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サンジャル Sanjar, Mu`izz al-Dīn Abū al-Ḥārith Aḥmad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サンジャル
Sanjar, Mu`izz al-Dīn Abū al-Ḥārith Aḥmad

[生]1084/1086
[没]1157.5.8.
イラン,セルジューク朝の最後のスルタン (在位 1118~57) 。マリク・シャーの子。 1097年スルタン・バルキヤールク (在位 1094~1104) より,ホラーサーンの統治をゆだねられ,兄弟間の激しい政権争奪のなかでその地位を保持。スルタン・ムハンマド (在位 04~18) の死後,セルジューク家の当主として即位した。治世の前半においては,中央アジアのカラハン朝およびガズニー朝を従え,また自立の傾向を示していたホラズムの総督アトスィズを押えてよくその統一を回復したが,後半,新たに出現したカラ・キタイ (→西遼 ) に中央アジアを奪われ,ついに 1153年,反乱を起したオグズ族によって捕えられ,釈放されたのちやがて没した。彼の死をもってセルジューク朝は事実上滅びる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サンジャル
さんじゃる
Aziz Sancar
(1946― )

トルコとアメリカの二重国籍をもつ生化学者、分子生物学者。トルコ南部のマルディン県生まれ。1969年にイスタンブール大学医学部卒業、1975年にテキサス大学ダラス校修士号取得、1977年に同校で博士号(分子生物学)取得。1977年からエール医学研究所でポスドク研究員(博士研究員)、1982年ノースカロライナ大学准教授、1988年同大教授、1997年からノースカロライナ大学チャペルヒル校教授。
 細胞分裂の際、DNAのコピーが間違った場合や外部から入ってきた紫外線などによってDNAが損傷した場合に修復するメカニズムがある。サンジャルは、DNAの修復に重要な三つの遺伝子を大腸菌で発見した。そして、これらの遺伝子産物のタンパク質が、損傷を受けている12個または13個の一本鎖DNA(ヌクレチオ)を取りはずし、DNAポリメラーゼとDNAリガーゼという酵素で正しい塩基配列で埋めて修復することを解明した。これは「ヌクレオチド除去修復nucleotide excision repair」という方法で、世界で初めて明らかにされた。この仕組みをもたない人が皮膚癌(がん)になることが知られており、サンジャルのこの解明は、皮膚癌の治療法開発などに寄与するものとみられている。
 2005年アメリカ科学アカデミー会員、2006年トルコ科学アカデミー会員、2007年ベフビ・コチ賞を受賞。2015年「DNA修復の仕組みの研究」で、スウェーデンの生化学者トマス・リンダール、アメリカの生化学者ポール・モドリッチとノーベル化学賞を共同受賞した。[馬場錬成]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のサンジャルの言及

【セルジューク朝】より

…歴代のスルタンはアナトリアへ進出する積極的な意図はなく,新たにマー・ワラー・アンナフル方面より流入したトルクメンや反乱に失敗した王族らが,西方へ移動してルーム・セルジューク朝を建国し,アナトリアのトルコ化への先鞭をつけた。サンジャルSanjar(在位1117‐57)の時代に一時王朝の再統一がなされたものの,ジャジーラ,シリア,アゼルバイジャンではアター・ベクたちが独立し,カラ・キタイの侵入,遊牧トルコ族であるオグズの反乱により東部州が混乱し,サンジャル自身もオグズの捕虜となって,スルタンの権威は地に落ちた。彼の死後,イラクとケルマーンにセルジューク朝の地方政権が残ったが,前者はホラズム・シャー朝に,後者はオグズによって滅ぼされた。…

※「サンジャル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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