百科事典マイペディア 「オルフィスム」の意味・わかりやすい解説
オルフィスム
→関連項目ピカビア|ブラウエ・ライター
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1912年ごろからロベール・ドローネーを中心にして始められた一画風をいう。詩人アポリネールが、ギリシア神話の音楽神オルフェウスにちなんで命名した。ドローネーは自らキュビスムを取り入れながらも、その形体重視による色彩の排除という点に反発し、明るく豊潤な色彩を導入することを主張した。印象派や新印象派の明るい色彩を取り戻そうと、シュブルールの色彩論を学び、色彩の対照法を理論的に修得した彼は、イタリア未来派の影響も相まって、色彩と形体の組合せにダイナミックな運動感を導き入れ、画面に音楽的なリズムと旋律をもたらした。色彩の音楽的、詩的イメージを具体的対象から離れて純粋に追求したオルフィスムの絵画は、カンディンスキー、モンドリアンと並んで抽象絵画の出発点ともなった。ドローネーのほかにはフェルナン・レジェ、フランシス・ピカビア、デュシャン、デュシャン・ビヨンらの名があげられる。
[千葉成夫]
… こうして世紀末から世紀の変り目にかけて準備されていた下地の上に,抽象芸術は第1次大戦前後の時期にさまざまなかたちで現れてくる。すなわち,まず,当時ミュンヘンにいたカンディンスキーの1910年ころからの試み,キュビスムにおける描写対象の分解・分析・総合,キュビスムから枝分かれしたR.ドローネー,ピカビア,クプカF.KupkaらによるオルフィスムOrphismeの音楽的詩的抽象,マレービチの純粋幾何学的抽象の試みであるシュプレマティズムといった動きが抽象芸術を形づくる。次いで,オランダで新造形主義をかかげたモンドリアン,彼を支持したファン・ドゥースブルフらの絵画,彫刻,デザイン,建築等の各分野にわたる運動であるデ・ステイル(1917年より同名の雑誌を刊行),革命後,やはり各分野にわたる広がりをみせたロシアの構成主義(タトリン,リシツキー,ガボ,ペブスナー,ロドチェンコら)などによって抽象芸術は急速に広まり,両大戦間にはシュルレアリスムと並ぶ一大動向を形成し,1930年代には早くもマンネリ化,アカデミズム化の現象すらみせている。…
…フランスの画家。オルフィスムOrphismeの創始者。パリに生まれ,絵画はほとんど独学。…
※「オルフィスム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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