サンフランシスコ平和条約

共同通信ニュース用語解説 の解説

サンフランシスコ平和条約

第2次大戦での日本と連合国の戦争状態を終結させた条約。1951年9月に米サンフランシスコで調印、52年4月に発効した。日本代表は首相吉田茂。連合国軍の占領下に置かれていた日本は主権を回復した。沖縄は72年まで米施政権下に置かれた。条約の在り方を巡り、中国とソ連を含む「全面講和」か、中ソ抜きの「単独講和」かで激しい論争が起き、政府は単独講和を選択。西側陣営の一員に加わる戦後日本の道筋を決定づけた。(北京共同)

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 の解説

サンフランシスコ平和条約
サンフランシスコへいわじょうやく

1951(昭和26)年9月8日,日本と連合国との間で結ばれた第二次世界大戦の講和条約
内容は,7章27カ条,(1)平和,(2)領域,(3)安全,(4)政治及び経済,(5)財産及び請求権,(6)紛争の解決,(7)最終条項,よりなる。日本は全権として,吉田茂首相を送り,連合国側48カ国と調印。翌'52年4月発効。ポツダム宣言に基づき,日本は本州・北海道・九州・四国などを除くいっさいの領土放棄し,軍備撤廃・賠償支払いなどの義務を負った。なおソ連圏(ソ連・ポーランドチェコスロヴァキア)は調印を拒否。日本国内では全面講和か単独講和かで世論が対立した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 の解説

サンフランシスコ平和(講和)条約
サンフランシスコへいわ(こうわ)じょうやく

太平洋戦争終結のため,1951年9月8日に日本と連合国48か国との間に結ばれた講和条約
朝鮮戦争を機に1951年調印,52年4月28日発効。ソ連・ポーランド・チェコスロヴァキアは調印を拒否,インド・ビルマ・ユーゴスラヴィアは欠席,中国は招かれず全面講和とはならなかった。前文と27条からなり,ポツダム宣言にもとづき,明治以降日本が併合した全領土の放棄,軍事力撤廃,賠償支払いなどを決定。沖縄・小笠原はアメリカの施政下に置かれた。同時に日米安全保障条約が結ばれ,日米行政協定も同時に発効して,日本の対米依存が強まった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android