スペインに発達したオペレッタの一種。特殊な例外を除き、スペイン語で演じられる台詞(せりふ)入りの音楽劇で、その音楽にはスペインの民族的色彩が濃い。
[永田文夫]
サルスエラとはスペイン語でサルサzarza(野いばらの一種)の愛称。17世紀のスペイン王フェリペ4世(在位1621~65)はマドリード郊外に別邸をもっていたが、この宮殿は、周囲にサルサが茂っていたところから、俗に「サルスエラ宮」とよばれた。フェリペ4世はここにしばしば芸人たちを招き、彼らの歌や踊りや寸劇を楽しんだ。その結果、サルスエラ宮で演じられる歌入り芝居をサルスエラとよぶようになった、というのが発生についての定説である。
[永田文夫]
このジャンルの音楽劇の創始者は、劇作家として有名なカルデロン・デ・ラ・バルカ(1600―81)とみなされる。彼は1648年にマドリードの王宮で初演された音楽劇『ファレリーナの庭園』の台本を書いた。57年には同じカルデロン作による『人魚たちの湾』がサルスエラ宮で初演されたが、これがサルスエラと銘打たれた最初の作品であった。
サルスエラを二幕物としてつくるという伝統も、そのころから始まった。もちろん例外もあり、スペイン古典演劇の主流をなしていた三幕物の形をとるサルスエラを、とくにサルスエラ・グランデzarzuela grande(大サルスエラ)という。また、一幕物のサルスエラはヘネロ・チコgénero chico(小さいジャンルの意)とよばれ、19世紀の後半から流行した。
発生当初のサルスエラは、王侯貴族が楽しむためのもので、神話や英雄伝などをおもなテーマとし、音楽も荘重であった。やがて、これが市井の劇場でも上演され、大衆の娯楽に供されるようになると、庶民生活を題材に、民族楽器を使った民謡調を音楽に取り入れて、陽気なサルスエラがつくられ始める。18世紀後半のことで、これらはサルスエラ・アレグレzarzuela alegreとよばれた。しかしその後、イタリアのオペラがスペインでも大いに愛好されるようになり、サルスエラはしだいに衰退した。
[永田文夫]
これが復興したのは19世紀中ごろのことである。1839年、イタリア生まれの作曲家バシリオ・バシーリBasilio Basiliによるサルスエラ『花婿とコンサート』が成功を収めたのをきっかけに、新進気鋭の作曲家たちがこのジャンルを手がけるようになった。そして56年には彼らが結成した協会の手によって、マドリードにサルスエラ劇場Teatro de la Zarzuelaが建設され、次々に新作が上演された。こうして、1880年ごろから1930年ごろにかけて、サルスエラの黄金時代を迎える。
当時この分野で活躍した作曲家は枚挙にいとまがないが、『パンと闘牛』などをつくったフランシスコ・アセンホ・バルビエリFrancisco Asenjo Barbieri(1823―94)、『マリーナ』のエミリオ・アリエタEmilio Arrieta(1823―94)をはじめ、マヌエル・フェルナンデス・カバリェーロManuel Fernández Caballero(1835―1916)、フェデリコ・チュエカFederico Chueca(1848―1908)、『ラ・パロマの夜祭』のトマス・ブレトンTomás Bretón(1850―1923)、美しいメロディで人気を博したルペルト・チャピRuperto Chapí(1851―1909)、『ルイス・アロンソの婚礼』などで知られるヘロニモ・ヒメネスJeronimo Gimenez(1854―1923)といった人たちの名をあげることができよう。とくにチュエカは、軽妙な一幕物のサルスエラ(ヘネロ・チコ)を大ヒットさせた。
しかし、1930年代に映画やラジオが登場して大衆の歓心を買うようになると、サルスエラの人気は低下した。とはいえ、現在もなお愛好者に支持されて、脈々と演じ続けられており、レコード化も行われている。
[永田文夫]
一方、スペイン語圏のラテンアメリカ諸国でも、現地の郷土音楽を吸収して、独自のサルスエラがつくられた。たとえば、『キエレメ・ムーチョ』の作者として有名なキューバのゴンサロ・ロイグGonzalo Roig(1890―1983)は、初めてアフロ・キューバン音楽を使ったサルスエラ『セシリア・バルデス』(1932初演)を発表した。同じくエルネスト・レクォーナErnest Lecuona(1896―1963)も『マリア・ラ・オ』(1931初演)ほかのサルスエラを作曲している。またフォルクローレの名曲として世界的に大ヒットした『コンドルは飛んで行く』は、ペルーの作曲家ダニエル・アロミアス・ロブレスDaniel Alomias Robles(1871―1943)が1913年に発表した、インディオの民話に基づくサルスエラの主題曲によったものである。
[永田文夫]
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フィリピンの演劇。もとは16世紀から17世紀にかけてスペインで様式化された音楽劇で,喜劇的,風刺的なものに多く題材を取っている。フィリピンに1878年初めて来演,紹介されて以来,全島で急速に普及し,各地に専門の劇団が誕生し,それぞれの地方の言葉で上演されるようになった。身近な日常生活のできごと,特に恋愛をめぐる筋立てが多いが,モロモロ劇の構成をふまえ,フィリピン人とスペイン人,後にはフィリピン人とアメリカ人の対立など,外国支配の不当性を訴える政治的意図を秘めたものも少なくない。映画の普及に伴い,1930年代ころから衰退に向かったが,近年,政府の保護を受けて再興の試みがなされている。
執筆者:山下 美知子
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…ただし,これはスペイン音楽が独自の伝統を失ってしまったということではない。劇音楽サルスエラzarzuelaにその好例を見ることができよう。これはグランド・オペラと異なってせりふ入りで運ばれ,スペイン語を用い,音楽に多少とも民族的性格をもたせたスペインの国民的歌劇である。…
…ただし,これはスペイン音楽が独自の伝統を失ってしまったということではない。劇音楽サルスエラzarzuelaにその好例を見ることができよう。これはグランド・オペラと異なってせりふ入りで運ばれ,スペイン語を用い,音楽に多少とも民族的性格をもたせたスペインの国民的歌劇である。…
…スペイン語で長編小説を著したリサールやパテルノPedro A.Paterno(1858‐1911)らが著名である。19世紀末葉にスペインから伝わったサルスエラは,20世紀に入ってフィリピンのことばで盛んに演じられるようになり,1920~30年代に最盛期を迎えた。 サルスエラが衰退する頃から,アメリカ文学の影響をうけた英語の短編小説が盛んになった。…
※「サルスエラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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