改訂新版 世界大百科事典 「パトナー」の意味・わかりやすい解説
パトナー
Patnā
インド東部,ビハール州西端部にある同州の州都。人口136万6444(2001)。位置は古代のパータリプトラをほぼ踏襲する。ガンガー(ガンジス)川が北からガンダク川,南からソーン川を合わせる同川中流域平野の要地を占め,古くから都市文明を発展させてきた。その歴史は前5世紀初めにここに城塞が建設されたことに始まる。同世紀中葉にマガダ国のウダーイン王が首都をラージャグリハからここに移した。以後ナンダ,マウリヤ,シュンガ,カーンバ諸王朝の首都として栄えた。なかでもマウリヤ王朝のチャンドラグプタ王のときに繁栄し,当時セレウコス朝の使節としてここに駐在したメガステネスは,市の規模は15km×3kmに及び,まわりを幅180mの濠と木の防塞で囲まれ,64の市門を擁すると述べている。同王の孫アショーカ王の時代には全盛期を迎え,ここを中心に仏教文化が各地に広まっていた。当時の遺跡は市南部のクムラハールで発見されており,チーク材で築いた防塞と東西8列,南北10列の砂岩の円柱礎石をもつ列柱ホールが発掘されている。4世紀初めのグプタ朝も当初の首都をここに置いたが,637年に玄奘が訪れた頃にはかつてのパータリプトラは廃墟と化していた。以後,北インドの政治中心はより北西方向に遷移するに及んで地方中心都市へと転位した。
現在の市街地はガンガー川南岸沿いの自然堤防上を,およそ東西18km,南北3kmでベルト状に延びる。東半部のムガル帝国時代から続く旧市は,シティあるいはアジーマーバード(17世紀後半にここを統治したムガル皇帝アウラングゼーブの孫アジームにちなむ)と呼ばれる商工業地区で,米,小麦,砂糖などを集散するとともに,シンチュウ製品,家具,金銀糸などの伝統工業が立地する。市中には16世紀中期にビハールを支配していたスール朝のシェール・シャーが1545年に建立したモスク,シク教第10代教主ゴービンド・シング(在位1675-1708)の生誕地を記念する同教寺院(ハール・マンディル)がある。18~19世紀にはパトナーはアヘン交易の中心地で,オランダ,イギリス,フランス,デンマークの商館が設けられた。旧市西端にはイギリス東インド会社のアヘン倉庫兼加工場が残る。西半分のバンキープルはイギリス領時代に建設された居住区にあたる新市で,高級商店街,諸官庁,高等法院,大学などがある。市の拡大に伴い,新しい住宅地が西方および南方に広がっている。
執筆者:応地 利明
パトナー博物館
市の西部にあるビハール州立のパトナー博物館(1917創設)は,同州から出土した美術品の最も充実したコレクションで知られている。ディーダルガンジ出土の払子(ほつす)を持つヤクシー像(前2世紀初期)はマウリヤ朝守護神像の最高傑作である。グプタ朝時代からパーラ朝時代にかけての仏教やヒンドゥー教の石彫,クルキハールなどの仏教遺跡から出土した青銅像に優品が多く,古代のテラコッタ彫刻は質量ともにインド随一であり,タンカなどのネパールやチベットの遺品にも見るべきものがある。
執筆者:肥塚 隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報