コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

カモンイス カモンイスCamões, Luís Vaz de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カモンイス
Camões, Luís Vaz de

[生]1524.2.5. リスボン
[没]1580.6.10. リスボン
ポルトガルの詩人。コインブラで学んだと伝えられ,ドン・ジョアン3世の宮廷に出入りしたのち,1547年北アフリカのセウタに赴き,ムーア人との戦いで右眼を失う。3年後に帰国し,決闘の罪で1年間獄につながれた間に,バスコ・ダ・ガマの航海を主題に,ポルトガルの歴史的栄光をたたえた叙事詩ウス・ルジーアダス (ポルトガル人) 』 Os Lusíadasの第1章を書き上げ,1553年ゴアを経てマカオへ向かい,そこでさらに6章を書いた。 1570年リスボンに戻り,1572年に『ウス・ルジーアダス』の初版を出版したが,貧窮と病苦のため悲惨な晩年を送った。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

カモンイス

ポルトガルの国民詩人。貴族出身だが,アフリカでは片目を失い,マカオでは倭寇(わこう)と戦うなど波乱に富んだ生涯を送り,貧苦のうちに死んだとされるが,その伝記はほとんど推測の域を出ない。
→関連項目ポルトガル語マカオロカ[岬]

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

カモンイス【Luis Vas de Camões】

1525?‐80
ポルトガル文学史上最大の詩人。しかしその伝記は,ほとんどが推測,しかも〈願望的な推測〉の域を大きく越えていない。生まれたのはおそらくリスボン。没落貴族の子であった彼は,当時の知識人と比較しても群を抜くほど該博な知識を持っていたが,いつ,どこでそれを身につけたかは明らかでない。コインブラ大学との説もあるが,確実ではない。1553年にインドへ行き,おそらく69年にリスボンへ戻る。東洋における16年間は,悲惨と貧窮と落胆の連続であった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

カモンイス【Luís Vaz de Camões】

1525?~1580) ポルトガルの詩人。叙事詩「ウス-ルジアダス」はポルトガル文学の最大の遺産とされる。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カモンイス
かもんいす
Lus Vaz de Cames
(1525?―1580)

ポルトガルの詩人。リスボン生まれ。勉学のため学都コインブラに1542年までいたと信じられている。ドン・ジョアン3世の宮廷に仕えたが、47年北アフリカのセウタへ赴き、ムーア人との戦闘で右目を失明。その後、故国に帰ったが、52年宮廷の一青年を傷つけ捕らえられ、翌年許されてインド、中国に滞留、69年リスボンに帰り、晩年は極度の貧困と病のうちに数奇な生涯を閉じた。彼の名を不朽にしたのは叙事詩『ウス・ルジーアダス』(1572)で、ウェルギリウス、ペトラルカに比肩する詩聖である。叙情詩はソネットがとくに優れ、複雑で繊細な感情を巧みに表現している。[濱口乃二雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

カモンイスの関連キーワードバートン(Sir Richard Francis Burton)リベイロ(Aquilino Ribeiro)オラーヴォ ビラックジェロニモス修道院ウスルジーアダススラウエルホフスラーエルホフカモンイス広場マルティンスベルナルデスイスパニアカミーニャロカ[岬]ボカージェケンタールガレットアビス朝ゴンザガシントラ2月5日

今日のキーワード

吝か

[形動][文][ナリ]1 (「…にやぶさかでない」の形で)…する努力を惜しまない。喜んで…する。「協力するに吝かではない」2 思い切りの悪いさま。「民衆も天才を認めることに―であるとは信じ難い」〈芥川...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android