ドイツの劇作家ブレヒトの戯曲。北欧亡命中の1939年に完成した歴史劇で、ブレヒトが主張する叙事詩的演劇の円熟を示す。43年チューリヒで初演。イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイはベネチアでの待遇に不満でフィレンツェに移ったが、宮廷や教皇庁で真実を述べることを許されず、研究心を奮いおこしては弾圧され、しかも目覚め始めたルネサンスの市民たちとの連帯も果たせず、審問所の監視下に余生を送る。そして、ひそかに『新科学対話』を弟子の手によって未来に救い出す主人公ガリレイを30年にわたって15景で展開する。1945年から47年のアメリカ稿は原爆時代を反映してガリレイに鋭く自己批判せしめ、今日の科学者のあり方を問う。
[八木 浩]
『岩淵達治訳『ガリレイの生涯』(岩波文庫)』
…代表作の《肝っ玉おっ母とその子供たちMutter Courage und ihre Kinder》(1939。1941初演)や《ガリレイの生涯Leben des Galilei》(1938。1947改稿初演),《セチュアンの善人Der gute Mensch von Sezuan》(1940。…
…54年には旧シッフバウアーダム劇場を与えられ,56年のブレヒトの死までに,《母》《コーカサスの白墨の輪》《家庭教師》《こわれ甕》などを上演し,公式路線からの批判も,パリ国際演劇祭受賞以後の世界的名声のために弱まり,ブレヒトの変革の認識をめざす新しい演劇の実践が開花した。ブレヒトの死後も,彼が途中まで演出した《ガリレイの生涯》をはじめ,水準の高い舞台を維持し,ワイゲルを中心に後継者たちがブレヒト遺産を継承し,ラングホーフ,カルゲら若い演出家も成長した。69年,水準の維持よりはいわば〈新しい水準〉の追求を企てたウェクウェルトがワイゲルと意見が合わずに去って,女性演出家ベルクハウスRuth Berghausが監督となった。…
…幅広いレパートリーの中で特に高い評価を受けているのは,C.ゴルドーニ,W.シェークスピア,B.ブレヒトの作品である。特にブレヒトの《三文オペラ》(1955)と《ガリレイの生涯》(1963)の上演では,西ヨーロッパにおいて最も高い水準の舞台を作りあげ,ストレーレルによるブレヒトの演出は世界の脚光を浴びた。またピッコロ版シェークスピアも高い評価を受けており,なかでもストレーレル演出の《あらし》(1979)は画期的な舞台であった。…
※「ガリレイの生涯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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