏健派政権も,50年代になると内部抗争により基盤が揺らぎ始めた。そして54年に鉄道敷設をめぐる不正事件が発覚すると,オドンネル将軍が政治の刷新を訴え,軍事クーデタを起こした。これに呼応して都市民衆も蜂起し,その結果54年には進歩派が政権に返り咲いたが,これも2年間の短命に終わった。…

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