スペイン音楽(読み)すぺいんおんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スペイン音楽」の意味・わかりやすい解説

スペイン音楽
すぺいんおんがく

スペイン人は、古くからヨーロッパはもとより、アジア、アフリカ、そしてアメリカ大陸の人々と交わり、さまざまな文化に影響を与え、また他国の文化の影響を受けてきた。したがって、音楽の面でも多様性に富み、その影響は世界各国に及んでいる。スペイン音楽について述べるとき、芸術音楽と民俗音楽とを完全に分けることはむずかしいが、ここでは便宜的に芸術音楽の流れを中心に概観する。

[アルバレス・ホセ]

中世

ルネサンス以前の中世スペイン音楽は、イベリア半島南部のセビーリャ、中央部のトレド、北部のサラゴサを三つの極として、ビシゴート聖歌やモサラベ聖歌とよばれる典礼音楽がスペイン全体に行き渡った時代(5~8世紀)から花を開いた。北方系のゴート人がイベリア半島を支配していた時代に「偽(ぎ)アラビア(=モサラベ)聖歌」というのも不思議であるが、このあたりがスペイン音楽の多様性の源である。

 12世紀に入ると、スペイン北部の巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステラにコンポステラ楽派が生まれる。当時の音楽を伝えるものとしては『カリストの写本』が有名で、この楽派はパリのノートル・ダム楽派にも影響を与えたといわれている。一方、ブルゴスのラス・ウェルガスには14世紀に編まれた『ラス・ウェルガスの写本』が残されており、そのなかにあるホアン・ロドリゲスJohannes Rodrigues(ヨハネス・ロデリーチJohannes Roderici、13~14世紀)作曲の『アベ・マリア』などは美しい旋律で知られる。また、カタルーニャモンセラートに伝わる『モンセラートの朱(あか)い本』は、カタロニア語圏の世俗音楽をも含む同時代の写本として有名である。スペインの王が編集したものとして注目されるのは、賢王アルフォンソ10世(在位1252~1284)の名が冠されている『聖母マリアのカンティガ集』であり、これには400余曲のマリア賛歌が収められている。歌詞は、すべて当時の韻文に好んで用いられたガリシア語で書かれており、詩型にはアラビア詩の影響がみられる。

[アルバレス・ホセ]

ルネサンス

ルネサンス期に入ると、それまで宗教的色彩が強かったスペイン音楽は、その他の方面にも花開くことになる。当時のスペインでは「ビリャンシーコvillancico」や「ロマンセromance」といった声楽曲や、「ファンタシアfantasia」「ディフェレンシアdiferencia(変奏曲)」「ティエントtiento」といった器楽曲が多くつくられた。

 15世紀の『バリビエリ歌集』には、詩人・劇作家としても有名なエンシーナJuan del Encina(1468/1469―1529/1530)の美しい音楽作品がみいだされるし、理論家ラモス・デ・パレハBartolomeo Romas de Pareja(1440ころ―1491以降/1521)も同時代の人物である。この時代に活躍した作曲家にはフアン・デ・アンチエタJuan de Anchieta(1462―1523)、フランシスコ・デ・ペニャロサFrancisco de Pañalosa(1470ころ―1528)、フランシスコ・デ・ラ・トーレFrancisco de la Torre(1483―1504活躍)、アロンソ・ペレス・デ・アルバAlonso Perez de Alba(?―1522)らがいる。

 16世紀に入るとスペインは「黄金の世紀」(シグロ・デ・オロ)とよばれる時代に入り、政治・文化の両面でもっとも栄え、それに伴って音楽でも種々の優れた作品が世に出された。アンダルシア楽派のクリストバル・デ・モラーレスCristóbal de Morales(1500ころ―1553)、フランシスコ・ゲレロFrancisco Guerrero(1528―1599)、カスティーリャ楽派のトマス・ルイス・デ・ビクトリアTomás Luis de Victoria(1549ころ―1611)、エストレマドゥーラ地方出身のフアン・バスケスJuan Vasquez(1500ころ―1560以降)、カタルーニャ人のペドロ・アルベルト・ビラPedro Alberto Vila(1517―1582)らが、ビリャンシーコ、カンシオネロ、ロマンセなどの楽曲に名作を残している。オルガン音楽ではアントニオ・デ・カベソンAntonio de Cabezón(1510ころ―1566)の「ティエント」「ディフェレンシア」「ファンタシア」がバッハ以前のオルガン作品のなかでとくに重要である。カベソンの弟子でもあるフライ・トマス・デ・サンタ・マリアFray Tomás de Santa María(1510ころ―1570)はその『ファンタシアの演奏技法』(1565刊)などに美しい鍵盤(けんばん)楽曲を残しており、オルガン奏者フランシスコ・デ・サリーナスFrancisco de Salinas(1513―1590)は理論家としても優れた業績を残した。

 ビウエラやギターの音楽では、セビーリャ出身のフアン・ベルムードJuan Bermudo(1510ころ―1565ころ)、ビウエラ曲集『シルバ・デ・シレナス』を編んだエンリケ・デ・バルデラバノEnríquez de Valderrábano(1500ころ―1557ころ)、『エル・マエストロ』を著したルイス・ミランLuis Milán(1500ころ―1561以降)、『オルフエニカ・リラ』を著したミゲル・デ・フエンリャーナMiguel de Fuenllana(1500ころ―1579)、ビウエラ曲集『デルフィン・デ・ムシカ』に多くの美しいディフェレンシアを残したルイス・デ・ナルバエスLuis de Narváez(1500―1555ころ)、当時としては画期的と思われるコード表つきギター教本を著したフアン・カルロス・アマートJoan Carles Amat(1572―1642)など、ビウエラ奏者=作曲家の活躍がすばらしく、これらの「ディフェレンシアス」は当時の変奏曲のなかでもっとも整った形をしていたといっても過言ではあるまい。また歌曲では、『ウプサラ歌曲集』『カサ・デ・メディナセリの歌曲集』などがこの時代に編まれている。

[アルバレス・ホセ]

17世紀

教会の多声音楽の伝統は、16、17世紀には、カタルーニャのフアン・プホールJoan Pau Pujol(1573ころ―1626)、バレンシアのフアン・バウティスタ・コメスJuan Bautista Comes(1582ころ―1643)、マドリードの「エル・カピタン」ことマテオ・ロメロMateo Romero(1575―1647)、ラ・マンチャのカルロス・パティニョCarlos Patiño(1600―1675)、カタルーニャのフアン・マルケスJuan Marqués(1585―1658)らによって守られていたといえる。このジャンルでは、マルケスによって代表されるモンセラート楽派の17世紀における活躍を忘れてはならず、この楽派の活躍は18世紀末まで続く。しかし、当時のスペイン音楽のすべてがモンセラート楽派の手によるものであったわけではなく、セビーリャのフランシスコ・コレア・デ・アラウホFrancisco Correa de Arauxo(1584―1654)、サラゴサのホセ・ヒメネスJosé Ximénez(1601―1672)やアンドレス・デ・ソラAndrés de Sola(1634―1696)、バレンシアのフアン・カバニリェスJuan Cabanilles(1644―1712)らのオルガン奏者の活躍も見逃せない。

 また17世紀には、フェリペ4世(在位1621~1665)のサルスエラ宮に集った喜劇役者や音楽家によって「サルスエラ」というスペイン風オペレッタがつくりあげられた。ロペ・デ・ベガやカルデロン・デ・ラ・バルカの劇作も音楽を伴うものであった。

 スペイン音楽といえばギターを連想する人も多いが、そのスペイン・ギター作品の一つの基礎を築いたのが、アラゴン生まれのガスパル・サンスGaspar Sanz(17世紀なかば―18世紀はじめ)で、『ギター音楽教程』を著すとともに、多くのスペイン舞曲をギター音楽のなかに導入した。

[アルバレス・ホセ]

18世紀

この世紀に入るとスペイン音楽は一つの転換期を迎える。ギターは5コース複弦から6コース単弦へと変化し、サルスエラは衰え始める。そして外国、とくにスペイン領ナポリのあったイタリアから、D・スカルラッティやボッケリーニらが訪れ、外国人音楽家の活躍の場となったが、この時期にあっても、カタルーニャのドミンゴ・テラデリャスDomingo Terradellas(1713―1751)、バレンシアのビセンテ・マルティン・イ・ソレルVicente Martín y Soler(1754―1806)らは、後のモーツァルトのオペラに影響を与えたといわれるほどの作品を残した。また、アントニオ・ソレル・ラモスAntonio Soler Ramos(1729―1783)は、多くのクラビア・ソナタを書き、エスコリアル宮の楽長としても活躍した。

[アルバレス・ホセ]

19世紀

19世紀スペインは、ナポレオンの侵略その他の政治上の問題を多く抱えていた。そのためか、外国音楽の隆盛が続いたが、そのなかでスペイン音楽の健在を示したのは、ギター音楽とサルスエラの復興であった。

 18世紀末から活動を始めたフェルナンド・ソルや、やや遅れて活動したディオニシオ・アグアドDionisio Aguado(1784―1849)は、6弦のギターで美しい旋律を生み出した。彼らの作風を受け継いだのが、ホセ・ブロカJosé Brocá(1805―1882)、アントニオ・カノAntonio Cano(1811―1897)、ホセ・ビニャスJosé Viñas(1823―1888)、フリアン・アルカスJulián Arcas(1833―1882)らであり、フラメンコとガリシアの音楽とを自己の内面で総合してギター作品をつくりあげた北部出身のフアン・パルガJuan Parga(1843―1899)であった。

 一方、逆に外国で活躍し、誕生日が同じことと短命さのため「スペインのモーツァルト」とよばれた天才フアン・クリソストモ・ハコボ・アントニオ・デ・アリアガ・イ・バルソラJuan Crisóstomo Jacobo Antonio de Arriaga y Balzola(1806―1826)の存在も忘れられない。

 サルスエラの復興にあたっては、フランシスコ・アセンホ・バルビエリFrancisco Asenjo Barbieri(1823―1894)らにより、1856年にサルスエラ劇場がマドリードに建設された。サルスエラの重要な作曲家にエミリオ・アリエタEmilio Arrieta(1823―1894)があり、それを受け継いでルペルト・チャピRuperto Chapí(1851―1909)、マヌエル・フェルナンデス・カバリェーロManuel Fernández Caballero(1835―1906)、フェデリコ・チュエカFederico Chueca(1846―1908)らが活躍した。

 また、大規模なオペラの創作を試みたフェリペ・ペドゥレルFelipe Pedrell(1841―1922)やトマス・ブレトンTomás Bretón(1850―1923)、世界的に活躍したバイオリニストサラサーテギタリストのタレガも、この時代の人である。

[アルバレス・ホセ]

20世紀

20世紀に入り、ペドゥレルの国民楽派的性格を受け継いだのは、アルベニスグラナドスである。2人ともピアニストとして知られ、19世紀後半から活躍していたが、アルベニスが『イベリア』、グラナドスが『ゴイエスカス』という代表作を作曲したのは20世紀のことであった。バレエ音楽『三角帽子』を代表とする色彩的作風で知られるファリャは、スペイン固有の音楽や色彩的オーケストレーションを身につけたのち、現代的かつ非具象的な美を音楽のなかで表現するようになっていく。そしてこのような志向は、ホアキン・トゥリナJoaquín Turina(1882―1949)、ホアキン・ニンJoaquín Nin(1879―1949)、ホアキン・ロドリーゴ、ハビエル・モンサルバージュXavier Montsalvatge(1912―2002)らに受け継がれている。一方、20世紀的技法の作曲家としては、シェーンベルクに学んだロベルト・ヘラルドRobert Gerhard(1896―1970)、その弟子のホアキン・オムスJoaquim Homs(1906―2003)や、クリストバル・アルフテルCristóbal Halffter(1930―2021)、ルイス・デ・パブロLuis de Pablo(1930―2021)らが注目される。

 20世紀のスペイン音楽で特筆すべきは、世界的に活躍する名演奏家を輩出していることであろう。チェロのカザルス、カサドをはじめ、ギターのセゴビア、イエペス、ピアノのアリシア・デ・ラローチャ、ラファエル・オロスコRefael Orozco(1946―1996)、指揮者のフリューベック・デ・ブルゴスRafael Frühbeck de Burgos(1933―2014)、声楽家ではビクトリア・デ・ロス・アンヘレスVictoria de los Ángeles(1923―2005)、モンセラット・カバリエ、ピラール・ローレンガーPilar Lorengar(1928―1996)、テレサ・ベルガンサ、アルフレド・クラウスAlfredo Kraus(1927―1999)、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスら多士済々である。

 なお民俗音楽でも、スペイン人と他民族とのかかわりが大きく影響しており、この国がかつていくつかの王国に分割され、それぞれ独自の伝統、地方色、方言をもっていることと相まって、各地に固有の優れた音楽を残している。

[アルバレス・ホセ]

『G・チェイス著、館野清恵訳『スペイン音楽史』(1974・全音楽譜出版社)』『浜田滋郎著『スペイン音楽のたのしみ――気質、風土、歴史が織り成す多彩な世界への"誘"い』改訂新版(2012・音楽之友社)』『J・スビラ著、浜田滋郎訳『スペイン音楽』(白水社・文庫クセジュ)』


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改訂新版 世界大百科事典 「スペイン音楽」の意味・わかりやすい解説

スペイン音楽 (スペインおんがく)

最初に重要な表れとしては〈モサラベ聖歌〉が挙げられる。これは6~7世紀,西ゴート王国時代に形成された独特なキリスト教聖歌で,つづくイベリア半島イスラム化の時代(8世紀以降)にも多くのキリスト教徒モサラベ)によって支持されたが,11世紀ごろローマ教会の勢力拡大とともに衰亡した。中世後期には宗教音楽がさらに独自の発展を示し,単声聖歌のみならず,初期多声聖歌の発達においても,スペインは他のヨーロッパ諸国に劣っていなかったことが知られる。《カリストゥス写本》(12世紀,ガリシア地方),《ラス・ウエルガス写本》(13~14世紀,旧カスティリャ地方),《モンセラートの朱(あか)い本》(14世紀,カタルニャ地方)などの集成は上記の意味で価値が高い。また,狭義の宗教音楽(教会内の音楽)ではないが,13世紀アルフォンソ10世が編んだ《聖母マリア頌歌集》には,ガリシア地方語(ポルトガル語に近縁)の歌詞をもつ単旋律歌曲が400曲以上も収められ,資料的にも美的にもきわめて高い価値をもっている。一方,世俗的な音楽もさかんで,カスティリャでは叙事的な歌が,またカタルニャやガリシアではそれぞれの地方語による抒情的な歌が好んで行われた。そうした歌や踊りを伴奏するため,管・弦・打楽器が,すでに多彩に用いられたことも古文献から明らかである。

 スペインの国力が目ざましく充実し世界に覇を唱えたルネサンス期(15~16世紀)には,音楽もまた〈黄金世紀〉を現出し,宗教音楽・世俗音楽の両面にゆたかな成果を実らせた。カトリック両王(イサベル1世,フェルナンド2世)の時代(15世紀末~16世紀初頭)のものとして名高いのは《王宮の歌曲集》と呼ばれる世俗歌曲の集成で,しばしばスペイン固有の風趣をたたえた3~4声の楽曲を約460曲も含んでいる。この時代の歌曲作家として最も重要なのは,一方ではスペイン演劇の開祖でもあるエンシーナJuan del Encina(1468?-1529)である。この時代にはアンチエタJuan de Anchieta(1461ころ-1523)ほかいく人かの作曲家によって宗教楽派も形づくられたが,この伝統が真に輝かしい開花を示すのは16世紀前半,ローマにも名声をはせたモラーレスCristóbal de Morales(1500?-53)によってである。モラーレスの宗教合唱曲は,カルロス1世時代にフランドルから持ちこまれた高度なポリフォニーの技巧をよく消化する一方,イベリアの伝統といえる情緒表現のゆたかさを示す。この傾向はモラーレスの弟子ゲレーロFrancisco Guerrero(1528-99)や,T.L.deビクトリアの時代にも引き継がれた。一方,《王宮の歌曲集》の流れを受け継ぐ世俗歌曲もさらに多様な進展を見せ,同時代を代表するバスケスJuan Vázquez(1500ころ-60)の歌曲集をはじめ,この国固有の味わいをもつ集成がいくつも編まれた。また,器楽の勃興も著しく,盲目のオルガン奏者カベソンAntonio de Cabezón(1510-66)は,後世の研究家たちから〈スペインのバッハ〉と呼ばれたほど,形式・精神とも高度な作品を残した。また,当時スペインで愛用された宮廷風なギターであるビウエラvihuelaの専門家たちも,ファンタジアや,音楽史上最初期のものにあたる変奏曲などすぐれた楽曲を書いた。L.ミラン,L.deナルバエス,E.deバルデラーバノ,M.deフエンリャーナなどがおもなビウエラ奏者・作曲家として挙げられる。

 17~18世紀のバロック,ロココの時代にも,宗教音楽,世俗音楽を通じ,すぐれた作品が生まれつづけたことを,近来の音楽史学は明らかにしている。カタルニャのモンセラートでは宗教合唱曲の楽派が目だった充実ぶりを示し,バレンシアではカバニーリェスJuan Cabanilles(1644-1712)のオルガン音楽が際だった。17世紀から愛用された5コース・ギター(バロック・ギター)の大家サンスGaspar Sanz(17世紀後半)の作品には,民族主義楽派の先駆と呼びうるほど,強いスペイン的性格が表れている。ナポリ生れのD.スカルラッティは後半生をスペインに過ごし,数多いチェンバロ・ソナタの中にスペイン特有の語法を生かした。その弟子A.ソレルのチェンバロ・ソナタにも,スペイン的な風味が濃い。18世紀後半,古典派の時代にはイタリア出身のL.ボッケリーニがマドリードに定住,しばしばスペイン的な特色を反映させながら,すぐれた室内楽を作曲した。しかし,スペインの国民楽器と呼ばれるギターで成果を上げたF.ソルや,天才をうたわれながら夭折したアリアーガJuan Crisóstomo de Arriaga(1806-26)を除くと,古典派からロマン派時代のスペインは傑出した作曲家を生み出さなかった。ただし,これはスペイン音楽が独自の伝統を失ってしまったということではない。劇音楽サルスエラzarzuelaにその好例を見ることができよう。これはグランド・オペラと異なってせりふ入りで運ばれ,スペイン語を用い,音楽に多少とも民族的性格をもたせたスペインの国民的歌劇である。このジャンルは17世紀に宮廷で発祥し,当初は神話や英雄伝説に題材をとった荘重なものであったが,18世紀後半になると民衆的・風俗的な内容のものが現れた。その後,寸劇風で民衆性・民族性の濃い歌芝居トナディーリャtonadillaの流行,イタリア・オペラの勢力などから一時忘れられたサルスエラは,19世紀の中葉に,バルビエリFrancisco Asenjo Barbieri(1823-92)ほかいく人かの才能ある作曲家たちの手で復興した。世紀末ごろまでにはチャピRuberto Chapí(1851-1909)をはじめ数々のサルスエラ専門作曲家が輩出,このジャンルはとくにマドリード市民のあいだで絶大な人気を博した。

 しかし,サルスエラは純音楽的に見たときイタリア,フランスなどの舞台音楽に依存した面も強く,高度の民族主義に立つ音楽とはいえなかった。そうした状況を打開し,スペインにも真に価値高い近代的民族主義の楽派を興そうと努力したのが,ペドレルである。ペドレルの教えを受けた人びとの中からアルベニスグラナドスファリャが現れ,民族主義楽派を確立するとともに,民族性と普遍的な価値の高さを両立させた彼らの美しい作品が,スペイン音楽の典型的なイメージを広く植えつけることにもなった。アルベニス,グラナドスはとくにピアノ曲の分野にすぐれ,ファリャは管弦楽法に手腕を発揮して民族主義楽派の頂点をなした。J.トゥリーナ,O.エスプラ,F.モンポウ,R.ジェラルド,J.ロドリーゴ,E.ハルフテルほかすぐれた作曲家たちがそれにつづき,民族主義に立脚しながらもそれぞれの流儀で20世紀的な語法を取り入れた作風を示した。〈スペイン音楽の新ルネサンス〉と呼ばれたこの盛況は,1936-39年の内戦で多くの音楽家が亡命するなど打撃を被ったが,その後しだいに立直りを見せ,近年では,民族主義を離れた,あるいは従来とは別な流儀でこれを取り扱った,現代的・前衛的傾向の作曲家も多く現れている。国際的に知られた人としてパブロLuis de Pablo(1930- ),アルフテルCristóbal Halffter(1930- )が挙げられる。近・現代にはバイオリンのサラサーテ,チェロのカザルス,ギターのセゴビアなど,世界的な巨匠も出ている。

スペインの民謡,民俗音楽はきわめて多様である。イベリア半島には古来数多くの,しかも東西にまたがる民族が集まり,それぞれの文化遺産を後世に伝えた。また,いくつもの山脈をもつ地勢が,各地方相互の交流をさまたげ,それぞれの伝統的音楽文化を長く純粋に保たせたことも指摘できる。しかし一方,多様なパノラマのうちにも,スペインの民謡,民俗音楽に共通する特色が見いだせないわけではない。活発でしかも独特な律動を伴う舞曲の発達,表情ゆたかな小ぶしを伴う旋律が多いこと,とくにスペイン的なものと考えられている〈ミの旋法〉(長調・短調に属さず,音階上のミを主音とする古来の旋法)のひんぱんな使用などを,おもな特色ということができる。また,声や楽器の音色に対する好みなどにも,西欧一般とは異なった半ば東洋的なものが感じられる。民謡の種類はきわめて多く,子守歌,わらべ歌に始まり,セレナーデ,婚礼の歌,宗教的な歌,農業・牧畜・漁業などと結びついた労働歌,物語歌,闘牛の歌,葬礼の歌,そして多彩な踊歌など,社会生活のあらゆる面が歌や器楽演奏に結びついているといえる。歌詞の内容は軽妙なものから深刻なものまであらゆる人情の機微を表現しており,コプラcoplaと呼ばれる短詩(標準型は各8音節の4行)には趣深いものが多い。

 地方別に,とくに国際的にも知られる重要な民謡,民俗音楽の形式を挙げる。カタルニャ地方のサルダーナsardanaは古い歴史をもつ輪踊りで,その音楽はふつう11人編成の,コブラcoblaと呼ばれる民俗的な管楽合奏団により演奏される。カタルニャにはほかに旋律の美しい民謡も多い。バスク地方は特殊な言語をもつだけに音楽も独特の伝統に立ち,抒情的な民謡のほか優美なアウレスクaurresku,風変りな5拍子のソルツィーコzortziko,剣舞のエスパタ・ダンツァespata-dantzaなどの舞曲をもっている。なおスペイン民謡は慣習的におおむね独唱で歌われるが,カタルニャ,バスクでは19世紀から興った民衆的な合唱運動が根づき,今では一つの伝統をなしている。アラゴン地方の名物はホタで,これには歌うため,踊るためと大別して二つの型があるが,いずれにせよ〈涙と笑いを同時に含む〉と表現される独特な趣をもっている。このホタはアラゴン以外の土地にも普及してさまざまな変形を生んでおり,中でもナバラ地方,バレンシア地方のものなどはよく知られる。ガリシア地方のアララalalá,アストゥリアス地方のアストゥリアナーダasturianadaなどは北スペインの抒情的な民謡を代表するもので,小ぶしのきいた,しばしば独創性に富む旋律をもっている。新・旧カスティリャ,レオン,エストレマドゥラ,ムルシアの各地方にも,古い伝統に立つ美しい民謡や舞曲は少なくない。とくにラ・マンチャのセギディーリャはスペイン舞曲の典型として,マドリードに発生したボレロやアンダルシアのセビリャーナスsevillanasを生む母体ともなった重要なものである。そして,こんにちスペインの民俗芸能を代表するものとなったアンダルシアのフラメンコがある。これはほぼ16~17世紀以来,南スペインに定住したジプシーがおもにはぐくんだものであるが,その音楽および舞踊は,明らかにアンダルシア古来のものに根ざしている。19世紀後半に目ざましい発展期をもったフラメンコは,歌,ギター演奏,踊りという三つの主要素を通じて芸術的に高度なものを形づくり,現在,世界中に特定のファンをもっている。

 民俗楽器として挙げられるのは,まずギターで,これはフラメンコ以外にも,南部,中部,東部でよく用いられる。弦楽器では他に背の平らなマンドリン状の楽器バンドゥリアbandurria,ラウードlaúd(リュート)が目だつ。これらはともに複弦で,プレクトラム(爪)を用いて弾く。バイオリンやその祖形であるラベルrabelも地方により用いられるが一般的とはいえない。管楽器も,ガイタgaitaと呼ばれる縦笛,ドゥルサイナdulzainaと呼ばれる素朴なクラリネット,あるいはバッグパイプ(これもガイタと呼ぶことが多い)など,地方によっていろいろな種類が用いられる。打楽器はともに古い起源をもつタンバリン(パンデレータpandereta)とカスタネット(カスタニュエラスcastañuelasまたはパリーリョスpalillos)のほか,大小の太鼓類がある。クリスマスの楽器として知られるサンボンバzambombaは,太鼓の中央に1本のアシを通し,ぬれた手でそれをこすることにより面皮を共鳴させる〈摩擦ドラム〉である。

 多彩で個性に富むスペインの民俗音楽は,それ自体高い美的価値をもつと同時に,スペインの作曲家たちはもとより,諸外国の一流作曲家たち(グリンカ,リスト,ラロ,シャブリエ,リムスキー・コルサコフ,ドビュッシー,ラベル等々)にも霊感を与え,すぐれた作品を書かせてきたことが特筆される。一般民衆の音楽に厚くゆたかな下地をもっていることが,スペインに独特な音楽的発言力を与えている源であろう。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スペイン音楽」の意味・わかりやすい解説

スペイン音楽
スペインおんがく

スペインの古代,中世イスラム教・キリスト教音楽文化は広くヨーロッパに多大の影響を与えた。12世紀初期多声楽のサンチアゴ・デ・コンポステラ楽派,北スペインに栄えたトロバドゥールやフラグレス (遊芸人) などの芸術,16世紀の作曲家トマス・ルイス・デ・ビクトリアらの宗教的多声楽や,オルガン音楽,リュート音楽の傑作は,歴史上重要である。17世紀には国民オペラであるサルスエラが栄え,19世紀から 20世紀にかけては,パブロ・デ・サラサーテ,国民楽派のイザック・アルベニス,エンリケ・グラナドス,マヌエル・デ・ファリアなどの作曲家が活躍。民俗音楽は多様で,有名なロマ音楽のほか,各地に独特の民謡をもっている。アンダルシアのフラメンコ,アラゴンのホタ,カスティリアのセギディリャなどが特に有名。

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