コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

オルドス

3件 の用語解説(オルドスの意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

オルドス

中国,内モンゴル自治区南部,黄河の湾曲に囲まれた草原と砂丘の高原で,南は万里の長城に限られる。漢字では鄂爾多斯。中国人は河套(かとう)と呼ぶ。イフジュ(伊克昭)盟の大部分を占め,東部は雨量も多く,モンゴル人の遊牧地帯をなす。
→関連項目オルドス文化楡林

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

オルドス【Ordos】

中国の内モンゴル自治区南部のイフジュ(伊克昭)盟に属する地域。西,北,東を黄河によって囲まれ,南は万里の長城が境界となっている。黄河にとり囲まれた地域という意味で,中国人は河套(かとう)と称する。南が高く(1500m)北が低い(1000m)高原で,大部分が砂漠と草原の乾燥地帯である。16世紀(明代の中期)からモンゴル族オルドス部の遊牧地となったので,その名が生まれた。モンゴル高原の南延部をなしていて,古くから漢民族と北方遊牧民族との争奪地であった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オルドス
おるどす / 鄂爾多斯
Ordos

モンゴルの部族名、また地名。15世紀なかば、中国名で河套(かとう)(黄河の曲がった所の意)とよばれる地域にモンゴル民族が進出し、ここにチンギス・ハンの廟(びょう)(オルドとはモンゴル語で宮殿を意味する)を建てたことからその名がついた。オルドスは東、西、北を黄河に、南を長城に囲まれた地域で、中国の内モンゴル自治区の西部に位置する。全体が波状の地形をなし、標高1000~1300メートルの高原で、面積は約17万平方キロメートル。中央部はやや高く、岩石が露出している。乾燥地帯で、降水量は年平均200~500ミリメートルである。北東部から南西部にかけてステップが広がっているが、砂漠も多い。とくに北西部の庫布斉(クズープチ)砂漠、南部の毛烏素(モーウス)砂漠は規模が大きい。現在オルドスには、モンゴル族のほかに漢族、回族が居住し、牧畜が主たる産業であるが、また各地で農耕も行われている。
 オルドス部の名は15世紀後半から史書にみられるが、ダヤン・ハンのモンゴル統一後、いわゆる「六万戸」(左翼、右翼各3万戸)の一つに数えられ、その右翼部に所属した。16世紀前半、ダヤン・ハンの第3子バルス・ボラトが右翼部長(ジノン)となったが、その死後、オルドス部はバルス・ボラトの長子、グンビリク・メルゲン・ジノンに受け継がれた。モンゴルのハンはチンギス・ハンの廟の前で即位式をあげたので、オルドスは内モンゴルの文化の中心の一つともなった。1634年チャハル部のリンダン・ハンが青海地方で病死すると、オルドス部は他の内モンゴルの諸部とともに清(しん)朝に帰属した。オルドス部は初め6旗(ホシュン)に編成され、伊克昭(イフジュ)(大きな廟の意)盟の名を得た。その後1736年に1旗が増え、全部で7旗となり、清末に至った。現在は内モンゴル自治区のイフジュ盟となり、そのなかは1市、7旗に分かれている。また盟公署は東勝市に置かれている。[森川哲雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

オルドスの関連キーワード帰綏ゴビ砂漠ソロン寧夏回族自治区モンゴル文字内モンゴル自治区鄂爾多斯海拉爾包頭蒙疆

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

オルドスの関連情報