デジタル大辞泉
「チェルニー」の意味・読み・例文・類語
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チェルニー
- ( Karl Czerny カール━ ) オーストリアのピアニスト、作曲家。ベートーベン、クレメンティに師事。F=リストを育てた。ピアノ練習曲を数多く残し、現在もピアノ教本として愛用される。(一七九一‐一八五七)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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チェルニー
Carl Czerny
生没年:1791-1857
オーストリアの作曲家,ピアニスト。ピアノ教則本の作曲で知られる。ベートーベンやフンメルに師事,若くして演奏家および教育者としての名声を確立。1837年にはパリとロンドン,46年にイタリアにそれぞれ演奏旅行を行ったほかはウィーンを中心に活動。F.リストも彼に師事した。作品の多くはピアノ教則本で,いわゆる《チェルニー100番》(作品139)や《チェルニー30番》(作品849)ほかがある。
執筆者:西原 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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チェルニー
Čzerny, Karl
[生]1791.2.20. ウィーン
[没]1857.7.15. ウィーン
オーストリアのピアニスト,教育家,作曲家。ベートーベンに学び,幼少時から才能を発揮し,ピアニストとして将来を嘱望された。しかし内気な性格から,20代で演奏界から引退し,以後教育者としてリストや多くの音楽家を育てた。 1000曲をこえる作品は,宗教音楽や劇音楽から交響曲まであらゆる種類に及ぶが,特に教育用のピアノ曲にすぐれたものが多く,なかでも op.849は『チェルニー 30番』,op.299は『チェルニー 40番』,op.740は『チェルニー 50番』として,日本でもピアノ学習者必修の教則本とされている。
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チェルニー
ちぇるにー
Carl Czerny
(1791―1857)
オーストリアのピアノ奏者、教師、作曲家。ウィーンで音楽家の家系に生まれ、父にピアノを学び、10歳でデビュー。ベートーベンに認められその愛弟子(まなでし)として活躍したが、内気で、あがりやすい性格のため20代前半で演奏活動からは退き、以後教育と作曲に専念、ウィーン最高の教師として絶大な名声を得た。弟子にはリストがいる。初心者から専門家までを対象とする数多くの練習曲を残しており、その多くが今日も代表的なピアノ教則本として広く用いられている。
[大久保一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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チェルニー(ツェルニー)
ヴィーンのピアニスト、ピアノ教師、作曲家。10歳でベートーヴェンに師事し、そのピアノ作品の演奏でピアニストとして高い名声を得た。ハンスリクをして「フンメル以降の最大のピアニスト」と言わしめたが、次第に ...続き
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
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