コム(読み)こむ(英語表記)Qom

デジタル大辞泉 「コム」の意味・読み・例文・類語

コム(Qom)

ゴム

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改訂新版 世界大百科事典 「コム」の意味・わかりやすい解説

コム
Qom

イランの都市で,テヘランの南120kmにあるシーア派十二イマーム派の聖地の一つ。人口99万(2003)。クムQum,ゴムともよばれる。古代にはゾロアスター教の聖地で,816・817年8代イマーム,イマーム・レザーの妹ファーティマがここで客死してその廟が建てられ,聖地となった。とくに,サファビー朝はその廟を改築して同市への巡礼を勧め,それ以降急速に発展した。今日でもモスク208,マドラサ(学院)10など宗教施設は多く,ホメイニー師が学び教鞭をとったハウゼ・ウルミエ・コム学院(1921創設)は有名。とくに同学院はイラン革命後,宗教勢力の中心として注目されている。同市は大陸性気候のため夏は暑く,冬は気温が0℃以下に下がる。降雨量も月平均13.6mmと少ない。農業ではザクロなどの果樹園もある。伝統的手工業として陶器,絹製じゅうたんの製造業も有名である。1955年にコム石油貯蔵タンクが建設された。イラン・イラク戦争後は同市内の各宗派事務所の援助もあって,同市人口は難民流入が多く,82年80万人にまで膨張した。
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百科事典マイペディア 「コム」の意味・わかりやすい解説

コム

イラン中部の都市。ゴムまたはクムとも。テヘラン南部,イスラム教シーア派神学の中心地の一つ。イマーム・レザーの妹ファーティマの廟を含め,諸王の廟やモスク,ホメイニーが教えた学院などがある。鉄道分岐点。穀物と綿花が豊富で,ガラス,陶器,皮革工業も盛ん。石油も発見された。107万4036人(2011)。
→関連項目イラン革命

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コム」の意味・わかりやすい解説

コム
Qom

クム Qumともいう。イラン中央北部,マルカジー州の都市。テヘラン南西約 130km,コム川の両岸にまたがり,カビール砂漠の周辺部に位置する。宗教都市として知られ,市内外にはおよそ 400人の聖者とアッバース2世など 10人に上る王が埋葬されており,金色ドームをもつアリー・アッリダーの妹ファーティマの墓廟には多くの巡礼者が集る。市の南部には 14世紀に造られた5つの墓陵が集り,それぞれみごとな漆喰浮彫で名高い。織物を中心とする工業が盛んで,1970年代初期にはクム川上流にダムが完成し,なおいくつか建設中である。イラン縦断鉄道に沿う。人口 68万 1253 (1991) 。

コム
COM; computer output microfilmer

コンピュータ出力マイクロフィルム装置。コンピュータの出力情報をマイクロフィルム上に文字や図形として記録する装置。永久保存のための情報は COMによってフィルムにして保存することが行われる。記録方式としては,高解像度,高輝度 CRT面上に出力し光学系でフィルムに縮小撮影する CRT方式と,レーザービームを使って直接フィルム上に1ページ分を記録するレーザービーム方式とがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コム」の意味・わかりやすい解説

コム
こむ
Qom

イラン中部の都市。ゴムまたはクムともいう。テヘランの南120キロメートルに位置し、標高928メートル。年降水量144ミリメートル。人口77万7677(1996)、120万1158(2016センサス)。テヘランとアバダーンを結ぶイラン横断鉄道から、カーシャーンへ向かう分岐点で、農産物の集散地、工芸品の産地として知られる。シーア派第8代のイマーム・レザーの妹マアスーメの廟(びょう)があり、マシュハドとともにシーア派教徒の巡礼地、シーア派神学の中心都市である。カージャール朝の王などの墓も多い。

[岡﨑正孝]

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