ドローネー(読み)どろーねー(その他表記)Robert Delaunay

デジタル大辞泉 「ドローネー」の意味・読み・例文・類語

ドローネー(Robert Delaunay)

[1885~1941]フランスの画家。キュビスムの構成に色と光・律動感の要素を包括したオルフィスムとよばれる画風を確立。作「エッフェル塔」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ドローネー」の意味・読み・例文・類語

ドローネー

  1. ( Robert Delaunay ロベール━ ) フランスの画家。立体派の一人で、オルフィスムと呼ばれる色のダイナミクスを主眼とする非具象的なスタイル創始者。立体派のスタイルと独自の色彩性の融合は、のちの二〇世紀芸術に影響を与えた。(一八八五‐一九四一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドローネー」の意味・わかりやすい解説

ドローネー
どろーねー
Robert Delaunay
(1885―1941)

フランスの画家。パリ生まれ。初め印象主義、ゴーギャンセザンヌ、キュビスムなどの影響を受ける。1907年、ウクライナ生まれのソニアSonia (Terk)(1885―1979)と出会い、1910年に結婚した。ソニアはゴッホ、ゴーギャンの影響下にフォーブ的作風から出発するが、結婚前後から両者の関心は、色彩と運動と光という、ピカソたちの静止的キュビスムに欠けていた課題に取り組み、おそらくは相互的な影響下に、アポリネールによってやがて「オルフィスム」と名づけられることになる作風を確立するに至った。『都市パリ』(1910~12)などにみられるような、エッフェル塔、飛行機などの近代的要素を取り上げたロベールの諸作品がそれである。さらに両者とも12~14年ごろ、プリズム的な色面、とくに円環形の色面による絵画構成に達し、フランスにおける最初の抽象絵画を生み出し、クレーに影響を与えた。その後は37年のパリ万国博覧会の壁画を制作するなど、抽象絵画の建築装飾への適用を試みている。モンペリエに没。

 妻のソニアは、とくにテキスタイル・デザインなどで活躍し、第二次世界大戦後には、生前ロベールが構想していたサロン・デ・レアリテ・ヌーベルを、アルプやソフィー・トイバーたちと創立している。

中山公男

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百科事典マイペディア 「ドローネー」の意味・わかりやすい解説

ドローネー

フランスの画家。パリ生れ。新印象主義的な作品をへて,《都市》《エッフェル塔》の連作(1909年―1911年)でキュビスム的傾向に転じる。また1912年―1913年には《円形,太陽と月》《窓》の連作を手がけ,アポリネールがこれをオルフィスムと名づけて称賛し,フランスにおける抽象絵画の先駆者となった。光とリズムを重んずるその作風はクレーマルクに少なからぬ影響を与えた。妻ソニア・テルクSonia Terk〔1885-1979〕も画家。
→関連項目アプストラクシヨン・クレアシヨンキュビスムファイニンガーブラウエ・ライター

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改訂新版 世界大百科事典 「ドローネー」の意味・わかりやすい解説

ドローネー
Robert Delaunay
生没年:1885-1941

フランスの画家。オルフィスムOrphismeの創始者。パリに生まれ,絵画はほとんど独学。早くから色彩に強い関心をもち,新印象主義やフォービスムに傾くが,1909-11年の《エッフェル塔》《都市》の連作でキュビスムおよび未来派的傾向に転じ,12-13年に《円形,太陽と月》や《窓》の連作で,透明な色彩と抽象的な形態による純粋絵画に到達する。アポリネールはこれを〈オルフィスム〉と名づけて称賛した。キュビスムのピュトー派と共同で出品したが,むしろドイツ表現主義の〈ブラウエ・ライター(青騎士)〉グループと親交した。14-30年には現実的モティーフを回復するが,その後は再び完全抽象に転じた。1910年,ロシア出身の女流画家ソニア・テルクSonia Terk(1885-1979)と結婚。彼女も夫に近い抽象絵画に終始した。
執筆者:


ドローネー
Charles Eugène Delaunay
生没年:1816-72

フランスの天文学者エコール・ポリテクニクを首席で卒業したとき与えられたラプラス賞の賞品がラプラスの全集であったことから天体力学に進んだと伝えられる。1853年母校の教授となり,のちパリ大学教授を経て70年にはルベリエの後任としてパリ天文台長となったが,72年シェルブールでヨットレース中に溺死した。潮汐論や月運動論の研究が名高い。上,下2巻の《月運動論》(1860,67)はその純解析的な性格と正準変換を駆使した方法論とによって知られている。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドローネー」の意味・わかりやすい解説

ドローネー
Delaunay, Robert

[生]1885.4.12. パリ
[没]1941.10.25. モンペリエ
フランスの画家。抽象絵画の先駆者の一人。新印象主義,キュビスムの影響を受け,1912年『窓』のシリーズで,そのスタイルを G.アポリネールによりオルフィスムと命名される。 W.カンディンスキーの招請で「青騎士」の第1,第2回展に出品。多彩な色とリズミカルな画面で F.マルク,L.ファイニンガー,P.クレーらを感化した。再現性を完全に捨てた 12年の『円環』は抽象芸術形成の先駆的役割を果す。 14~21年スペイン,ポルトガルに滞在,18年 S.ディアギレフのバレエの舞台装飾を手がける。 21年パリに帰り,一時ダダと交渉をもつ。 37年のパリ万国博覧会の鉄道館,航空館の大壁画を制作。妻ソニアもオルフィスムの画家。

ドローネー
Delaunay, Charles-Eugène

[生]1816.4.9. リュジニ
[没]1872.8.5. シェルブール近郊
フランスの天文学者,数学者。高等鉱山学校で技師としての教育を受けたのち,パリ大学で数学,天文学を学ぶ (1841~48) 。エコール・ポリテクニク,高等鉱山学校の数学教授。科学アカデミー会員 (55) 。パリ天文台台長 (70) 。月の運動理論の発展に貢献。研究途上,船の遭難によって死亡。主著『月の運動の理論および潮汐論』 (44) ,『月の運動の新分析論』 (46~67) がある。

ドローネー
Delaunay, Jules Élie

[生]1828.6.12. ナント
[没]1891.9.5. パリ
フランスの画家。 1848年国立美術学校に入学,H.フランドランと L.ラモットに学ぶ。新古典主義の流れをくみ,おもに歴史画を描く。 53年パリのサロンにデビュー,56年ローマ大賞受賞。ローマから帰国後は次々と公共建築の壁画を描く。代表作にパリのオペラ座の『パルナッソス』,未完に終ったパンテオンの壁画『アッティラと聖ジュヌビエーブ』などがある。晩年には C.ガルニエなどの肖像画も描いた。

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367日誕生日大事典 「ドローネー」の解説

ドローネー

生年月日:1816年4月9日
フランスの天文学者
1872年没

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世界大百科事典(旧版)内のドローネーの言及

【月運動論】より

… ニュートンはその著《プリンキピア》の中で月の運動を論じており,これが月運動論の嚆矢(こうし)である。ニュートンに続いてA.C.クレロー,L.オイラー,J.ダランベール,P.S.ラプラス,ダモアゾーM.C.T.Damoiseau(1768‐1846),ラボックJ.W.Lubbock(1803‐65),ド・ポンテクーランP.G.de Pontécoulant(1795‐1874),プラーナG.Plana(1781‐1864),S.D.ポアソン,P.A.ハンセン,C.E.ドローネー,G.W.ヒル,J.C.アダムズ,ブラウンなどの理論が相次いで現れた。この中でハンセンがその理論に基づいて作成した《太陰表》(1857)は,その後半世紀余にわたって天体暦の月の位置推算の基礎データとして使われたが,ようやく1923年にブラウンの《太陰表》(1919)に引き継がれた。…

※「ドローネー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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