ドイツ南西部,バーデン・ビュルテンベルク州北西部のライン川に接する地方中心都市。人口27万7204(1999)。バーデン辺境伯,のちのバーデン大公の城館(現,州立博物館)が市の中心にあり,市街はこの城館の南側にひろがっており,北側は緑地帯である。都市づくりは,城館の建築も含めて,辺境伯カール・ウィルヘルムの下で1715年に始まったもので,カールスルーエとは〈カールの安らぎ〉の意である。その後バーデンの主都として発展。19世紀には,この地のバーデン議会は,ドイツで最も自由主義的な議会として全ドイツの注目を集めた。また鉄道の開設(1843)とともに工業化も始まり,また20世紀初頭ライン川に港も開かれて,河岸沿いに工業地帯も発展した。ドイツ統一(1871)後はもはや政治的重要性をもたず,1918年の革命で宮廷もなくなって,現在は何よりも商工業都市として生きている。産業は石油化学,鉄,機械から醸造業まで多岐にわたるが,現在は特にこの地の原子力発電が賛否さまざまな意味で注目をあびている。
執筆者:坂井 栄八郎
カールスルーエは,バロック期の都市計画で世界的に知られる。1715年にバーデン辺境伯カール・ウィルヘルムが,放射状道路網による幾何学的な都市を計画。城館を中心に家臣団住居,市民建築を順に配置して社会階層を象徴的に表現した。その後19世紀初めに建築家ワインブレンナーFriedrich Weinbrenner(1766-1826)が新古典主義的な〈総合建設計画〉を作成,古代都市風の凱旋道路を付加し,市街地建築の形態規制と補助金制度によりモニュメンタルな都市形態を完成した。
執筆者:杉本 俊多
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ドイツ西南部、バーデン・ウュルテンベルク州の都市。人口27万8600(2000)。ライン川右岸の沖積地に位置し、市域の南北には広大な森林地帯がある。絶対王制期の計画的都市の代表例にあげられる市街は、1715年バーデン辺境伯カール・ウィルヘルム(在位1709~38)が狩猟用の館(やかた)を建設したことに起源をもつ。背後に広大な庭園をもつ館を中心に、32方向に放射状の道路がつくられ、市街地は館の前面に配置された。連邦最高裁判所、同憲法裁判所のほか、河川工学・食品などの連邦研究機関、各種州機関、総合大学、音楽大学など教育機関が立地する。また、西部のライン河港には石油精製を中心に各種工業が立地し、北部の森林地帯には連邦政府の原子力研究センターもある。
[朝野洋一]
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