サンガッロ(読み)さんがっろ(英語表記)Sangallo

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サンガッロ
さんがっろ
Sangallo

15、16世紀のイタリアで活躍したフィレンツェ出身の建築家一族。次の三人によって代表される。
(1)ジュリアーノ・ダ・サンガッロGiuliano da S.(1445―1516) 大建築家ブルネレスキのもっとも優れた後継者の一人。師匠の確立した初期ルネサンス様式を終生守り続けた。青年時代(1465~1472)はローマに滞在し、パラッツォ・ベネチアの造営に関与したようであるが、彼の設計による建築のほとんどはフィレンツェ周辺に散在、ポッジョ・ア・カイアーノのメディチ家別荘(1480~1485)、プラートのサンタ・マリア・デッレ・カルチェーリ聖堂(1485)、フィレンツェのサンタ・マリア・マッダレーナ・ディ・パッツィ聖堂の柱廊(1490~1495)、サント・スピリト聖堂の聖器室(1492~1494)などがある。またフィレンツェのパラッツォ・ストロッツィの模型を作製(1489~1490)し、ベネデット・ダ・マイアーノBenedetto da Maiano(1442―1497)とクロナカによって施工されたこの建物には、ジュリアーノの構想が大幅に取り入れられた。
(2)アントニオ・ダ・サンガッロAntonio da S., il Vecchio(1455―1534) ジュリアーノの弟。同名の甥(おい)と区別し「年長者(イル・ベッキオ)」とよばれる。作品の数は多くないが、モンテプルチアーノのサン・ビアジオ聖堂(1518~1528)はルネサンス建築の傑作とされる。これはブラマンテのサン・ピエトロ大聖堂の設計案に着想を得ており、ギリシア十字形プランの交差部にクーポラ(円蓋(えんがい))をのせ、十字の縦軸と横軸との間に4基の塔を配置するのが当初の計画であったが、実際には塔は1基だけしか建立されなかった。ほかにローマのサンタ・マリア・モンセッラート聖堂(1495)が知られる。
(3)アントニオ・ダ・サンガッロAntonio da S., il Giovane(1485―1546) 同名の叔父と区別して「年少者(イル・ジョバーネ)」とよばれる。ローマに出て活躍、1520年にラファエッロが没すると、その後の建築界を主導し、代表的設計にパラッツォ・ファルネーゼがある。ルネサンスの都市建築で最大規模を誇るこの建物は、1534年に起工されたが、工事なかばにして彼が没したため、ミケランジェロの手で完成された。1539年にはサン・ピエトロ大聖堂の主任建築家に指名され、前任者の一人ブラマンテの設計に対する修正案を提出したが、これは採択されなかった。また教皇庁内のパオリーナ礼拝堂のデザインや、パラッツォ・サッケッティの設計を担当したほか、多年にわたりチビタベッキア、ペルージアなどの防御施設にも参画した。[濱谷勝也]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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