コジコーデ(読み)こじこーで(英語表記)Kozhikode

デジタル大辞泉 「コジコーデ」の意味・読み・例文・類語

コジコーデ(Kozhikode)

コージコード

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コジコーデ」の意味・わかりやすい解説

コジコーデ
こじこーで
Kozhikode

インド南部、ケララ州北部の、マラバル海岸に面した港湾都市。コーリコードともいう。英語名でカリカットCalicut。人口43万6527(2001)、55万0440(2011センサス)、周辺部を含む人口88万0168(2001)。港としては近代的設備がなく、沖合いに停泊した船と陸との間に艀(はしけ)を使って貨物の移出入を行っているが、現在でもインド西海岸の重要な港の一つで、海岸近くには多数の倉庫や港湾施設がある。この地に特産のコショウや、ココヤシコプラ、ゴム、コーヒー、茶、ローズウッド(木材)などが取引される。中世には手織り綿布の生産が盛んで、綿布のキャラコはカリカットの地名に由来するといわれる。

 1498年、ポルトガル人バスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ってこの地に到着し、ヨーロッパ人の東方進出の第一歩をしるしたことで有名。1513~1525年の間はポルトガルの根拠地となり、その後も17~18世紀の間、イギリス、フランス、デンマークなどの領有するところとなった。

 旧市街はポルトガル風のおもかげを残し、イギリス風のインドの諸都市とは違った風情をもつ。人々の服装女性スカーフで顔を包むなど、インドの他地域と異なったスタイルである。キリスト教徒もインドでは多い地方で、歴史の古い教会が古い町の中にある。ゴアにも近く、ポルトガル人との混血で色の白いゴアニッシュ・ピープルとよばれる住民も多い。

[北川建次]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コジコーデ」の意味・わかりやすい解説

コジコーデ
Kozhikode

旧称カリカット Calicut。インド南西部,ケララ州中北部の港湾都市。アラビア海に面する主要港であるが,6~8月は南西季節風のため港は閉鎖され,それ以外の時期でも,港が浅いため船舶は沖合い 5kmに停泊して荷役する。古くからアラビアとの貿易が開かれ,7世紀にはアラブ人集落がつくられた。 1498年にバスコ・ダ・ガマが訪れ,その後ポルトガルが進出,1511年には新たに港が建設された。 1664年にイギリス,98年にフランス,1752年にはデンマークもここで貿易を開始。 65年マイソール藩王ハイダル・アリが侵入し,町は破壊された。 90年イギリス東インド会社が占領,2年後町を復旧してマラバル海岸支配の拠点とした。現在はコプラ,コショウ,コーヒー,茶などの積出港で,南方のカライ川河口には大規模な貯木場がある。製材,タイル製造,繊維工業のほか,農産物の加工が行われる。綿織物キャラコ calicoはこの地の名に由来。また教育の一中心地で,多くのカレッジをもつカリカット大学と海洋生物研究所がある。人口 41万 9531 (1991) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「コジコーデ」の意味・わかりやすい解説

コジコーデ

カリカット

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のコジコーデの言及

【カリカット】より

…インド南西端ケーララ州北部のマラバル海岸に面する港市。現地名はコジコーデKozhikode。人口42万(1991),大都市域人口80万人(1991)。…

※「コジコーデ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android