中部イタリア,ウンブリア州の州都。テベレ河谷とトラジメノ湖を見おろす493mの丘陵上にある。人口16万1390(2005)。エトルリア文明が栄えた町の一つで,当時の遺例が今日も見られる。コムーネ時代には教皇派(ゲルフ)の都市として,ウンブリア地方全域を支配するにいたり,多くの教会堂やパラッツォが建てられた。豪族バリオーニBaglioni家が支配した15~16世紀には,ペルジーノ,ピントゥリッキオ,ラファエロなどウンブリア派の画家が活躍した。1540年教皇パウルス3世は武力でペルージアを征服し,教皇領に編入した。現在は大規模な既製服の工場や製菓工場がある。世界各国から集まる外国人にイタリア語,イタリア史などを教える大学も有名。
執筆者:町田 亘
古代の遺例には,エトルリア時代の岩をくりぬき,家をかたどったウォルムニウスの墓(郊外),前2~前3世紀のアーチ構造のアウグストゥスの門,マルツィア門(16世紀に城砦に組み込まれる)などがある。中世の建築としては,堂内に古代の円柱16本を備える円形プランのサンタンジェロ教会(5~6世紀。14世紀に改築)のほか,増改築を重ねた教会堂が多い。1345-1430年に建造された大聖堂は,イタリアには珍しいハレンキルヘの形式をとる。そのかたわらの〈11月4日広場〉に,ニコロ・ピサーノと息子ジョバンニの彫刻で装飾された大噴水(13世紀)がある。
執筆者:五十嵐 ミドリ 国立美術館(正称はウンブリア国立美術館Galleria Nazionale dell' Umbria)の歴史は,1863年に大学に隣接した教会堂内の設置に始まり,79年に現在の場所に移され,1918年に国立となった。〈11月4日広場〉にのぞむ厳格なゴシック様式で建てられたパラッツォ・デイ・プリオリ(1293-1433)の最上階に位置し,13世紀から18世紀にいたるウンブリア派絵画の流れを系統的に展覧している。アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ,フラ・アンジェリコ,ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ,ピエロ・デラ・フランチェスカ,ペルジーノらの絵画のほか,ニコロおよびジョバンニ・ピサーノ,アルノルフォ・ディ・カンビオの彫刻も所蔵。
執筆者:生田 圓
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イタリア中部、ウンブリア州の州都。人口14万8575(2001国勢調査速報値)。テベレ川を望む標高493メートルの丘上に位置する。歴史は古く、すでに紀元前4世紀にはエトルリア文明の拠点として栄えた。紀元後12世紀には自治都市としての体制を固め、15世紀になると画家のペルジーノなどを輩出してウンブリア派絵画の中心地となった。プリオリ宮殿(13~14世紀)の中にあるウンブリア国立美術館には、その流派の貴重な作品が収められている。また13世紀創設のペルージア大学や外国人にイタリア語を教えるペルージア外国人大学(1926設立)があるなど、文化都市でもある。菓子、たばこ、革の鞄(かばん)類の製造のほか、機械、繊維などの工業も行われる。
[堺 憲一]
…イタリア中部,ウンブリア州にある湖。ペルージア湖とも呼ばれる。面積128km2,最大水深7m。…
…イタリア,ウンブリア地方の絵画の流派をいう。すでに13世紀末から14世紀初頭にかけてアッシジのサン・フランチェスコ教会の壁画装飾を中心に新しい絵画の誕生が見られるが,その主体となったのはローマ,シエナ,フィレンツェの画家たちであり,真に土地柄を反映したウンブリア固有の画風形成が始まるのは15世紀に入って,ボンフィーリBenedetto Bonfigli(1420ころ‐96),カポラーリBartolomeo Capolari(1420ころ‐1509)による生地ペルージアを中心とした制作活動からである。ペルジーノに至って確かな造形形態に温雅で感傷的な表現を漂わせたウンブリア派の様式が確立される。…
※「ペルージア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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