ローマの抒情詩人。アルプス山麓とポー川にはさまれたガリア・キサルピナの町ウェロナに生まれた。若くしてローマに移り住んだが,故郷への愛着を一生持ち続けた。彼は機会あるごとに故郷を訪れ,またウェロナ近郊のガルダ湖畔にあった一族の別荘に滞在して,そのことを歌った詩を書き残している。ローマで上流社会に受け入れられ,彼の友人たちの中には伝記作者のネポス,キケロの論敵ホルテンシウスらの名が見られる。またプロペルティウスのキュンティア,ティブルスのデリアと並ぶカトゥルスの恋愛詩の女主人公レスビアは,既婚婦人であったクロディウス・プルケルの妹クロディアであったと伝えられている。彼は自作の詩を1巻の《詩歌集》にまとめてネポスに献呈したが,現在残っている《詩歌集》は彼の死後編纂されたものであり,100余詩が収められている。彼の詩は,11音節の韻律などで書かれた比較的短い機会詩,祝婚歌,2行1組のエレゲイアの韻律で書かれた短詩に大きく分けられる。カトゥルスはエレゲイアの韻律を使ってヘレニズム期のギリシア詩をラテン訳しており,《ベレニケの髪》は名高い。その詩風はヘレニズム期アレクサンドリアの学者詩人たちから大きな影響を受け,彼の後継詩人たちから〈学識ある〉という敬称を与えられている。一方,レスビアとの恋をつづった恋愛詩の中では,彼は個人主義的な思想に裏打ちされたさまざまな感情を簡潔かつ情熱的な言葉で語っている。ラテン詩の詩的技巧の側面においてもカトゥルスの果たした役割はひじょうに大きく,アウグストゥス時代のウェルギリウス,ホラティウス,プロペルティウスらの詩人たちに彼の影響を見ることができる。さらに時代が下って,1世紀のエピグラム詩人マルティアリスも,カトゥルスを自分の詩の師と呼んでいた。
→ラテン文学
執筆者:平田 真
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古代ローマ、共和政末期の詩人。ベローナに生まれる。ローマに出て、当時流行のアレクサンドリア派文学理論を信奉する詩人たちの仲間に入る。116編からなる『詩集』は、その大半が、愛、友情、旅、自然、兄の死、文学、政治、日常のささやかなできごとなどをおりに触れて歌った機知に富む珠玉の小品からなり、感情の素直な表現にみせて、実は効果的な計算と技巧に裏打ちされている。とくに彼がレスビアと名づけた多情な貴婦人に対する愛と失恋を歌った一連の詩が光り、これにより優雅な社交詩人から孤独な叙情詩人に変貌(へんぼう)し、次の世代の恋愛エレゲイア詩人たちの先駆をなした。ほかに小叙事詩『ペレウスとテティスの結婚』『アッティス』など、アレクサンドリア派の手法により神話を扱った、比較的長い詩が数編あり、当時はこれらが代表作とされた。今日では彼自身の恋愛体験の意味と価値を客観的ジャンルによって確かめるための寓意(ぐうい)的作品と解釈されている。
[中山恒夫]
『呉茂一訳詩集『花冠』(1973・紀伊國屋書店)』
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…北イタリアの出身。激動の共和政末期に生き,政治的活動をした形跡はないが,共和政主義者のキケロ,アッティクス,詩人カトゥルスらを友人に持ち,とくにカトゥルスは《詩歌集》を彼に捧げている。《世界史》《逸話集》《キケロ伝》《恋愛詩》などの著作は散逸し,ギリシア・ローマの著名な王,名将,詩人,哲学者,歴史家などの伝記を収録した《偉人伝》(少なくとも16巻)のうち〈海外名将の巻〉すべてと,〈ローマの歴史家の巻〉の《大カトー伝》と《アッティクス伝》の2編だけが現存する。…
…〈新詩人〉と呼ばれるこれらの詩人は,アレクサンドリア派のカリマコスらの作風と理論を初めて意識的にローマに取り入れて,先輩たちの長いだけでしまりのない詩を批判し,洗練と技巧と学識と〈小さい完成〉を目ざした。彼らの中で特に才能に恵まれたカトゥルスの作品だけが今日まで残存した。彼は機知と嘲罵のためのエピグラムやイアンボスなどの軽い遊戯的な詩を作る社交詩人として出発したが,自己の恋愛体験をテーマにすることによって,軽い社交詩を深刻な抒情詩に発展させ,のちに流行するローマ独特の〈主体的恋愛エレギア(エレゲイア)詩〉に先鞭をつけた。…
※「カトゥルス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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