コルネリウス(読み)こるねりうす(英語表記)Hans Cornelius

精選版 日本国語大辞典 「コルネリウス」の意味・読み・例文・類語

コルネリウス

  1. [ 一 ] ( Cornelius ) ローマの第二一代教皇(在位二五一‐二五三)。背教者に対する寛大な取り扱いを主張し、司教会議で支持された。ガルス帝によって追放され、ローマ付近で殉教した。二五三年没。
  2. [ 二 ] ( Peter Cornelius ペーター━ ) ドイツの作曲家、詩人。歌曲と合唱曲にすぐれ、オペラ「バグダードの理髪師」「シッド」などがある。(一八二四‐七四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コルネリウス」の意味・わかりやすい解説

コルネリウス(Hans Cornelius)
こるねりうす
Hans Cornelius
(1863―1947)

ドイツの実証主義哲学者。ミュンヘンで生まれ、1903年以降母校のミュンヘン大学で教えたあと、1910年フランクフルト大学教授となる。新カント主義とマッハを中心とする反形而上(けいじじょう)学の実証主義の間に位置して、彼自身は認識のいっさいを感覚的経験の直接所与に還元することを主張し、こうして哲学の基礎を心理学に置いた。しかしマッハ流の純粋な経験論に対しては、これら意識経験の究極の根拠を、むしろカント的な統覚にみようとした。著書に『経験科学としての心理学』Psychologie als Erfahrungswissenschaft(1897)や『造形芸術の基本法則』Elementargesetze der bildenden Kunst(1908)などがある。

[西村清和 2015年2月17日]


コルネリウス(ローマ教皇)
こるねりうす
Cornelius
(?―253)

ローマ教皇(在位251~253)、カトリックの聖人。迫害による背教者に寛大であったため、対立主教ノバティアヌス一派の激しい非難を受けたが、251年ローマに宗教会議を招集し、多くの聖職者によりその立場を支持された。のちローマ皇帝ガルスGallus(在位251~253)に追放され、ローマ郊外で殉教した。アンティオキアの司祭ファビウスFabiusにあてた書簡は、当時のローマ教会の機構を知る貴重な資料になっている。コルネリウスという名には角(つの)という意味があるため、角のある家畜の保護の聖人とされている。

[大谷啓治 2017年11月17日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「コルネリウス」の意味・わかりやすい解説

コルネリウス
Peter Cornelius
生没年:1824-74

ドイツの作曲家。俳優を志したが音楽に転じ,ベルリン,次いでワイマールのリストのもとで音楽を学ぶ。1858年初演のオペラ《バグダードの理髪師》はリスト反対派の妨害により失敗し,翌年ウィーンに出る。同地でワーグナーを知り,65年彼とともにミュンヘンに移り,67年より王立音楽学校で作曲を講じた。作品としては《シッド》(1865初演)などのオペラや《詩篇歌》(1872)などの合唱曲がある。また著述家としても美術論や詩集を残している。ナザレ派の画家コルネリウスPeter von Cornelius(1783-1867)は,父のいとこにあたる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「コルネリウス」の意味・わかりやすい解説

コルネリウス

ドイツの画家。デュッセルドルフ生れ。1811年,ローマに行き,ナザレ派に参加。のちミュンヘン,ベルリンなどで活動し,古典的ななかにもロマン主義的色彩の強い作品を残す。《ファウスト第1部》の挿絵(1816年)や,ミュンヘンの彫刻館(グリュプトテーク)やアルテ・ピナコテークフレスコ画を描いたが,これらは戦災で失われた。他にミュンヘンのルートウィヒ聖堂のための《最後の審判》(1836年―1839年)などがある。
→関連項目オーバーベック

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コルネリウス」の意味・わかりやすい解説

コルネリウス
Cornelius, Peter von

[生]1783.9.23? ジュッセルドルフ
[没]1867.3.6. ベルリン
ドイツの画家。ジュッセルドルフの美術学校に学ぶ。 1811~19年ローマでナザレ派の最も重要な画家として活躍。 19年ミュンヘンに行き,25年に美術学校の校長となるとともに,グリュプトテーク (彫刻館) にギリシア神話を主題とした壁画を,またルートウィヒ聖堂に『最後の晩餐』そのほかの大壁画を制作し,モニュメンタルなフレスコ画の復興に努める。 41年ベルリンにおもむき,ピサのカンポ・サントをモデルとした共同墓地にフレスコ画の連作を制作する計画を立てたが,実現にいたらぬままに没した。作風は古典的形式とドイツ・ロマン派の情熱的な感情表現との折衷を特徴とする。

コルネリウス
Cornelius, Hans

[生]1863.9.27. ミュンヘン
[没]1947.8.23. グレーフェリング
ドイツの哲学者。最初,数学,物理学を学んだが,のち哲学に転じ,1903年ミュンヘン大学助教授,10年フランクフルト大学教授。哲学の基礎を心理学に求め,哲学が独断的観念を前提とすることを極力排した。主著"Psychologie als Erfahrungswissenschaft" (1897) ,"Einleitung in die Philosophie" (1901) ,"Elementargesetze der bildenden Kunst" (08) 。

コルネリウス
Cornelius

[生]? ローマ
[没]253. チビタベッキア
ローマ出身の教皇 (在位 251~253) ,聖人。デキウス帝の迫害による 14ヵ月の空位期ののち,教皇となる。その選出をめぐってノウァチアヌスが対立教皇として離教。迫害の際の背教者に対する贖罪制度を設け,論議を呼んだ。友人であるカルタゴ司教キプリアヌスなどへの書簡が残っている。彼は迫害の再開により殉教。その名にちなみ (cornu角) ,角のある家畜の保護聖人とされる。祝日9月 16日。

コルネリウス
Cornelius, Gaius

前1世紀頃のローマの政治家。ポンペイウス (大ポンペイウス) の部下。財務官 (クアエストル ) として政治改革を目指すが,閥族派 (オプチマテス ) の反対にあう。前 65年反逆罪のかどで告発されたが,M.キケロの弁護により救われた。

コルネリウス
Cornelius, Peter

[生]1824.12.24. マインツ
[没]1874.10.26. マインツ
ドイツの作曲家,詩人,著述家。ベルリンで対位法を学び,ワイマールでリストの一派として活躍したのち,1858年オペラ『バグダードの理髪師』初演の失敗を機にウィーンに移り,ワーグナーと親交。 65年以後ミュンヘンでオペラや歌曲,合唱曲を作曲し,教師,文筆家としても活躍。

コルネリウス
Cornelius, Carl Sebastian

[生]1819
[没]1899
ドイツの哲学者。ヘルバルト学派に属する。主著"Über die Bildung der Materie aus ihren einfachen Elementen" (1855) ,"Über die Wechselwirkung zwischen Leib und Seele" (75) 。

コルネリウス
Cornelius a Lapide

[生]1567.12.8.
[没]1637.3.12.
オランダの聖書学者。イエズス会士。ルーバン,ローマで教え,大部の旧・新約聖書の注解書を教父の解釈をもとに執筆。特にモーセ五書およびパウロ書簡に関するものが有名。

コルネリウス
Cornelius, Severus

1世紀のローマの詩人。オウィディウスの友人。前 38~36年のシチリア戦争,キケロの死などを六脚韻で歌った断片が引用によって伝えられている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「コルネリウス」の解説

コルネリウス

生年月日:1863年9月27日
ドイツの哲学者
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のコルネリウスの言及

【ノウァティアヌス】より

…すぐれた神学者,思想家として知られ,主著《三位一体論》は,ラテン語で書かれた最初の重要な神学的著作とされる。デキウス帝の大迫害(249‐250)において,教会を裏切った信徒の迫害後の教会復帰を認めるか否かの問題で,ノウァティアヌスは非妥協,厳格主義の立場からそれを認めず,穏健派のローマ司教コルネリウスCornelius(251選出)と対立した。これには感情的な対立もからみ,ノウァティアヌスは支持者たちによって対立ローマ司教に選ばれ,のち分派活動のかどで破門された。…

※「コルネリウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android