オーバーベック

百科事典マイペディア 「オーバーベック」の意味・わかりやすい解説

オーバーベック

ドイツ画家リューベックの生れ。ナザレ派の代表的画家。1810年以後ローマで活躍し,ペルジーノラファエロらを理想としながら宗教色の強い作品を残した。代表作に《イタリアゲルマニア》(1811年―1828年,ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク蔵)や,ペーターコルネリウスフィリップファイト(1793年―1877年),ウィルヘルム・フォン・シャドー(1789年―1862年)の4名で分担して描いたローマの旧バルトルディ荘壁画(1816年―1817年,ベルリン国立美術館蔵)などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「オーバーベック」の意味・わかりやすい解説

オーバーベック
Johann Friedrich Overbeck
生没年:1789-1869

ドイツの画家。リューベック生れ。アカデミーの教育内容に失望,敬虔(けいけん)な心情に基づく宗教画の再生を図り,1809年意を同じくする仲間と〈聖ルカ兄弟団〉を結成し,翌年ローマに移住ナザレ派と呼ばれる芸術共同体の中心的存在として〈絵において祈る〉ことを課題に制作した。ペルジーノ,ラファエロに負う画風は端整で抒情的だが晩年硬化。ローマのバルトルディ荘およびマッシモ荘のフレスコ画を,仲間とともに共同制作した。
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オーバーベック
Franz Camille Overbeck
生没年:1837-1905

ドイツのプロテスタント神学者。ペテルブルグに生まれ,1864年イェーナ大学私講師。70年からバーゼル大学新約聖書と古代教会史を講じ,同大学にいたニーチェと親交を結んだ。原始キリスト教の終末論的,現世否定的性格を発見し,それとの対比において歴史的キリスト教を厳しく批判し,神学をも自己欺瞞とした。弁証法神学者として登場したK.バルトに大きな影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オーバーベック」の意味・わかりやすい解説

オーバーベック
Overbeck, Franz Camille

[生]1837.11.16. ペテルブルグ
[没]1905.6.26. バーゼル
スイスの神学者。ニーチェの親友。イェナ大学私講師を経て,バーゼル大学新約聖書および古代教会史教授 (1870~97) 。終末論的観点からキリスト教をとらえ,キリスト教の特質はその世界否定性にありとした。教会とはキリスト教と無関係な宗教集団であり,教会史は聖書の原歴史からの堕落過程であるとして,教会史を講じた。彼の批判は,K.バルトにより,弁証法的神学のさきがけとみられた。主著に『現代神学のキリスト教性について』 Über die Christlichkeit unserer heutigen Theologie (73) ,『古代教会史研究』 Studien zur Geschichte der alten Kirche (75) ,『キリスト教と文化』 Christentum und Kultur (1919) 。

オーバーベック
Overbeck, Johann Friedrich

[生]1789.7.3. リューベック
[没]1869.11.12. ローマ
ドイツの画家。おもにイタリアで制作。 1806年ウィーンのアカデミーに学び,F.プフォルに影響を受ける。 09年ウィーンでプフォル,ウィンターガスト,ホッティンガーらとともにルカス同盟 (いわゆるナザレ派 ) を創設。翌年プフォルとともにローマに移住,ピンチオ丘の廃寺聖イシドロ修道院で新しい宗教画の振興に努める。代表作であるカーサ・バルトルディのフレスコ連作『聖ヨゼフ画伝』 (1816~17,ベルリン国立美術館) にはペルジーノおよびラファエロの影響が著しい。

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