カサブランカ会談(読み)カサブランカかいだん

百科事典マイペディア 「カサブランカ会談」の意味・わかりやすい解説

カサブランカ会談【カサブランカかいだん】

第2次大戦中の1943年1月,チャーチルローズベルトカサブランカで行った会談シチリア島イタリア本土への上陸作戦決定。ローズベルトは枢軸国に対する無条件降伏要求原則を明示した。
→関連項目カサブランカ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カサブランカ会談」の意味・わかりやすい解説

カサブランカ会談
かさぶらんかかいだん

第二次世界大戦中の1943年1月14~24日、北アフリカのフランス領モロッコのカサブランカCasablancaでアメリカ大統領F・D・ルーズベルトイギリス首相チャーチルの両首脳が開いた戦争指導会談。この会談で、枢軸国に対する戦いを無条件降伏まで続行する方針が打ち出されたほか、ヨーロッパ進攻をシチリア島とイタリア本土上陸作戦から開始することに合意をみた。またこのとき、不仲が伝えられたフランス抗戦派の指導者ジロー将軍とドゴール将軍との和解が米英両首脳によって試みられたが、完全な解決には至らなかった。

[藤村瞬一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カサブランカ会談」の意味・わかりやすい解説

カサブランカ会談
カサブランカかいだん
Casablanca Conference

1943年1月 14~23日アメリカの F.ルーズベルト大統領とイギリスの W.チャーチル首相が,モロッコのカサブランカで開いた第3回連合国戦争指導会議。米英軍のアフリカ作戦成功後の作戦について,シチリア島とイタリア本土への上陸を敢行することを決めた。太平洋戦線での作戦も協議し,同戦線を地中海戦線同様に重視することになった。さらに,原子爆弾開発状況についても話合い,またドイツ,イタリアおよび日本に対して無条件降伏を要求する方針を決定した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「カサブランカ会談」の解説

カサブランカ会談
カサブランカかいだん
Casablanca Conference

第二次世界大戦中の1943年1月14〜24日,アメリカ大統領 F.ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルがモロッコのカサブランカで行った会談
スターリンの要求による第二戦線について協議し,北アフリカ作戦,シチリア島・イタリア本土への上陸作戦を練った。この会議には,ド=ゴールとジローの両フランス将軍も出席した。戦争終結の条件に「ドイツの無条件降伏」という言葉が初めて使用された。

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世界大百科事典(旧版)内のカサブランカ会談の言及

【第2次世界大戦】より

…しかしソ連が参戦直後から要求していた連合国側による大陸での対ドイツ戦線(第二戦線)の問題をめぐり,フランスに上陸すべきとするアメリカと北アフリカにまず上陸すべきとするイギリスとの間で戦略上の対立が起こり,結局,イギリスの主張がとおり北アフリカに上陸作戦が展開された。そして43年1月スターリンは戦局の進展のため出席できなかったが,ローズベルト,チャーチルの会談がカサブランカで開かれシチリア侵攻とフランス上陸を話し合い,また枢軸国に〈無条件降伏〉を求めることが決定された(カサブランカ会談)。そして,この〈第二戦線〉問題は43年いっぱい話し合われることになった。…

※「カサブランカ会談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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