改訂新版 世界大百科事典 「ゲオルギウデジ」の意味・わかりやすい解説
ゲオルギウ・デジ
Gheorghe Gheorghiu-Dej
生没年:1901-65
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1901~65
ルーマニアの政治家。1930年共産党入党。33年鉄道石油労働者のストライキを指導,懲役刑を言い渡されたが,34年党中央委員に選ばれ獄中から党活動を指導,45年党第一書記に就任。48年社会党と合同して結成された労働者党第一書記となった。52年国家評議会議長。当初は親ソ的だったが,党内国内派の中心的存在でモスクワ派の排除に努めた。スターリン批判,ハンガリー事件の動揺を乗り切り,COMECON(コメコン)内の分業体制に反対,60年以降対外的に自主路線を追求した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…パトラシュカヌが失脚し,ルーマニアの党は東欧でも最もソ連に忠実な党といわれた時期であり,それがスターリンの死までつづいた。(4)1953年3月~65年3月19日 ゲオルギウ・デジの指導した時期で,53年のベルリン暴動以後ソ連とルーマニアの合弁企業の廃止やソ連駐留軍の削減が目だち,59年にはCOMECON(コメコン)の主張する社会主義諸国間の分業体制に反対した。60年以後の中ソ論争では中国に対する非難を拒否し,64年にはマウレル首相が中国を訪問し,またアルバニア,ユーゴスラビアとの関係改善を図るなどの自主外交を展開した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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