南太平洋中部,南緯13°~15°,西経168°~173°の海域に位置する諸島。19世紀末の大国による植民地化の過程で,サモア諸島は西経171°を境として東西に分離され,そのまま今日にいたっている。旧ドイツ領のサモア(旧,西サモア)は第1次大戦後国際連盟の委任統治領として,第2次大戦後国際連合の信託統治領として,いずれもニュージーランドの統治を受け,1962年に独立した。サバイイ,ウポルの両主島に加えていくつかの小島より成る。総面積2842km2,人口17万6700(2001),首都はウポル島北岸のアピア。一方,分離以来今日まで合衆国に領有されている東のアメリカ領サモアは,良港で主都のパゴ・パゴのある主島トゥトゥイラ島およびその東のマヌア諸島などの小島から成る。総面積197km2,人口5万7300(2000)。
アメリカ領サモアにある二つの無人環礁を除くといずれもが火山島で,中央には山がそそり立ち,うっそうと木の茂る人跡未踏のジャングルとなっている所も多い。ほとんどの村は海岸沿いに位置し,背後の斜面を切り開いて焼畑耕作を行っている。熱帯貿易風気候に属し,きわめて高温多湿である。1月から3月ころに最も雨が多く,6月から8月が最も少ない。自給自足用にタロイモ,クワズイモ,ヤムイモ,パンノキ,バナナなどをつくるが,パンノキを除けば,いずれも季節を問わず植付けおよび収穫が可能である。ほかには特に西サモアでつくられている換金作物に,ココヤシ,バナナ,カカオなどがある。良い漁場に恵まれたアメリカ領サモアでは,本国の大資本が出資した缶詰工場があり,近代的漁業が営まれているが,西サモアではまだ自給自足漁業の域を出ない。
形質的にも文化的にも明らかにポリネシア系である。形質的には長身でがっちりした体格を有し,短頭,淡褐色の膚,波状ないし巻状の頭髪をもつといった特徴がある。西欧化の著しいポリネシアにあってサモアは混血も少なく,日常会話はサモア語が用いられるなど伝統文化も比較的よく保たれている。西サモアとアメリカ領サモアでは,前者が主食作物および換金作物の栽培による半自給自足生活が主体であるのに対し,後者は魚缶詰工場での労賃などの現金収入に主として依存するなど,市場経済の浸透度や社会変容の程度に差が見られる。しかし互いに同じ文化を共有するという意識は存在し,通婚が行われ,親族姻族関係を通じて頻繁に往来がある。どちらの社会も伝統的大家族制を営み,土地の共同保有を行っている。大家族制が人々の生活基盤であるとともに,親族が互いに物を分け合い助け合って暮らすというのがこの社会の基本的モラルである。大家族のリーダーであるマタイ(首長)は代々伝わる称号名の保持者であるが,全サモア・レベルから村レベルまで首長称号の格付けが主として地縁組織を媒介としてなされている点に特色がある。サモアに根強いこの首長システムは,国会議員の被選挙者を首長に限るなどの形で公的な政治の場にとり入れられている。
1830年から始まったキリスト教の布教は著しい成果を収め,今日ほぼすべての人がキリスト教徒を自認しており,土着宗教は復元不可能なほどに失われている。しかし敬語や慣用句を多用した演説や,原始貨幣としての目のつんだござの互酬的交換を伴う儀礼は今でも盛んに行われている。学校教育が普及し,かつては教会が中心となり今日では政府が肩代りして行っているが,そのため識字率はきわめて高い。伝統的住居は石積みの上に楕円形に柱を並べて立て,サトウキビの葉で屋根をふいただけで壁のないものである。最近では西欧式のブロック造りの家が急増している。近年の著しい人口増加に伴い移民が急増し,今日では合衆国やニュージーランドに11万から15万人のサモア人が居住しており,両サモアともにこれら移民の送金が残留家族の現金収入の大きな部分を占めている。
執筆者:山本 真鳥
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
南太平洋中部、ポリネシアの西端に位置する火山島群。西経171度線を境にして東側はアメリカ領サモア、西側は独立して独立国サモア(旧西サモア)となっている。東サモア、つまりアメリカ領サモアにはツツイラ島、マヌア諸島(タウTau、オフOfu、オロセガOlosegaの3島)、スウェインズSwains島などがあり、面積197平方キロメートル。独立国サモアはウポル、サバイイ両島およびその他の小島からなり、面積2831平方キロメートル。人口はアメリカ領サモア5万7291(2000)、独立国サモア約17万(2000推計)。
独立国サモアの住民はポリネシアでもっとも純血度の高いサモア人であると誇っているのに対し、東サモアの住民はアメリカン・サモアとよばれ、混血が多いとされるが、本来はまったく同じ人種が住んでいたものが、近世の歴史のなかで異質化されたものである。全域を通してココナッツ、バナナ、カカオ、木材を産し、コプラはサモアの重要な輸出品である。東サモアでは魚類缶詰工業が労働人口の15%を吸収し、全輸出額の90%を占め、ほとんどアメリカ向けに輸出される。サモアには、建設、ビール醸造、たばこ、缶詰などの企業が多い。そのほか、観光はアメリカ領および独立国サモア共通の大きな収入源である。
この諸島を初めて訪れたヨーロッパ人はオランダ人ロッヘフェーンJ. Roggeveen(1659―1729)で1722年のことであるが、68年フランス人ブーゲンビルがナビゲーターズNavigators諸島と命名した。19世紀に入ると、この海域の島々をめぐってイギリス、ドイツ、アメリカによる領有争いが起こり、いったん三国共同保護化を取り決めたのち、1899年、西経171度線によって二分して、東をアメリカが、西をドイツが領有し、南のトンガ諸島はイギリスの保護国(現在は独立国)となった。第一次世界大戦で西サモアはニュージーランド軍に占領され、同大戦後ニュージーランドの委任統治領、1947年からは同国の国連信託統治領となったが、61年5月に国連管理下で住民投票を行って独立を決め、62年1月、西サモアとして完全に独立、さらに97年7月国名を「西サモア」から「サモア」に変更した。1830年イギリス人宣教師によるキリスト教伝来後、全域がキリスト教化している。
[大島襄二]
サモア人は人種的にも文化的にもポリネシア系に属し、皮膚は淡褐色、大柄である。西欧化の進んだポリネシアのなかでは混血も少なく、日常会話ではオーストロネシア語に属するサモア語が用いられ、演説や儀式、姻族間の儀礼交換といった習慣もその社会的機能を失っていない。独立国サモア(旧西サモア)とアメリカ領サモアでは、市場経済の浸透とそれに伴う社会変容の程度に違いがみられ、前者が農耕主体の半自給自足生活を営んでいるのに対し、後者は現金収入への依存度がかなり高い。しかしどちらの社会も、家長に率いられた伝統的大家族制を営み、家長の称号名の下に土地の共同保有を行っている。同じ文化に属するという認識は強く、国境を越えた通婚が互いに行われ、親族関係を通じて頻繁に往来がある。ほぼすべての人々はキリスト教徒を自認し、また識字率も高い。近年の著しい人口増加に伴って海外移民が急増し、今日ではアメリカ合衆国やニュージーランドに14万人以上のサモア人が居住し、コミュニティを形成している。
[山本真鳥]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…西ポリネシア,サモア諸島の東半部で,アメリカの非併合領土。人口5万9000(1996)。…
…ポリネシア(同じく〈多数の島々〉の意)は,ほぼ180゜の経線以東の,北はハワイ,南西はニュージーランド,南東はイースター島を三つの頂点として描かれる,1辺およそ8000kmの巨大な三角形(ポリネシアン・トライアングルと呼びならわされている)に含まれる島々をさす。上記の3頂点に当たるもののほか,サモア,トンガ,ウォリス,エリス(ツバル),フェニックス,トケラウ,クック,ライン,ソシエテ,トゥブアイ(オーストラル),トゥアモトゥ,ガンビエ(マンガレバ),マルキーズ(マルケサス)の諸島がある。ミクロネシア(〈小さな島々〉の意)はほぼ赤道をはさんでメラネシアの北側にあたり,マリアナ,カロリン,マーシャル,ギルバート(キリバス)の諸島を含む。…
…正式名称=サモア独立国Independent State of Samoa面積=2831km2人口(1996)=17万人首都=アピアApia(日本との時差=-20時間)主要言語=サモア語,英語通貨=ターラーTala南太平洋中部,サモア諸島の西部を占める島国。ドイツ,ニュージーランドの統治を経て1962年に西サモアWestern Samoaとして独立し,97年憲法を改正してサモアと改称した。…
※「サモア諸島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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