古代ギリシア人はまことに多彩な神話を繰り広げてみせたが,何事につけ彼らと並び称されるローマ人は,神話を〈宇宙の生成と神々についての物語〉と狭く定義するならば,固有の神話といえるものをほとんど残していない。
しかし,キケロの有名な言葉に〈われわれは諸芸術についてはギリシア人に所詮かなわない。しかし宗教性の点や,万物は神々による支配に服しているという洞察まで達した唯一の叡知を有する点では,すべての民族にまさる〉とあるように,ローマにも早くより独自の神崇拝が存在した。古くはユピテル,マルス,クイリヌスが三位一体をなして篤くまつられた。ユピテルは語源をギリシアのゼウスと等しくするインド・ゲルマン起源の天空神で,本来,日の明るさと気象とをつかさどる。マルスは後にギリシアのアレスに同一視される戦いの神であるが,それとは比較にならぬ大きな意味をもっていた。クイリヌスはもともとはサビニ人のもとで崇拝された豊饒の守護神であったが,後に戦いの神となり,そのためマルス神の影に覆われ,弱体化した。そのほか,ギリシアに対応神のない大神格で,物事の初めと門とをつかさどるヤヌス,大地女神テルスをはじめ,開花の神フロラ,結実の神ポモナ等々限られた領域を管掌する神々まで枚挙にいとまない。
これら初期ローマの神々はギリシアの神々とは異なって,個性的輪郭のあざやかな具象的存在者ではなく,神威ヌメンnumenとして,現象の内に潜む意志とその機能として把握され,きわめて慎重な,ときに煩瑣な儀礼をもって対されたが,その誕生が語られることもなければ,神々どうしの結婚も,したがってその系譜が問題とされることもなかった。それゆえしばしば,ローマの宗教には祭儀はあるが神話はない,などといわれるのである。
他方また〈ギリシア・ローマ神話〉といういい方もしばしばなされる。その理由を知るためには,ローマと先進文化との接触の経緯を概観しなくてはならない。文化的にまったく素朴な段階にあった初期のローマはティベル(テベレ)川の対岸から北西方に地歩を占めるエトルリア人(エトルリア)の文化の多大な影響下にあった。前6世紀の王政末期,ローマを支配したのはエトルリア人の王であったほどである。その言葉は未解読で,出自に関しても謎にみちたエトルリア人は,宗教的領域でも,犠牲獣の内臓による占いとか,本来死者崇拝の儀礼であったとされる剣奴(グラディアトル)の死闘など,その特異なものをローマに伝える一方で,ギリシアの神々をローマ人に仲介する役目をも果たした。彼らはテュレニア海を中心とする海上貿易においてギリシア人のライバルであり,彼らがギリシアの神々,その神話に親しんでいたことは,墳墓からの豊富な出土品が証明している。
周知のごとく,ギリシア人自身も前8世紀以来南イタリア,シチリアで盛んな植民活動を行った。前500年ころになるとその植民市の一つクマエ(キュメ)から,後のローマの祭政に重大な役割を果たすことになるギリシアの神託集〈シビュラの書〉がローマにもたらされたことにうかがえるように,ギリシアの神話・宗教とより直接的な交渉の道が開かれてきた。その結果,ローマ人は本来その起源を異にするギリシアの神々をも,何らかの類似点に基づいて自分たちの神々と同一視することによって受け入れた。あるいは対応するものの見いだしがたい神や多くの英雄は,ラテン語化した名称で受容したのであった。前者の例としてはゼウスはユピテルに,クロノスはサトゥルヌスに,ヘラはユノに,アフロディテはウェヌス(ビーナス)に,ディオニュソスはリベルに同一視されたし,ラテン語化による受容の例としてはアポロンがアポロに,アイネイアスがアエネアスとなった。と同時にそれぞれのギリシアの神々について語られた神話をも,ローマの神名に置き換えて受け入れることになった。
この傾向はギリシア文学の受容によって決定的となる。ローマ文学つまりラテン文学は前3世紀後半リウィウス・アンドロニクス,ナエウィウスなどによるギリシアの叙事詩,劇の翻訳ないしは翻案をもって始まるが,オリジナルであるギリシアの叙事詩や悲劇の主題は,ほかならぬ神話や英雄伝説であったからである。このようにして古典期の作家ウェルギリウス,ホラティウス,オウィディウスらの語る〈ギリシア・ローマ神話〉が形成された。文学的価値は別の問題であるが,神話素に関していえば,彼らが神々について語る物語は,たとえ若干そこにローマ特有のもの,ギリシア側の文献で確認しえないものが含まれるとはいえ,おおむねはギリシア神話の焼直しといわねばならない。とはいえギリシア神話を後世に伝える上で果たしたローマ作家たち,とりわけオウィディウスの《転身物語》の功績は十分に評価されねばならない。後世ヨーロッパは,もっぱらローマ作家を通してギリシア神話に親炙(しんしや)したといって過言ではない。それゆえにJ.ジョイスの長編小説の主人公は,オデュッセウスではなく〈ユリシーズ〉(オデュッセウスのラテン名Ulixesの英語形)に擬せられたし,モーツァルトの最後の交響曲は,ゼウスではなく〈ジュピター〉(Jupiterの英語読み)と通称されたし,アメリカの強力な輸送機はヘラクレスではなく〈ハーキュリーズ〉(Herculesの英語読み)と命名されたのである。
ところでローマ人は,ギリシアででき上がった神話伝説を受け身の立場で取り上げただけではなく,彼らみずからの建国の伝説を,積極的にギリシアの伝説に結びつけて形成していった。もしも〈神話〉ということで〈根元的現実についての陳述であり,この現実によって現在の生,運動,活動を規定するもの〉(マリノフスキー)とするならば,ローマの歴史伝説こそ真にローマ的な神話ともいいうる。多くのそうした歴史伝説の内から特に重要な二つを大筋でたどることにしよう。
ウェヌス神と英雄アンキセスとの子アエネアスは,トロイア戦争でトロイア方の勇士として奮戦したが,落城に際して彼だけは老父を背負い,子のユルスJulus(別名アスカニウスAscanius)の手を引いて脱出に成功した。彼はわずかな手兵とともにトラキア,デロスを経てイタリアに向け航海し,シチリアにまでやって来る。ここで父を失い手厚く葬った。この島を出帆すると,彼に敵意をいだくユノ女神が嵐を起こし,艦船の大半を難破させる。彼はかろうじてアフリカに漂着し,カルタゴの女王ディドにあたたかく迎えられる。彼に恋した女王は彼を永久に自分のもとにとどめようとするが,イタリアに新トロイア建設の使命を自覚した彼は,彼女を振り切ってこの土地をあとにする。イタリアはクマエに上陸し,この地の有名な巫女シビュラの導きで冥界に下り,ロムルスやアウグストゥス帝など未来のローマの運命を担う人物たちの霊を見る。
地上に戻ったアエネアスはいよいよラティウムまでやって来る。土地の王ラティヌスLatinusは娘ラウィニアLaviniaの手と国土建設のための領土の提供を約束するが,娘にはすでにこの地に多くの求婚者がおり,アエネアスはイタリアの諸族,とりわけルトゥリ人の王トゥルヌスTurnusと闘わねばならない。彼を一騎打ちで倒し,ラティヌスの後継者として支配権を確保したアエネアスは,新たに建設した都市を妻の名にちなんでラウィニウムと命名した。彼の息子ユルスは,やはりラテン都市の一つアルバ・ロンガを建設した。これは次の伝説に明らかにされるようにローマの母都市となるものであり,またカエサルの属するユリウス氏族はユルスの血筋を引くものと考えられた。
以上はウェルギリウスの《アエネーイス》(〈アエネアスの歌〉の意)によりながら筋をたどったが,伝説そのものは彼の創作ではなく,長い伝承にのっとったものである。すなわち,すでにホメロスに登場するこの英雄は,前7~前6世紀にかけシチリアで活躍したギリシア詩人ステシコロスによって主題的に取り上げられた後,前5~前4世紀のギリシア文学によってイタリアおよびローマとの関連づけがなされていた。これがラテン文学最初期のナエウィウス,エンニウスに取り入れられ,ウェルギリウスに受け継がれた。《アエネーイス》は題材,形式とも圧倒的にギリシアの影響下にあるが,そこに描き出された主人公は使命感にもえた敬虔なローマ人の理想の体現であったし,いっさいの過去を現時点に収斂(しゆうれん)するものとして眺める歴史感覚は真にローマ的なものといいうるだろう。
ユルスから数えて13代目に当たるアルバ・ロンガの王プロカProcaに2子があった。兄ヌミトルNumitorは弟アムリウスAmuliusにより王位を奪(さんだつ)される。ヌミトルの男児は殺され,娘レア・シルウィアRhea Silviaは純潔保持を課せられるウェスタの巫女にされるが,マルス神によってみごもり,双子を生む。奪者の命でティベリス川に流された双子は,1本のイチジクの木のもとに漂着した。そこへ牝狼が出て来て乳を与え,キツツキが食物を運んだ(ともにマルス神の聖なる生き物という)。ついで一人の羊飼いに見いだされ,羊飼い夫婦に育てられた。双子は成長してともに羊飼いとなるが,そのうちの一人レムスはあるとき王家の牧人と悶着を起こし捕らえられる。他方のロムルスは養父から自分たちの素性を聞き出し,王宮に出かけ,祖父ヌミトルをそれと知る。双子はアムリウスに復讐を果たし,祖父をアルバ・ロンガの王位にもどし,自分たちはローマの地に都市を建設する。その際ロムルスはパラティヌス丘を,レムスはアウェンティヌス丘を選んで鳥占いをしたところ,前者には12羽の鷹が現れ,後者には6羽しか現れなかったため,新都市は前者の名にちなみローマと命名された。ロムルスが都市を画する堀をめぐらしたとき,レムスは侮蔑してこれを跳び越えたので,怒ったロムルスに殺された。建国の年は前1世紀の博学者ウァロの前753年説がもっとも広く受け入れられている。
ロムルスは新都市の人口を増大すべく収容所を設け,亡命者,逃亡者の類を受け入れたが女性の数が不足した。そこで祭礼競技を催し,近隣の人々を招いた。多くのサビニ人たちがやって来たが,祭りの最中,ローマの男たちはサビニの女たちを略奪し妻とした。男たちが新妻を抱いて家に入る風習はそのなごりだという。サビニ人はティトゥス・タティウスTitus Tatius王に率いられ,ローマに復讐戦を挑んだが,フォルムでの激闘のさ中にサビニの女たちが割って入り,夫と親兄弟との間を取りなし,和議を成立させた。ここで両方が合体し,ロムルスとティトゥス・タティウスとが共同でローマを支配することになった。後者の死後,しばらくロムルスの一人支配があった。治世の33年目に閲兵中,大雷雨が起こり,彼は昇天し,神々の列に加えられた。その後ローマには王政がつづき,7代目のエトルリア系の王が廃位され,共和政に移ったのは前509年のこととローマの歴史家たちは伝えている。
以上にみるようにローマ建国伝説は歴史的体裁をなしている。事実,アルバ・ロンガもサビニ人も決して神話的存在ではなく,その実在が確証されている。それにもかかわらず歴史を装ったこの物語のなかには,神の子としての不思議な双子の誕生,捨子と獣による養育,成人しての肉親との再会など,先行するギリシア神話との共通要素を容易に指摘することができるし,また夫と親兄弟との間を調停するサビニの女は,現実のローマ社会において婦人の占める重要な役目を,ロムルスとレムス,ないしはロムルスとタティウスとの共同支配は,共和政における2人のコンスル(執政官)制度にそれぞれ神話的な根拠を提供しているとも受け取れよう。さらに比較神話学者のG.デュメジルのように,ローマ人とサビニ人との抗争と和解が,例えばゲルマン神話におけるアサ神族とバナ神族との戦いと和解の神話に酷似することから,本来の神話の歴史物語化をここに認めようとする学者もいる。以上のごとき多様な意味をこめ,ローマ人は歴史伝説という形で真にローマ的な神話をもったということができよう。
→ギリシア神話
執筆者:辻村 誠三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ローマの神々は、古くからギリシアの神々と同一視されていた。紀元前3世紀には、すでにユピテル=ゼウス、ユノ=ヘラ、ミネルウァ=アテネ、マルス=アレス、ウェヌス=アフロディテ、メルクリウス=ヘルメス、ディアナ=アルテミスなどの神々の融合が行われていた。これらローマの神々のギリシア化を促した原因の一つは、ギリシア文化を盛んに取り入れていたエトルリアの影響を早くからローマが受けていたことによる。したがってエトルリアの神々も、ティニア=ゼウス、ウニ=ヘラ、トゥラン=アフロディテ、トゥルムス=ヘルメスなどのようにギリシアの神々と同一化されていた。初期のローマ人はこの宗教的事実を背景として、おもに歴史的事件や祭儀の起源を説明するためにギリシア神話を受け入れた。やがてローマに文芸が発達すると、作家たちは競って神話をもとに叙事詩や劇を書き、とくに歴史を主題としたナエウィウスやエンニウスの作品では、トロヤを追われたウェヌス女神の子アエネアスが、ロムルスを始めとするローマ建国の英雄たちの祖先になるという、独自な神話解釈を発展させた。こうしてローマに定着したギリシア神話は、しかしすべての物語が受け継がれたわけではなく、たとえば、ゼウスに反抗したプロメテウスや肉親殺しのオイディプス、オレステスの話などは、道徳を重んじるローマ人には好まれなかった。
またギリシア神話の受容以前には、ローマ固有の神話が存在したと想像されるが、そのほとんどがローマ文学古典期以前に忘れ去られ、今日ではわずかにアンナ・ペレンナ祭の起源譚(たん)が残っているにすぎない。その失われた神話を求めて、現在神話学者たちはローマの祭儀に注目している。たとえば、曙(あけぼの)の女神マテル・マトゥタの祭であるマトゥラリアでは、婦人たちが奴隷女を鞭(むち)打って神殿から追い出し、姉妹の子供をかわいがるしぐさをするという奇妙な儀式を行うが、これはインド神話における曙の女神が、闇(やみ)を払い、姉妹の夜の女神が産んだ太陽を育てるという神話と一致している。したがって、マテル・マトゥタをめぐって、インド・ヨーロッパ語族共通の神話にさかのぼる古い話がローマに存在したと考えられる。同様の比較神話の方法により、ディウァ・アンゲロナ、フォルトゥナ・プリミゲニア、ルア・マテルなどの土着の神々の性格と神話も明らかにされている。なお『祭暦(フアステイ)』において、ローマ文学古典期の詩人オウィディウスは、おもにギリシア神話を用いてさまざまなローマの祭儀を解釈しているが、そのつくられた起源譚のなかにもしばしば古いローマ神話の要素がみいだされる。
[小川正広]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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