改訂新版 世界大百科事典 「ゴキブリ」の意味・わかりやすい解説
ゴキブリ
ゴキブリ目Blattariaに属する昆虫の総称。3億年前の上部石炭紀以来多くの化石が出ているが,現在では大部分が熱帯地方の野生昆虫として生存し,3500種以上が記載されている。扁平な昆虫で,頭部は下向きのそしゃく式の口器を備え,前胸の背板の下に大半が隠される。成虫では2対の翅を有し,短距離を飛翔(ひしよう)する種類も多いが,短翅または無翅の種類もあり,とくに雌ではその傾向が強い。肢はよく発達し,すみやかに走る。腹部も扁平で,原則として10節よりなるが,末端の2~3節は癒合して背板と腹板との間に生殖器が隠れている。卵生あるいは卵胎生で,卵生のものは2列に卵を収めたササゲの粒のような卵鞘(らんしよう)を生じ,これを産み落とすか,または孵化(ふか)まで尾端に保持する。卵胎生のものは薄い卵鞘をつくるが,これを外部に現さずに哺育囊の中に保つ。成虫,幼虫それぞれに群居性が強く,群居の状態では成長が早くなる。成虫,幼虫が共存するオオゴキブリ類ではそれが原始的な社会(家族)生活と見られている。昼間陽光下をとび回る種類もあるが,多くは夜間活動性で,摂食し多量の水分をとる。幼虫期間は比較的長く,その間に7~9回(またはそれ以上)の脱皮をして成虫となる。成虫の寿命は大型種では雄8ヵ月,雌は最長1年半くらいと見られている。野生種は草木上(熱帯種各種),樹皮下(多くの種類),落葉下,地表,地物の下,朽木中(オオゴキブリ類),水中(マダラゴキブリの幼虫)などに生活する。3500種のうち約1%のものが人類の生活と接触を保って住家性の害虫となり,とくにそのうちチャバネゴキブリ,ワモンゴキブリ,コワモンゴキブリ,クロゴキブリ,トウヨウゴキブリなどは,自然の原産地が今日不明となってしまった。日本には南西部を主として約50種類のゴキブリが知られるに至ったが,そのうち住宅内に侵入したのはヤマトゴキブリ,キョウトゴキブリなどが土着のもので,チャバネゴキブリ,クロゴキブリ,ワモンゴキブリ,コワモンゴキブリ,トビイロゴキブリ,イエゴキブリ,オガサワラゴキブリ,ハイイロゴキブリ,チャオビゴキブリ,パナマゴキブリなどは外国から入った害虫と認められる。日本産野生種としては,ルリゴキブリ,ウルシゴキブリ,チビゴキブリ,モリチャバネゴキブリ,ヒメチャバネゴキブリ,ウスヒラタゴキブリ,モリゴキブリ類,ツチゴキブリ類,ヒメマルゴキブリ,サツマゴキブリ,マダラゴキブリ,オオゴキブリなど南日本産各種があり,琉球諸島には真正洞窟性のホラアナゴキブリもいる。
人間との関係
ゴキブリと人間との接触は古く,前300年のアリストテレス時代より記録が見られるが,日本では江戸の中期以後外国との交流が盛んになるまで記録が見当たらない。しかしゴキブリという名称は江戸時代からあったらしく,御器(食器)覆(かぶ)りのつまったものといわれる。第2次世界大戦前には都市のホテル,レストランにチャバネゴキブリ,西日本の暖地の家庭にクロゴキブリ,中北部本州にヤマトゴキブリが分布していたことはわかっているが,戦後に家屋の構造が保温的になり,国内外において物資の盛んな交流が行われて,この類を広めたと信ぜられる。世界的に見れば,今日のゴキブリの広がり方については,戦争による混乱,過去における奴隷の輸入などが大きな原因であったといわれる。住家性の種類は食品や汚物を食べるのでその体内には各種のウイルス,バクテリア,カビ類,原虫,寄生蠕虫(ぜんちゆう)類などが,実際にもまた実験的にも証明され,またその媒介を行う。小児麻痺流行地でポリオウイルスが証明されたことがあり(ワモン,チャバネ,チャオビ),黄熱病ウイルスもトウヨウゴキブリの体内に2日,チャバネゴキブリ体内に150日生存していた例が知られる。バクテリアでは赤痢,腸チフス,腸カタル,夏下痢,食中毒,発疹チフス,ペスト,ハンセン病などが自然状態で発見され,アジアコレラ,脳脊髄炎,肺炎,ジフテリア,波状熱,結核なども証明された。ただし,これらの疾患流行の直接原因にゴキブリがなったという証明はない。さらに原虫類では大腸パランティディウム,赤痢アメーバ,腸トリコモナス,ほかにおびただしい非病原性のものが証明されている。寄生蠕虫としてはギョウチュウ,カイチュウ,ズビニコウチュウ,アメリカコウチュウが自然的にまた実験的にも保有される。またゴキブリによるアレルギー性皮膚炎,ゴキブリ咬傷(こうしよう),体の開口部への侵入なども知られている。
一方,ゴキブリを食用または薬用にする習慣は古くから世界各地で知られており,ゴキブリ虫体を調理して食べ,または卵鞘を集めてフライにするなど,これらは熱帯地方のみならず,イギリスあたりでも食用の記録がある。中国では古くから薬物の中に䗪虫として挙げられ,中国北部ではPolyphaga属のもの,中南部や台湾ではサツマゴキブリを乾燥して販売している。害虫となったゴキブリはカやハエと違い,成虫,幼虫とも建築物内に定着しているので根絶は容易でないが,今日日本では有機リン剤の残留噴霧やピレスロイド剤の煙霧などの方法が実施されている。過去に用いられた有機塩素剤(DDT,BHCなど)には薬剤抵抗性の発達した実例が知られている。
執筆者:朝比奈 正二郎 ゴキブリの古名としては平安時代の阿久多牟之(あくたむし),都乃牟之(つのむし)がある。アブラムシ,五器嚙(かぶ)りなどは江戸時代の書に見える。現在の名は,明治時代の昆虫学者松村松年が《日本昆虫学》(1898)でゴキカブリをゴキブリと誤記したことに端を発しているという。漢名は蜚蠊(ひれん)。英名コックローチcockroachはスペイン語のクカラチャcucarachaが英語化したもので,同様の変形にはアスパラガスasparagusがスパロー・グラスsparrow grassとして用いられている例などがある。アメリカではチャバネゴキブリをクロトン・バッグcroton bugというが,クロトンは1842年ニューヨーク市の水源となった川の名で,この水源ができたころからゴキブリが増えたのでこの名がある。またゴキブリをblack beetleと呼ぶこともあり,それはこの虫がbeetle(甲虫)に似ているからだという。
日本ではゴキブリを霜焼け,雪焼け,驚風(子どもの脳膜炎),風邪,胃腸病,夜尿症の薬とした。漢方薬にもゴキブリを用いる処方がある。ロシアでは水腫(すいしゆ)の薬とされた。またアメリカ南部,ペルー,ジャマイカなど世界各地でゴキブリを薬用にすることが知られている。ゴキブリに関する迷信もやはり世界各地にあり,吉,凶の両方を含み,ゴキブリが家の中を走り回ると嵐がくるというアメリカの言い伝えのように,天気を予知せしめるともいう。また,英米ではリンゴの匂いにはゴキブリを殺す作用があるといわれている。
執筆者:奥本 大三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報