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ゴールドウィン ゴールドウィン Goldwyn, Samuel

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゴールドウィン
ゴールドウィン
Goldwyn, Samuel

[生]1879.7. ポーランドワルシャワ
[没]1974.1.31. アメリカ合衆国カリフォルニアロサンゼルス
ポーランド出身のアメリカ合衆国の映画制作者。本名 Samuel Goldfish,ポーランド名 Schmuel Gelbfisz。少年の頃アメリカに移住し手袋工場で働いて身を立てる。1913年義兄の ジェシー・L.ラスキーと,当時無名だったセシル・B.デミルと組んで映画会社を起こし,デミル監督の『スクォーマン』Squaw Man(1913)を発表する。

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世界大百科事典 第2版の解説

ゴールドウィン【Samuel Goldwyn】

1882‐1974
ハリウッド最大のプロデューサーの一人。1920年代半ばから50年代末(1959年の黒人ミュージカルポーギーとベス》の製作を最後に引退)まで約35年間,〈もっともポピュラーで,もっとも技術的に完成度が高く,もっとも興行価値のある〉アメリカ映画を製作した。ポーランド生れ(ワルシャワのユダヤ人地区出身,本名はサミュエル・ゴールドフィッシュ)。少年時代イギリスを経てアメリカに渡り,手袋商から身を起こし,ニューヨークでボードビルの興行主ジェシー・ラスキーと知り合い,その妹と結婚。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ゴールドウィン
ごーるどうぃん
Samuel Goldwyn
(1879―1974)

1920年代から1950年代にかけてハリウッドを牽引(けんいん)した映画製作者の一人。本名シュムエル・ゲルブフィッツSchmuel Gelbfisz。ワルシャワ生まれ。13歳のときアメリカに渡る。1913年、義弟のジェシー・L・ラスキーJesse Louis Lasky(1880―1958)とともに映画製作の道に入り、1923年、サミュエル・ゴールドウィン・プロダクションを創設。質の高さを求めて一本一本を手塩にかける独自の映画作りに着手する。ロナルド・コールマン、ゲーリー・クーパー、マール・オベロンMerle Oberon(1911―1979)ら彼のもとから巣立っていったスター俳優も多く、監督ではジョン・フォード、ウィリアム・ワイラーをしばしば起用した。『孔雀(くじゃく)夫人』(1936)、『デッド・エンド』(1937)、『偽りの花園』(1941)など文芸作品が多いのも特徴。1947年には『我等(われら)の生涯の最良の年』(1946)で、作品賞他アカデミー賞主要7部門を獲得。同時に彼自身、アービング・サルバーグ記念賞を受賞した。代表作は他に『ステラ・ダラス』(1925)、『人類の戦士』(1932)、『嵐(あらし)が丘』(1939)、『虹を掴(つか)む男』(1947)など。[宮本高晴]

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