日本大百科全書(ニッポニカ) 「カジノ・フオーリー」の意味・わかりやすい解説
カジノ・フオーリー
かじのふおーりー
劇団名。1929年(昭和4)7月10日東京・浅草の水族館2階の演芸場に旗揚げされた。フランスのカジノ・ド・パリとフォリー・ベルジェールを組み合わせた名前で、「フォリー」を日本人に受け易いように「フオーリー」とした。石田守衛(もりえ)を中心に榎本(えのもと)健一(エノケン)、中村是好(ぜこう)など浅草オペラの残党が参加、当時流行のジャズ、レビュー、アメリカ喜劇映画のスラプスティック・ギャグを取り入れた新趣向の喜劇を上演して軽演劇の先駆となった。しかし不入りのため2か月で解散、同年10月、石田にかわって榎本が座長格になり再スタートした。たまたま連載中の新聞小説『浅草紅団(くれないだん)』(川端康成作)に取り上げられたことなどから一躍有名になり、エロ・グロ・ナンセンスの風潮にのって一時期を画したが、翌年6月に榎本が脱退して観音劇場に新カジノ・フオーリーを結成した。カジノのほうはその後石田が復帰、文芸的作品も上演したが、かえって客を逃がし、33年(昭和8)3月に解散した。
[向井爽也]