ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オーモンド」の意味・わかりやすい解説
オーモンド(公)
オーモンド[こう]
Ormonde, James Butler, 2nd Duke of
[没]1745.11.16. アビニョン
イギリスの貴族,軍人。アイルランド出身。 1688年祖父の爵位を継承,2代オーモンド公となる。トーリー党員で,名誉革命ではオランニェ公ウィレム (のちのウィリアム3世 ) 上陸後に彼を支持。ウィリアム3世治世にはボイン川の戦い,スティーンカークの戦い,ランデンの戦いなどに従軍。 1702年 G.ルークとともにカディスに遠征。 03年アイルランド総督になり,旧教徒保護政策を実行。 10年トーリー党政府成立とともに有力者の一人になり,マールバラ (公)罷免後代ってネーデルラント派遣軍司令官になった (1711) が,スペイン継承戦争終結の意図をもって積極的攻撃を回避。 14年ジョージ1世即位後免官され,翌年司令官在職中のフランス軍との通謀を疑われてフランスに亡命。大王位僭称者 J.F.E.スチュアートに仕えてジャコバイトになり,「十五年の反乱」に際し軍を率いてデボンシャーに上陸,蜂起をはかったが失敗。 19年スペインから艦隊を提供され,イギリス侵寇を策したが,嵐にあって四散。その後はおもにアビニョンに住んだ。
オーモンド(公)
オーモンド[こう]
Ormonde, James Butler, 12th Earl and 1st Duke of
[没]1688.7.21. ドーセットシャー
アイルランド出身のイギリスの貴族。 1633年伯爵を継ぎ,翌年からストラッフォード (伯)を助けてアイルランドの反乱を鎮定。清教徒革命勃発とともに国王派としてアイルランド反乱軍を撃破し,44年チャールズ1世からアイルランド総督に任じられた。 46,49年アイルランド反乱軍との和議を成立させた。 49年 O.クロムウェルの上陸軍と戦って敗れ,パリに亡命。 60年王政復古とともに帰国し,62~69,77~84年の2度アイルランド総督をつとめ,82年公爵に叙せられた。
オーモンド(伯・公家)
オーモンド[はく・こうけ]
「バトラー家」のページをご覧ください。
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