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ケルビーニ Cherubini, (Maria) Luigi (Carlo Zenobio Salvatore)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ケルビーニ
Cherubini, (Maria) Luigi (Carlo Zenobio Salvatore)

[生]1760.9.14. フィレンツェ
[没]1842.3.15. パリ
イタリアの作曲家。父親,およびフェリチ父子に手ほどきを受ける。初期には,パレストリーナ様式に基づくミサオラトリオカンタータなどの宗教作品を多数作曲。 1785年にはロンドン宮廷作曲家をつとめ,翌年パリへおもむき,88年に野心的なフランス・オペラ『デモフォーン』を上演,19世紀フランス・グランド・オペラの先駆をなした。続いて『メデー』 (1797) ,『二日間 (水運び) 』 (1800) など特色あるオペラを上演して成功,ベートーベンも彼のオペラを高く評価した。 1816年ルイ 18世の宮廷礼拝堂楽長となり,ミサ,レクイエムなどの教会音楽に集中し,古いイタリアの対位法様式を復活させた。 22年パリ音楽院の院長に就任,以後 20年間指導的役割を果した。

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百科事典マイペディアの解説

ケルビーニ

イタリアの作曲家,教育家。フィレンツェ,ボローニャ,ベネチアでオペラ作曲家G.サルティ〔1729-1802〕らに学び,劇音楽に習熟。1886年パリに居を定め,指揮者として活動する一方,オペラを中心に作曲を続けた。
→関連項目カラス

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ケルビーニ

イタリアの作曲家。理論家や指導者としての活動も行った。ハープシコードの奏者であった父親の10番目の子どもとして生まれ、6歳から父親の手ほどきを受けた。9歳の時にバルトロメオとアレッサンドロのフェリー ...続き

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世界大百科事典 第2版の解説

ケルビーニ【Luigi Cherubini】

1760‐1842
イタリアの作曲家。9歳から音楽学校に入り,1779年までにミサ,マニフィカトなど約40曲の宗教的作品を書いている。1778年G.サルティのもとに行き,対位法の技術と劇音楽の基礎を身につけ,80年,20歳のときオペラ《クイント・ファビオ》ほか数曲の作品を書いた。86年以来パリに定住し,新作のオペラの作曲のほか指揮をとった。1822年からはパリ国立音楽院院長も務めた。おもにオペラ・コミックの分野で活躍したが,レクイエム等の宗教作品や交響曲弦楽四重奏曲も作曲,声楽・器楽両分野でフランス音楽における古典主義時代からロマン主義時代への橋渡し的役割を果たし,当時パリで知られるようになったウィーン楽派の作風を積極的に導入した作品を残した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ケルビーニ
けるびーに
Luigi (Zanobi Salvadore Maria) Cherubini
(1760―1842)

イタリアの作曲家。フィレンツェ生まれ。1788年からはパリに住んで、フランス語によるオペラ作曲家として名声を博した。チェンバロ奏者の父から音楽の手ほどきを受け、1778年にはボローニャでサルティに師事、翌年にはミラノに移り作曲技法を磨いた。80年、20歳でオペラ『クィント・ファービオ』をピエモンテ地方のアレッサンドリアで上演、オペラ作曲家の道を歩き始めた。その後フィレンツェなどトスカナ地方の諸都市を中心にオペラを発表、いちおうの成功を収めはしたが、経済的困窮から84年ロンドンに行き、ヘイマーケットのキングズ劇場の音楽家となった。
 1788年にはパリに移り、同年最初のフランス語作品『デモフォーン』をオペラ座で上演、これはあまり評判にならなかったものの、『ロドイスカ』(1791)が大成功、一躍彼の名声を高めた。その結果、視学官に任命され、95年にパリ音楽院が発足すると、グレトリー、メユール、ゴセックらとともに作曲の教授に就任した。97年には彼のオペラのなかで今日も上演される『メディア』を、ついで1800年には『二日間』を発表、後者はフランス革命前後に流行した「救出オペラ」の代表的作品で、波瀾(はらん)に満ちた筋とケルビーニの劇的効果をもった音楽が調和、大成功となった。ナポレオンに好まれなかった彼は、以後創作面では低調で、05年ウィーンで『二日間』などを上演、ハイドンやベートーベンと知り合ったほかは、作曲から遠のいた生活をパリで続けた。そして、ナポレオン失脚後、宮廷礼拝堂音楽監督に招かれたのを機に宗教音楽や室内楽曲を多く作曲、また22年から42年まではパリ音楽院院長の地位にあり、19世紀フランス音楽を代表する音楽家たちを多数教育した。[美山良夫]

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世界大百科事典内のケルビーニの言及

【フランス音楽】より

…そして19世紀になっても大勢は依然オペラが第一であった。しかも,D.F.A.オーベールの《ポルティチの啞娘》,J.F.アレビーの《ユダヤの女》あたりを例外として,もっぱら外来者ケルビーニ,ロッシーニ,とりわけドイツ系ユダヤ人の折衷主義者マイヤーベーアの《鬼のロベール》以降の諸作が,オペラ・ロマンティックすなわちグラントペラgrand opéra(グランド・オペラ)に君臨していた。かたわら1780年代以降の〈ロマンス〉流行を反映してか,多くのフランス人作曲家(ボイエルデュー,オーベール,F.エロール)は,オペラ・コミックの作曲に励む。…

※「ケルビーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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