クニッピング(その他表記)Erwin Knipping

精選版 日本国語大辞典 「クニッピング」の意味・読み・例文・類語

クニッピング

  1. ( Erwin Knipping エルウィン━ ) ドイツの気象学者。明治四年(一八七一船員として来日。逓信省内務省の御雇いとなり、測候所の設立、天気図作成など、日本の気象事業の発展に貢献した。(一八四四‐一九二二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「クニッピング」の意味・わかりやすい解説

クニッピング
Erwin Knipping
生没年:1844-1922

日本の気象事業の創設に大きな貢献をしたドイツの気象学者。クレーフェに生まれ,1864年オランダの航海学校に入る。67年一等航海士として汽船クーリエ号に乗り遠洋航海に従事する。71年(明治4)船が転売されたため日本に下船大学南校の教師となりドイツ語,数学などを教えた。気象に関心が深く,官舎気象観測器械を備え,学生を助手として定時観測を始めた。75年には東京外国語学校の教師となり,翌年は内務省駅逓寮に移り,管船課司験官となった。81年満期解雇となったが,ドイツ公使を通じ,暴風警報事業の必要性を政府に建白した。これが入れられ,82年には内務省地理局暴風雨取調掛に雇われ,暴風警報事業の創設に当たった。83年2月16日に日本ではじめて天気図をつくり,同年5月26日にはじめての暴風警報を出した。そして翌年6月1日から天気予報が出されるようになった。はじめは一人で天気図の作成,天気予報の発表を行っていたが,和田雄治,馬場信倫らの技術者を育成し,天気予報業務の基本を確立した。91年満期解雇となり,故国に戻り,ハンブルクの海洋気象台に勤めた。1909年退官。なお,帰国に際しては,日本政府から勲三等瑞宝章を贈られた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クニッピング」の意味・わかりやすい解説

クニッピング
くにっぴんぐ
Erwin Knipping
(1844―1922)

明治初年に来日し、日本における暴風警報および天気予報事業の創業に尽力したドイツ人。オランダ国境に近いクレーフェに生まれ、アムステルダムの商船学校を卒業して二等航海士となり、汽船クーリエに乗り組んで東洋に来航した。たまたま同船が日本に売却されることになったので、1871年(明治4)に下船し、開成学校の数学教師となった。1876年逓信(ていしん)局に雇用されている間に、暴風警報の必要性を説いた建白書を提出。1881年から内務省御雇いとなって暴風警報事業を始め、1883年5月26日、日本最初の暴風警報が発せられ、翌1884年から全国の天気予報の発表が開始された。1891年帰国し、ハンブルクの気象台の助手を務めた。著書はとくにないが、ドイツ系のアジア協会の雑誌に、日本の気象や暴風の特徴について述べた論文を何編か発表している。

[根本順吉 2018年8月21日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「クニッピング」の解説

クニッピング Knipping, Erwin

1844-1922 ドイツの気象技術者。
1844年4月27日生まれ。アムステルダムの商船学校を卒業して汽船の航海士となり,東洋に来航。明治4年東京で下船し,大学南校の数学教師をへて内務省暴風雨取調掛となる。16年日本ではじめて天気図をつくって暴風雨警報をだし,17年から天気予報をはじめた。24年帰国。1922年11月22日死去。78歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「クニッピング」の解説

クニッピング

生年月日:1844年4月27日
ドイツの気象学者
1922年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む