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クレメンティ クレメンティClementi, Muzio

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クレメンティ
Clementi, Muzio

[生]1752.1.23. ローマ
[没]1832.3.10. イーブシャム
イタリアのピアニスト,教育家,作曲家。幼時から楽才を認められ,21歳のときロンドンデビューし,成功を収めた。以後ヨーロッパ各地を演奏旅行して名声を博す。 1781年モーツァルトウィーンピアノの競演を行う。 82年以後はおもにイギリスに住み,指揮者,ピアニスト,教師として活躍。その門からは,I.モシェレス,J.クラーマー,G.マイアーベーアら多くのすぐれた音楽家が出た。近代的なピアノ技術の基礎となった練習曲集『グラドゥス・アド・パルナッスム』 Gradus ad Parnassum (1817) を編み,60曲をこえるピアノ・ソナタなどを残している。

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百科事典マイペディアの解説

クレメンティ

イタリアの作曲家,ピアノ奏者。ローマに生まれ,1766年の渡英以後はロンドンを中心に活動。教育者としてすぐれ,近代ピアノ奏法の確立に貢献した。多くのピアノ・ソナタのほか,晩年に書かれたピアノ教則本《グラドゥス・アド・パルナッスム》(1817年−1826年)が知られる。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

クレメンティ

古典期の作曲家・鍵盤演奏者。ローマの細工師の家に生まれた。少年期にロンドンに渡り、以後活動の拠点とした。交響曲、協奏曲室内楽など各ジャンルに作品を残しているが特に鍵盤楽器の作品が多い。ソナチネはピア ...続き

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世界大百科事典 第2版の解説

クレメンティ【Muzio Clementi】

1752‐1832
イタリアの作曲家,ピアノ奏者。1766年にイギリスに渡って以来,実質的な活躍の中心はロンドン。初期は,ピアノ奏者,さらに指揮者として活躍し,70年代末から約25年間はピアノ・ソナタやトリオなども多く創作,90年代に入って楽譜出版事業とピアノ製造業にも乗り出す。またクラーマー,モシェレス,フィールドなど優秀な弟子を育てた。晩年に書いた《グラドゥス・アド・パルナッスム》(1817‐26)は今日でも重要なピアノ教則本として通用している。

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大辞林 第三版の解説

クレメンティ【Muzio Clementi】

1752~1832) イタリアの作曲家・ピアノ奏者。古典派初期に活躍、近代的ピアノ奏法の創始者。ピアノ教則本を著し、多数のソナタ・ソナチネなどを作曲。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クレメンティ
くれめんてぃ
Muzio Clementi
(1752―1832)

イタリアのピアノ奏者、作曲家。ローマに生まれ、ロンドンを中心に活躍した。1781年にウィーンでモーツァルトと競演したエピソードは有名。モーツァルトはクレメンティの外向的ではでな奏法を酷評したが、そうした奏法は当時完成途上にあったピアノの表現力の拡大を意図したものであり、のちにベートーベンはクレメンティの簡潔でスケールの大きなソナタから大きな影響を受けた。70曲余のピアノ・ソナタを残しており、小形式のソナタ、ソナチネは初心者の教材として広く親しまれている。[大久保一]

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