ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マールバラ」の意味・わかりやすい解説
マールバラ(公)
マールバラ[こう]
Marlborough, John Churchill, 1st Duke of
[没]1722.6.16. バークシャー,ウィンザー
イギリスの軍人。国王派のジェントリーの家に生れ,王政復古後,1665年ヨーク公 (のちのジェームズ2世 ) の小姓として宮廷に入り,67年近衛将校となった。 72~73年フランス援軍としてネーデルラントに従軍。 78年アン王女の侍女セアラ (マールバラ〈公妃〉) と結婚。ジェームズ2世の即位後登用され,モンマス (公)の反乱鎮圧に活躍 (1685) 。 88年の名誉革命には,陸軍副司令官として,上陸したオランニェ公ウィレム (のちのウィリアム3世) の討伐に派遣されたが,最後にウィレム側に寝返り,翌年枢密院議員,伯爵となった。前王ジェームズ2世との通謀の責めで 92年公職を剥奪され一時投獄された。 1702年アン女王が即位すると,登用されてイギリス=オランダ連合軍司令官に任じられ,公爵となった。 04年8月オーストリアの名将オイゲン公と結んで,ブレンハイムでフランス軍に対して起死回生の勝利を収め,以後ラミイイ (1706) ,オウデナルデ (08) の戦勝によって,スペイン継承戦争におけるルイ 14世の野望を阻止し,国民的英雄とたたえられ,感謝の印にウッドストックの地を与えられた (のちここにブレニム宮を造営) 。しかし 10年和平派のトーリー党政府が成立すると,妻セアラが女王に対する発言力を失ったこともあって,翌年末すべての公職を解任された。批判を避けて大陸に渡り,ハノーバー家と接触し,14年ジョージ1世の即位により軍職に復帰したが,健康が衰え,再度の活躍はみられなかった。ウィンストン・チャーチルは彼の子孫。
マールバラ(公妃)
マールバラ[こうひ]
Marlborough, Sarah Jennings, Duchess of
[没]1744.10.18. ロンドン
イギリスの軍人マールバラ公ジョン・チャーチルの妻。1673年ヨーク公妃メアリーの侍女になり,王女アンの信望を得て,1677~78年の冬の間にヨーク公のとりなしでマールバラ公と結婚。アンの即位後その友人として女官長のような地位につき,宮廷で勢力をふるったが,政争に巻き込まれ,従妹アビゲイル・マサムに女王の寵を奪われ,1711年宮廷を退いた。夫の進退,評判に大きな影響を及ぼした。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報