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アカイア同盟
あかいあどうめい
古代ギリシアのペロポネソス半島北部アカイアAkhaïa地方に興った同盟。アカイアの12のポリス(都市国家)の古い連合体を受け継ぐものとして、前280年に成立した。同盟の長は初め2人、前255年以後は1人の将軍で、ほかにデミウルゴイdēmiūrgoiとよばれる10人の役人団、および、同盟総会、同盟評議会という二つの会議などがあり、加盟ポリスの市民は、各自が所属するポリスの市民権と同盟の市民権を二重に所有した。アカイア以外の地域のポリスの加盟をも認めて発展し、前191年以降はほとんどペロポネソス半島全域を覆う勢力となった。しかし、前146年ローマに敗れて解体させられ、以後は祭儀団体としてのみ存続した。
[清永昭次]
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「アカイア同盟」の意味・わかりやすい解説
アカイア同盟【アカイアどうめい】
前280年,ペロポネソス半島北部のアカイアAchaia諸都市によって結成され,アイトリア同盟とともにギリシア本土の二大同盟の一つ。諸勢力と覇権を争ったがローマの圧迫を受けて前146年解体された。連邦形式をとり,各市から人口に応じて代議員を選出した。
→関連項目アカイア人|メッセニア
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アカイア同盟(アカイアどうめい)
Achaia
前280年に生まれ,アカイアからペロポネソス半島(特に北部)に拡大した諸ポリスの同盟。最も有名な指導者はアラトス。諸勢力とヘラスの覇権を争い,前146年ローマに屈して解散した。
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アカイア同盟
アカイアどうめい
Achaia
前280年,マケドニアのアンティゴノス朝から独立した,ペロポネソス半島アカイア地方のポリスが結成した同盟
前3世紀後半に大いに発展し,スパルタと争ったが,ローマの圧力がしだいに加わり,前146年解散させられた。
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世界大百科事典(旧版)内のアカイア同盟の言及
【アラトス】より
…前264年,父が殺害されアルゴスに逃れる。前251年に帰国して僭主支配を倒し,アルゴスを[アカイア同盟]に加盟させた。この後プトレマイオス3世の援助を受けて,指導者となり同盟を拡大させた。…
【クレオメネス[3世]】より
…在位,前235‐219年。[アギス4世]の未亡人アギアティスと結婚して,リュクルゴス体制の復活による国力復興の理想を継承し,アカイア同盟と戦って(前228)国内第1の実力者となる。前227‐前226年の冬リュクルゴス体制を復興するために負債の帳消しを断行し,全国の土地を4000の分割地に分け,[ペリオイコイ]の一部を市民に編入することによって,約700に減少していたスパルタ市民数を4000とした。…
【コリントス】より
…ヘレニズム時代には商工業も繁栄を取り戻し,市は〈ヘラスの星〉と呼ばれたが,重要な戦略要塞都市でもあったので,しばしば支配者が交替した。前247年アラトスの急襲を受けて[アカイア同盟]に加入。前223年再びマケドニアの支配下に入ったが,ローマとマケドニアの戦争で勝者ローマから自由都市を宣せられ(前196),アカイア同盟に復帰。…
【スパルタ】より
…前338年マケドニアを盟主にコリントス(ヘラス)同盟が結成されたが,スパルタはこれに加盟せずに抵抗を続けた。
[ヘレニズム・ローマ期]
ヘレニズム期のスパルタは,アカイア同盟にもアイトリア同盟にも属さず,孤立していた。前240年代からは社会改革が行われ,貴重な史料を残している。…
【フィロポイメン】より
…古代ギリシア,メガロポリスの将軍,政治家。スパルタ王クレオメネス3世を破るにあたり武勲をたて(前222),その後[アカイア同盟]の将軍としてスパルタのマカニダスとナビスを破った。一時影響力を失ったが,前193年ころ以降はアカイア同盟の指導者として活躍。…
※「アカイア同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」