インドの聖河。英語名ガンジスGanges川,漢名恒河としても知られている。本流の延長3000km,流域総面積173万km2。延長では世界の大河のなかの17位,流域面積では11位にすぎないが,文明の古さや人口の密集など文化的意義において世界有数の大河といえる。源流は中部ヒマラヤのガンゴートリーGaṅgotrī氷河に発するバギラティ川で,ガンガーを天上から地上に導いたといわれる神話のバギーラタ王の名をとどめる。深い峡谷のなかにヒンドゥー教の聖地や修道院があり,巡礼者が多い。ガンガーはヒマラヤ山中を約200km流れ,デリー北方のハルドワール付近でヒンドゥスターン平原(ヒマラヤとデカン高原との間の平野)に出る。
ハルドワールまでをガンガー上流部とすれば,中流部はここからウッタル・プラデーシュ州の平原を南東方へ,さらに東方に流れてビハール州バーガルプルに至る約2200kmの区間である。平均幅300kmの平原内をデカン高原寄りに流れ,アラーハーバードでデリー,アーグラ方面からくるヤムナー川と合流し,ワーラーナシー(ベナレス),パトナーを過ぎる間に北方から流下するゴーマティー川,ゴーグラー川,ガンダク川を,また南のデカン高原からのソーン川を合わせる。平原はガンガー本・支流が運んだ厚い沖積層からなり,地形的には川沿いの比較的低い土地の〈カダール〉と,より古い時代に堆積した河間地域の〈バンガール〉とに分けられる。前者は雨季にしばしば浸水被害があるが,後者は古くから灌漑され,ほとんど耕地化されて米・小麦,小麦・サトウキビなどの二毛作が行われている。なかでも,上部ガンガー用水路(1854完成),下部ガンガー用水路(1878完成),サルダ用水路(1926完成)は独立前からの重要な灌漑水路であった。1960年代からポンプ揚水による井戸灌漑が普及し,その灌漑面積は水路灌漑の2倍を超えている。
バーガルプルを過ぎて西ベンガル州に入ると,ガンガーは急に南流してベンガル湾に向かう。ここがガンガー下流部である。ここではアッサムから東流してきたブラフマプトラ川と合流する一方で,多数の分流を生じて,ガンガー・ブラフマプトラ三角州(デルタ)を形成する。流路の変遷がはげしいが,現在の本流は最も東側のパドマPadma川であり,バングラデシュを流れる。カルカッタ(現,コルカタ)は最も西を流れるフグリHooghly川左岸に発達した都市で,河口から約150kmの地点ながら感潮限界内にあるので,帆船時代からかっこうの船着場であったといわれる。低湿なデルタには一面に水田がひらけ,集落はやや小高い自然堤防上に立地する。しかし,サイクロンの襲来が満潮と重なると,耕地も集落も海水に没してしまう。1876年には1時間半の間に10万人がおぼれ,1959年にも10万戸が失われた。
執筆者:藤原 健蔵
前1500年前後にインダス川上流に侵入したインド・アーリヤ人は,前1000年ころにはガンガー(ガンジス),ヤムナー(ジャムナ)両川を中心とするガンガー川中流域に進出し,ベーダという宗教文献を編纂し,複雑な祭祀の体系を整備していった。先住民を彼らの社会体制の中に組み入れてゆく過程において,アーリヤ人の文化は先住民の宗教や生活習慣と融合して変容をとげた。後世のインド社会に決定的ともいえる影響を与えたベーダの思想・文化は,このガンガー川中流域の農耕社会を背景に成立したのである。湿潤で肥沃なこの地域では農業生産が増大して商業の発達をうながし,都市の成立をみるようになった。ベーダ文化の辺境の地であった下流域では,前6~前5世紀に自由な思想家たちが輩出し,その中から仏教やジャイナ教が生まれた。ほぼインド全土を初めて統一したマウリヤ朝は,下流域の中心都市パータリプトラ(現,パトナー)に都を置き,インド古典文化の絶頂期を築いたグプタ朝もここを都とした。12世紀末にはゴール朝がガンガー川流域を占領し,ここにムスリム(イスラム教徒)によるインド支配が始まる。南インドの文化史もまたガンガー川流域の文化の受容と反発の歴史としてとらえることも可能である。まさにインドの歴史・文化は,ガンガー川流域を舞台に展開したのである。
インドでは古くから水や河川が信仰の対象とされ,ガンガー川は諸河川の中でも最も神聖視された。ガンガー川に対する信仰は,この川がもともと天上界を流れていた聖河であるという神話を生んだ。川岸には無数の聖地があり,その中でもハルドワール(ハリドワール),アラーハーバード,ワーラーナシーが最も重視されている。聖地にはガート(沐浴場)が設けられ,沐浴によって罪障を洗い落とすことができると信じられている。ヒンドゥー教徒にとってはガンガー川での沐浴は最高の喜びであり,もしガンガーの岸辺で亡くなり,荼毘(だび)に付されて遺骨や灰がガンガー川に流されるならば,まさに無上の喜びとされる。
インドに限らず古代においては,陸路よりも水路の方がより安全で容易な交通手段であったし,通商路は河川沿いに発達することが多かった。前3世紀中期のアショーカ王は北インド各地の仏教聖地に10m余に及ぶ継ぎ目のない高大な石柱を造立したが,それらはすべてワーラーナシー南方のチュナールで制作され,その運搬にはガンガー川およびその支流の舟運を利用したと思われる。マトゥラーやサールナートの仏像もまたガンガー水系を運ばれていった。河川が文化伝播に重要な役割を果たしたことは,サーンチー,ウダヤギリ,エーラン,デーオーガルなどのグプタ時代の重要な遺跡が,ビンディヤ山中から北上してヤムナー川に注ぐベートワー川とその支流沿岸に分布している一例をもって示すことができる。西部ヒマラヤ山中のガンゴートリーに源を発し多くの支流の水を集めてベンガル湾に注ぐガンガー川は,自然をはぐくみ,数億もの民を養ってきた。それゆえ,人々は〈母なるガンガー〉と呼んであがめるのである。
執筆者:肥塚 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
インドの北部を流れる大河ガンジス川のサンスクリットやヒンドゥー語による呼称。
[編集部]
…ここではその問題を,インド人とアメリカ人のそれと比較することを通して浮彫にしてみよう。 インドのベナレスはガンガー(ガンジス)川の中流域に位置する聖地であるが,そこには医者からも天命からも見放された巡礼たちが,最後の死出の旅路を求めてやってくる。彼らは死後ガンガー河畔で焼かれ,骨灰が川に流されることで昇天する,と信じている。…
…水はあらゆる生命の生成と存続にとって不可欠の存在であるところから,世界各地においてそれ自体が超自然力を保持するものとみなされる例は多く,さらに水(雨,海洋,河川,井戸など)をつかさどる独立の神格が崇拝される例も多い。トロイア人がスカマンドロス川Skamandrosの聖なる力を信仰し,牛や馬を供犠として深みに投じたことや,ガンガー(ガンジス川)が清浄力をもつとされ,古代から現代にいたるまで沐浴する者が後を絶たず,遺骨が投棄されることはよく知られている。水を支配・統御する独立の神(霊)として有名なものにシュメールの水神エンキ(バビロニアではエア),アッカドにおける雨の神としてのアダドまたはハダド,エジプトのナイル川を支配する神のハピHapi,さらに,ギリシアの海洋神ポセイドン,ローマの海神ネプトゥヌス,インドをはじめ日本も含むアジア各地で崇拝されている水神ナーガNāga=竜神などがある。…
※「ガンガー川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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