日本歴史地名大系 「サル場所」の解説
サル場所
さるばしよ
「津軽一統志」の「松前より下狄地所付」には「さる」「もんへつ」「けのまい」「あつへつ」が列記され、サルからケノマイの三ヵ所は乙名ラシヤウカイン・大蔵・にし介の持分で、小林甚五兵衛の商場、アツヘツは乙名ラムイの持場でビボク(ニイカップ)とともに工藤金弥の商場であった。初めは知行を宛行われた家臣(小林氏)自らが交易を行っていたが、しだいに請負人に任せる家臣が多くなった。一七三九年(元文四年)頃には「サル」は小林治部右衛門の預地で、産物は干鮭・シナ縄・鹿皮・熊皮・鮫油、荷積は七〇〇石ほど、夏船三艘がやってきた(蝦夷商賈聞書)。「松前随商録」では「小サル」「サル」の二筆に分けられ、両所ともに小林頼母の支配地。産物は鮭・秋味・干鱈・鹿皮・干鮭・縄・昆布・イリコ。またサル、小サルともにシコツ十六場所のうちとされていた。一七八〇年代の後半には小林早太の給所で、乙名イタツクヨポ、小使ポロブニ、請負人は松前の阿部屋伝吉、運上金は四五両(蝦夷草紙別録)。この頃の運上屋は一戸(蝦夷拾遺)。当場所は九九年(寛政一一年)に東蝦夷地が上知となるまで、小林氏の世襲場所であった。
運上屋は当初沙流川の河口(サルフト)にあったが、のちにモンベツ(サルモンベツ、現門別町本町)に移った。「東蝦夷地場所大概書」は会所(運上屋)のモンベツ移転時期について「五拾年已前」と記し、一八世紀半ば頃としている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報