イランを支配したトルクメン系の王朝。1779-1925年。部族としてのカージャール族の名は15世紀に初めてみえる。サファビー朝のクズルバシュ(紅帽軍)を構成する部族で,17世紀までアゼルバイジャン地方で遊牧していた。その後,辺境防備のためカスピ海南東のゴルガーン地方に移された。1779年,族長アーガー・ムハンマド(モハンマド)・ハーンはザンド朝のカリーム・ハーンを倒してイランを統一し,86年テヘランを首都に定めた。カージャール朝の国家構造は遊牧分封制的で,一族を地方知事に任命し,軍人には分与地(トゥユール)を与えた。19世紀になると,イランへのイギリス,ロシアの進出が始まった。ロシアはカフカスの領有権をめぐって2度にわたる対イラン戦争を行い,それぞれゴレスターン条約(1813),トルコマンチャーイ条約(1828)を結んで同地方を割譲させた。イギリスは1841年イランとの間に通商条約を締結し,56年にはヘラート問題に介入してペルシア湾から攻撃を加え,同地方を一時占領した。
イランの従属化が進行する中で,1844年イラン南部地方を中心にバーブ教運動が起きた。これはセイエド・アリー・モハンマドを指導者とするメシア思想の宗教反乱の形をとったが,その背景には民族主義的運動があったといわれる。48年宰相に就任したミールザー・タキー・ハーン(アミール・カビール)は,近代改革を軍事・財政・行政・教育の各分野にわたって推進したが,51年に暗殺され,王朝の立て直しは失敗に終わった。70年以降,王朝財政は破綻し,道路建設・電信敷設・河川航行・銀行開設等の利権を,ヨーロッパの投資家に譲渡していった。90年イギリス人に譲渡されたタバコ利権をめぐって,ウラマーを中心にタバコ・ボイコット運動が組織された。この運動は民衆に反帝国主義闘争とカージャール朝専制体制の打倒の必要性を自覚させた。1905年,憲法と議会の開設を要求してイラン立憲革命が起こった。この革命運動はタブリーズ武装蜂起(1908-11)のころまで高揚したが,第1次世界大戦の勃発,19年のイギリス・イラン協定によって革命の活力は急速に失われていった。20-21年ロシア革命の影響をうけた民族解放運動が,ギーラーン,アゼルバイジャン,ホラーサーンで起こり,社会主義的な地方革命政府が樹立された。しかし,軍務大臣レザー・ハーン(後のレザー・シャー・パフラビー)は,対ソ条約を締結してソビエト軍を撤退させ,地方革命政権を武力で鎮圧,25年カージャール朝を廃して自らパフラビー朝を建てた。
執筆者:坂本 勉
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1796~1925
イランのトゥルクメン系王朝。ザンド朝,アフシャール朝を倒しイラン高原を統一したアーガー・ムハンマドによって樹立された。首都テヘラン。英露を中心とする西欧列強の進出に直面し,2度のロシア‐イラン戦争によりカフカース領をロシアへ割譲(1813年ゴレスターン条約,1828年トルコマンチャーイ条約)。48年から52年にかけてはバーブ教徒の乱による大きな社会不安も体験した。48年宰相となったアミール・キャビールは多方面にわたる近代化改革を進めたが,51年に暗殺された。宮廷の濫費もあいまって財政は破綻し,60年代以降,さまざまな利権の西欧資本への譲渡が行われた。このようなカージャール朝に対する臣民の抵抗は,91~92年のタバコ・ボイコット運動をへてイラン立憲革命につながり,1906年には立憲制が樹立された。第一次世界大戦後,国内各地に社会主義革命政権が樹立され混乱,軍部を背景に事態を収拾したレザー・シャーが25年にパフラヴィー朝を興すにあたり,カージャール朝の廃止も決定された。
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近代イランの王朝(1779~1925)。カスピ海南東部ゴルガーン地方に遊牧していたトルコ系のカージャール部族が、アーガー・モハンマドに率いられて1779年ザンド朝を倒してイランを統一した。1786年首都をテヘランに移した。同朝の国家構造は遊牧分封制に基づく中世的なものであり、19世紀になると、イギリス、ロシアを中心とするヨーロッパ列強の経済的、政治的侵略にさらされた。二度にわたる対ロシア戦争の結果、1828年のトルコマンチャーイ条約によってカフカスの領土を失い、41年のイギリスとの通商条約締結によって資本主義の市場に組み込まれた。1848~51年の宰相アミール・カビールによる近代改革は実効をあげず、70年代以降のヨーロッパ人投資家に対する各種利権譲渡によって王朝の体制は弱体化した。1891~92年のたばこボイコット運動、1905~11年の立憲革命によって王朝の支配権は揺らぎ、第一次世界大戦後の1921年のレザー・ハーンの軍事クーデターで事実上、崩壊した。
[坂本 勉]
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