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コリント Corinth, Lovis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コリント
Corinth, Lovis

[生]1858.7.21. タピアウ
[没]1925.7.17. オランダ,ザントフォールト
東プロシア生れのドイツの画家。 1876~80年ケーニヒスベルク,80~84年ミュンヘンの美術学校に学び,84~87年パリで制作。 1900年ベルリンに移住。初期の作品は P.ルーベンスや F.ハルスの影響を受けて写実主義的であったが,やがて外光派絵画へ向い,11~12年ベルリン分離派を主宰し,ドイツ印象派の代表的存在となる。 11年突然中風に見舞われてからは,次第に表現主義的傾向を強めた。 18年以後しばしばバルヘンゼーを訪れ,一連の風景画を制作。画題は風景,肖像,静物のほか宗教画や歴史画も描き,晩年には石版,エッチングの秀作も残した。著書に『自叙伝』 Selbstbiographie (1926) などがある。

コリント
Corinto

ニカラグア西部の都市。レオンの西北西約 30km,太平洋岸コリント湾内の低平なプンタイカコ島にある港湾都市で,本土とは橋で結ばれる。大型船が接岸できる同国唯一の港で,同国の主要港として輸出の大半を取扱う。主要輸出品はコーヒー,綿花,砂糖,木材,皮革など。鉄道が通じ,国内主要都市と連絡。人口2万 4250 (1985推計) 。

コリント

コリンソス」のページをご覧ください。

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世界大百科事典 第2版の解説

コリント【Lovis Corinth】

1858‐1925
ドイツの画家。東プロイセン,タピアウの出身で,ケーニヒスベルクの美術学校を経て,ミュンヘンの美術学校に学んだ。同地でライブルらの写実主義の影響を受けたのち,自由な空気を求めて1900年ベルリンへ移り,ベルリン分離派に加わった。以後,M.リーバーマン,スレーフォークトと並んで,分離派(ゼツェッシオン)を中心とするドイツ印象派の重鎮として活躍。作風は,初期の写実主義的なものから,しだいに色彩・筆致の自由奔放さを示すようになり,とりわけ晩年には表現主義的な画風に近づいた。

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大辞林 第三版の解説

コリント【Corinth】

ギリシャ南部、ペロポネソス半島の付け根に位置する商業都市。古代ギリシャの都市国家の一。コリント運河に臨み、水陸交通の中心として繁栄。陶器製造の中心地。

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世界大百科事典内のコリントの言及

【コリントス】より

…人口2万8000(1982)。コリントCorinthともいう。野菜,果物類,オリーブ油,ブドウ酒,干しブドウ,絹織物などを産する。…

【コリント人への手紙】より

…最初期キリスト教の使徒パウロが,53‐55年にかけてギリシアのコリント(コリントス)にある教会にあてて,彼のいわゆる第3伝道旅行(《使徒行伝》18:23以下)中に小アジアのエペソ(エフェソス)から書いた手紙群。新約聖書には第1と第2の二つの手紙が収められているが,とくに第2の手紙は複数(おそらく5通)の手紙をのちの編集者がひとつにまとめた可能性が強い。…

※「コリント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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