出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
プロイセンの将軍。ハノーファーの士官であったが,のちプロイセン軍にはいる。ナポレオン戦争での敗北後,軍制改革委員会議長として軍制改革に取り組む。外国人募兵の廃止,兵役免除者数の制限,貴族特権の排除など一般兵役義務制の確立に貢献する。ナポレオンに対する解放戦争には,プロイセン軍参謀長として作戦計画を立案する。グロースゲルシェンで負傷,オーストリアとの同盟について交渉中に,プラハで死去。
執筆者:望田 幸男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1755~1813
プロイセンの将軍で軍制改革者。フランス革命戦争やナポレオン戦争に参加して功あり,イエナ‐アウエルシュテットの戦いに敗れたのち,グナイゼナウらとともに,軍制の近代化と国民的軍隊の創設に努力し,その遺志は一般兵役義務制の実現によって結実した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...