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軍制 ぐんせい military system

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

軍制
ぐんせい
military system

国の軍に関する諸制度をいう。軍の編制,維持,管理についての行政面 (軍政) ,軍の兵力,兵器,装備,施設 (軍備) ,戦略,戦術 (軍令) および軍の要員についての特別法規定 (軍法) などを含む。

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デジタル大辞泉の解説

ぐん‐せい【軍制】

軍の維持・管理・運用などに関する諸制度の総称。

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監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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世界大百科事典 第2版の解説

ぐんせい【軍制】

一般に一国の,あるいは近代以前においては王朝,幕府等の支配機構のなかの軍事のあり方に関するいっさいの制度をいう。軍制の基礎は,軍を編成しこれを維持・管理する軍政と軍を統一された意志によって指揮命令して運用する軍令(統帥)と軍の構成員に対して特別の服従義務を要求する軍事司法制度である。軍制は支配機構のもっとも基本的な属性の一つであるが,その歴史的なあり方は,それぞれの国際的環境,社会構造技術水準などに規定されており一様ではない。

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大辞林 第三版の解説

ぐんせい【軍制】

軍隊の諸制度の総称。軍隊の編制・運用の制度など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

軍制
ぐんせい

軍事制度の略語で、軍事機構に関する諸制度のこと。軍の建設、編制、維持、管理、指揮および運用など、一国の軍隊にかかわるすべての制度をいう。兵役、兵備に関する制度を意味する兵制という術語が軍制と同義語として用いられる場合もある。英語では普通ミリタリーシステムmilitary systemまたはミリタリー・オーガニゼーションmilitary organization(ともに軍事組織または軍事機構を意味する)と称される。ただし本項では現代の軍事制度を取り扱い、歴史的なものは「兵制」の項で記述する。なお、「軍隊」の項もあわせて参照されたい。
 各国の軍制は、その国の政治体制、法律制度、経済の発展段階などの国内事情をもとに定められるものであり、国によって著しい相違が認められるが、また、国際情勢の変化を微妙に反映するものでもある。古くは、軍制に関する権能は君主などの権力者に一元的に集中していたが、近代国家においては、一般に軍制を、軍の編制、維持、管理などに関する軍政事項、および軍の指揮、運用に関する軍令事項、ならびに軍の秩序維持、軍事裁判に関する軍事司法制度に区分するのが通例である。ほとんどの国において、軍制は法律、命令などの法形式で制定される。
 軍政は国家の一般統治作用の一部としての軍事行政であり、軍事司法制度は、軍人・軍属に特別の絶対的服従関係を要求することおよび軍関係の犯罪を処罰することを目的とする。軍人・軍属の犯罪の処罰は、本来、軍事権には属さず、一般司法権の範疇(はんちゅう)に属すべきものであるが、軍の性格上、各国では軍刑事裁判所を通常の司法部門の枠外に置いている。
 なお、軍制に関連して留意すべきは、いわゆるシビリアン・コントロール(文民統制)の問題である。これは政治が軍事に優先し、政治が軍事を支配し統制するという概念であり、国により、また時代により、文民優位、民軍関係、政軍関係または政治の優位などともよばれる。資本主義諸国で民主主義的政治体制をとる国々においては、シビリアン・コントロールを制度的に確立することに大きな関心が寄せられている。中国など社会主義諸国においても、その意味するところは異なるが、政治(党)がいかに軍を統制するかという問題がある。[亀野邁夫・鈴木 滋]

主要国の軍制


日本
日本では第二次世界大戦の終戦に至るまで、陸軍省および海軍省が軍制を統轄した。1872年(明治5)に陸軍・海軍双方が属する兵部(ひょうぶ)省が解体され、陸軍省および海軍省が設置された。両省とも当初は軍政事項と軍令事項を一元的に処理していた。軍令は、明治憲法第11条の天皇の大権としての統帥権を主たる内容とする軍の統帥に関する事務および命令をいい、1878年に陸軍省から天皇直属の参謀本部が独立して陸海軍共通の軍令機関となった(いわゆる統帥権独立)。1893年には、これも天皇に直属する海軍軍令部が設置され、軍政機関としての陸海軍省と、軍令(統帥)機関としての参謀本部、海軍軍令部の対立という図式ができあがった(海軍軍令部は1933年〈昭和8〉に軍令部となった)。
 このように、旧陸海軍においては、軍政事項および軍令事項を統轄する機関が制度上は別個に設けられていたが、両事項はかならずしも明確に区別されてはいない。むしろ密接不可分であると考えられ、軍部大臣に、軍政担当の国務大臣の機能と統帥・軍令担当の機能とをあわせもたせるという側面がみられた。
 軍事司法については、陸軍刑法、海軍刑法、軍法会議法、および指揮権に基づく行政処分である懲罰を規定する懲罰令が制定されていた。軍法会議は陸海軍にそれぞれ常設のものと戦時に特設されるものがあった。
 明治憲法第20条は日本臣民に兵役義務を課したが、1873年(明治6)の徴兵令は満18歳から満40歳までのすべての男子が兵役(常備兵役、後備兵役、補充兵役および国民兵役)に服するものとした。徴兵令は1927年(昭和2)に廃止され、新たに兵役法が制定された。両者の内容は基本的には同じである。
 1945年(昭和20)の敗戦によってすべての軍事制度が廃止された。1947年施行の日本国憲法第9条は、戦争の放棄、戦力の不保持および交戦権の否認を規定した。しかし、1950年、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)に伴い警察予備隊が創設され、1954年には陸海空自衛隊と防衛庁(現、防衛省)が発足した。その後、自衛隊は着々と増強され、冷戦後は国連平和維持活動(PKO)に参加するなど、組織の規模と行動範囲を広げながら今日に至っている。しかし、自衛隊の合憲性については、現在もなお論争が続いており、いまだ決着をみていない。憲法には軍隊の保有を定めた規定がなく、自衛隊の組織および行動と防衛省の組織を律するのは、自衛隊法と防衛省設置法である。
 自衛隊の最高指揮官は内閣を代表する総理大臣であり、総理大臣による指揮監督の下、防衛大臣が自衛隊の行動を総括する。防衛大臣に対する補佐は、各自衛隊幕僚長、政治任命による副長官1人と長官政務官2人のほか、事務次官などによって行われる。自衛隊組織の管理と自衛隊の行動に対する統制は、いずれも内閣総理大臣の指揮監督権に基づいて行われるので、旧日本軍と異なり、軍政と軍令は制度上分離していない。
 現在、日本には旧日本軍における軍法会議のような特別裁判所は設置されていない。したがって自衛隊の隊員が犯した犯罪は、すべて一般の司法的手続きに従って審理され、処罰される。また、憲法第18条は「意に反する苦役」を禁止し、徴兵制は違憲とされているため、自衛隊は志願兵制を採用している。
 また、文民統制については、日本の場合、国会の多数によって選ばれた内閣総理大臣が自衛隊に対する最高指揮監督権を有していること、防衛出動や治安出動など自衛隊のおもな行動に対して国会の承認が求められていることなど、民意を代表する機関である国会による統制が制度上確保されている。[亀野邁夫・鈴木 滋]
アメリカ合衆国
合衆国憲法は、国防の責任および権限を議会と行政府(大統領)に与えている。議会の権限は、(1)陸軍、空軍の編制、維持、(2)海軍の建設、維持、(3)戦争宣言、(4)軍隊の募集と財政的維持、(5)国防のための税金の徴収および金銭の充当、(6)軍隊の統制と規律のための規則の制定、である。大統領は合衆国軍隊の最高司令官の地位を与えられている。大統領の国防上の権限は、このほか行政府の長であること、議会から権限の委任を受けていることに由来する。議会のみが戦争宣言を行うとはいえ、過去の例が示すごとく、戦争宣言は事実上大統領の要請に基づいて行われたのであり、さらに、最高司令官としての大統領が、議会の宣言なしで軍事行動を命ずることもたびたびあった。ベトナム戦争がその好例である。その苦い経験にかんがみ、1973年に議会は、戦争宣言または法律による授権なしに軍隊が投入された場合、60日以内に軍隊の使用を停止させるいわゆる戦争権限法を成立させた。
 第二次世界大戦後のアメリカの軍事制度は、1947年の「国家安全保障法」(および1949年の修正法)によって確立された。1947年、同法に基づいて、独立機関であった陸軍省と海軍省に新設の空軍省を加えて国家軍事機構を設置した。同時に、国の安全保障に関連する事項について大統領に助言を与える国家安全保障会議(NSC)が設けられた。1949年の修正法では、国家軍事機構を国防総省(ペンタゴン)に改編し、議会の承認を得て大統領が任命する国防長官をその長とした。また、大統領、国家安全保障会議および国防長官に対する主たる助言機関として統合参謀本部が設置された。
 国防長官の任務は、大統領の下で国防総省内の諸機関に対する指揮、管理の権限を行使することである。国防総省は、国家の安全保障を確保し、戦争を抑止するために必要な軍事力を維持し整備する。国防総省には長官事務局、陸海軍各省および統合参謀本部が含まれる。1958年の「国防総省改編法」で国防長官の権限が強化され、陸海空軍各省がその管理下に入り、さらに統合軍が設置された。一方、統合参謀本部議長についても、1986年の「国防総省改編法」(ゴールドウォーター・ニコルス法)で、それまで合議体であった組織の運用を改め、議長を第一の軍事助言者に指定するなど、その権限強化が図られた。
 国防長官事務局は現在、国防次官4人(政策、会計検査、人員および即応力、調達・技術および兵站(へいたん)の各担当)、複数の国防次官補(立法、広報、国際安全保障、予備役、衛生など担当)および複数の国防副次官その他からなり、下部組織として10を超える機関を有する。陸海空軍各省の長官には文官が任命され、国防長官の指揮、統制を受ける。各省は長官事務局、参謀本部(海軍は作戦本部)および他の付属機関からなる。陸・空軍の参謀総長、海軍作戦部長は各軍の長官に隷属する。海軍省には海兵隊および軍隊の一部として行動する場合の沿岸警備隊が含まれる。陸海空軍省の役割は、今日では戦闘部隊に対する補給、教育訓練などに限られ、実際の軍の運用は個々の戦闘組織によって行われている。
 アメリカ軍の軍種は陸・海・空軍であるが、戦闘組織として統合軍および特定軍が編制されている。統合軍は、統合参謀本部議長の助言と補佐に基づき国防長官を通じて大統領が設置するもので、国防長官の指揮下にある。1人の統合軍司令官の下に2軍種以上の部隊で構成され、広範かつ永続的任務を負う。統合軍には、各作戦地域を管轄する部隊と、特定分野の作戦実施を担当する部隊の2種類がある。前者には統合戦力軍(大西洋軍を改編)、欧州軍、太平洋軍、米南方軍、中央軍、後者には特殊作戦軍、戦略軍、宇宙軍、輸送軍がある。これに対して、特定軍は、統合軍と同様の手続で設置され、通常は単一の軍種で構成される。空軍の場合を例にとると、従来は特定軍として戦略空軍と戦術空軍が置かれていたが、1992年の組織改編で戦闘空軍に統合された。
 第二次世界大戦後、アメリカでは選抜徴兵制が実施されていたが、ベトナムからの撤退に伴い、1973年から志願兵制に移行した。しかし、1980年に、国際緊張の高まりを理由に徴兵年齢に達した男子(18歳)の登録制度が再開された。軍事司法に関しては、1951年、「軍法会議の構成および処理法」ならびに刑罰を規定する「陸軍刑法」を廃止し、陸・海・空軍、沿岸警備隊の構成員または軍法に服すべき者の行為を支配する「統一軍事裁判法」が施行された。さらに、軍法会議教範の制定をもって軍事司法制度が確立された。[亀野邁夫・鈴木 滋]
イギリス
イギリスにおいては、マグナ・カルタ、権利請願、権利章典などに基づき、軍の最高司令官は国王であるとされるが、実際の国防最高責任者は首相および内閣で、議会に対して責任を負う。議会には国防問題を専門に審議する常任委員会は置かれていない。
 第二次世界大戦後、イギリスでは国防機構の改編が何度か行われた。1964年に、それまで独立していた陸・海・空軍3省を統合し、国防省を設置した。3軍は1人の国防相の権限下に置かれ、国防相の下に各軍を担当する3人の国務相が置かれた。各国務相は、各軍の管理を行うと同時に、国防相から委任された国防全般の権限に関して国防相を補佐するとされた。同時に国防省会議が新設され、それ以前は各軍で処理されていた軍隊の指揮、管理の権限を引き継ぐことになった。国防省会議は国防相を議長とし、国防政策の策定を行う。また、内閣に国防政策に関する重要事項を討議する国防・海外政策委員会が設置された。
 1967年には次のような改編が行われた。3軍担当国務相が廃止され、国防省に陸海空軍担当の政務次官(3人)が置かれた。国防省の下に人事・兵站担当および研究開発・生産・調達など担当の2人の国務相が置かれた。国務相は1人の国防事務次官に補佐され、さらにその下に行政担当、装備担当の第二事務次官が置かれた。3軍は直接政務次官には属さず、国防省会議の下部機関である海軍部会、陸軍部会および空軍部会が設けられ、おのおの国防相から委任された行政事務を行う。各部会の長は国防相であり、各国務相、政務次官、各軍参謀総長等で構成される。各部会に人事、装備等の担当部局が置かれ、省に相当する組織を構成する。
 一方、軍令事項の系統として、国防省の隷下に国防参謀総長を長とする国防参謀本部が設置され、その下に陸・海・空軍参謀本部が置かれた。政府に対して戦略、軍事行動および国防政策の軍事的側面についての専門的助言を行うのは、参謀総長委員会であるが、その実行は国防参謀本部に属する国防作戦実行委員会が担当する。現在、参謀総長委員会は、参謀総長(議長)、参謀次長(副議長)および3軍参謀総長とで構成されており、参謀総長が主催する。委員会にはこれら幕僚スタッフのほか、事務次官も参加する。
 以上の軍政、軍令に関する機構は、その後も基本的には変わらなかったが、1970年には2人であった国務相が1人減となり、1人で3軍を担当することになった。さらに、1981年5月、政府は陸・海・空軍担当の3政務次官の職を廃止した。その理由は、3軍に対する統制を強化するために軍首脳を国防相の直接統制下に置くことであった。それ以後は1人であった国務相を、人事・兵站を含む3軍の管理を担当する国務相と、装備を担当する国務相の2人とし、事務次官が補佐する体制をとることになった。
 現在は、これら2人の国務相のほか、新たに政務次官1人を加えた3人によって、国防相に対する政治レベルの補佐を行うとともに、事務レベルの補佐機関として「財政・計画および管理グループ」を設けている。この機関は、事務次官、第二事務次官、国防調達庁長官など事務官僚のほか、参謀総長委員会のメンバーである幕僚によって構成される。主催者は事務次官であるが、参謀総長が主催する場合もある。
 1985年1月には、国防省の機能をいっそう向上させ、合理化することを目的とする20年ぶりの大改革が行われた。すなわち、国防参謀本部にかわる新たな統合参謀本部の下に「戦略および政策」「計画および人事」「システム開発および研究」「軍の運用および兵站」を担当する4部門が設置され、全軍の政策や作戦は一元的に統制されることになった。これに伴い、3軍の関連部局が廃止され、各軍参謀総長は各軍の単なる行政上の長となった。またこれとは別に、行財政上の責任を負う管理・予算局が設けられた。ただし、国防省の長であり国防省会議の議長である国防相の地位に変更はない。
 冷戦後も国防省の基本的な組織系統に大きな改編はみられないが、既存行政組織の機能を外局に移管するエージェンシー化政策の影響を受けて、国防分析業務庁、国防輸送・移動庁、軍測量局など多くの外局が設置された。その数は1994年3月末の時点で44にのぼったが、同年4月に行われた国防関連外局の組織改編・統廃合によって、現在は42に削減されている。
 イギリスでは1961年に徴兵制を廃止しており、現在は志願兵制が実施されている。また、第二次世界大戦後の軍事司法制度は1955年の「陸軍法」、1957年の「海軍軍律法」、1961年の「空軍法」その他で整備され、1971年に3軍共通の「軍隊法」が制定された。[亀野邁夫・鈴木 滋]
フランス
1958年の憲法は大統領が軍隊の首長である旨定めている。大統領は国防会議および国防最高会議を統裁し、文官、武官を任命する権限を有する。軍隊を指揮、監督するのは政府であり、首相は国防に責任を負い、国防会議および国防最高会議で大統領の職務を代行する。第二次世界大戦後のフランス軍制の基礎は、1959年の「国防の一般組織に関する大統領令」で形づくられた。それによると、国防政策に関する機関として内閣に国防最高会議、国防会議および限定国防会議が置かれる。国防最高会議の構成員は大統領(議長)、首相、外相、内相、国防相、蔵相、国軍参謀総長、3軍参謀総長その他である。同会議は大統領の諮問機関であり、国防問題研究を任務とする。国防方針の軍事分野は限定国防会議で決定される。構成員は会議のつど首相が任命する。国防の一般方針の策定は国防会議で行われる。大統領を議長とし、首相、外相、内相、国防相および蔵相で構成される。ここで策定された国防の一般方針は閣議にかけられ、検討され承認される。閣議は国防政策決定の最高機関であるが、国防政策を実施する責任は首相にある。
 国防省には、国防相の下に国軍参謀本部、陸・海・空軍参謀本部、大臣官房および軍需本部が置かれている。国軍参謀総長は、3軍の使用および軍の一般組織に関する国防相の権限を補佐する。その任務は、(1)軍隊の使用計画の立案、(2)軍隊の任務遂行能力向上のための施策、(3)予算計画への参加、などである。陸・海・空軍参謀総長は、(1)各軍の使用方針の策定、(2)各軍兵員の動員計画、(3)国防相に対する財政報告など、作戦面を除く事項について責任を負う。その権限はすべての所属部隊、組織に及ぶ。国防参謀総長は、主として3軍にまたがる事項に責任を有し、また3軍の調整機能を有する。平時には、これら4参謀総長はおのおの国防相に直属するが、危機発生の際には、閣議の任命により国軍参謀総長が統合参謀総長に就任し、陸・海・空軍参謀総長はその指揮下に入る。国軍参謀総長および3軍参謀総長は、国防相の主宰の下に参謀総長会議を構成する。国軍参謀本部および3軍の参謀本部に監察官が置かれている。戦時における国防相→統合(国軍)参謀総長という系統は、平時の異軍種間の共同演習にも及ぶ。
 大統領および首相の指揮下に国防事務総局が設置されている。その任務は、国防の一般方針について首相を補佐し、国防関係の会議を招集し、各省の国防関係活動を代理して国防相を補佐する、などである。フランスは伝統的な陸海空の3軍編制を維持しているが、運用上、核戦略軍、機動軍、海外介入軍、国土防衛作戦軍などの作戦部隊に分けられる。すべて3軍の混成軍である。核戦略軍は大統領の直接指揮下にあり、核兵器の使用権は大統領が専有する。3軍共通機関として、3軍衛生機関、給油機関、徴募機関がある。国防の地域区分については、全国の行政区画と軍管区が一致している。現在、6軍管区(防衛地帯)、21師管区(防衛地区)、本土96県・海外4県となっている。
 フランスでは、従来徴兵制を採用しており、憲法で「国防のために課せられる身体、財産による市民の負担は法律で定める」と規定したうえで、1965年の「国民役務法」によって満18歳から50歳までの男子に国民役務(兵役、国の施設の防護、技術援助など)の義務を課していた。しかし、冷戦終結後、地域紛争の増大により部隊の緊急展開・軽機動化が求められ、兵員削減の必要が高まったこと、専門的な技能が要求される平和維持活動への効果的な対応という観点から職業軍隊への転換が課題となってきたことなどを受けて、政府は1996年2月に徴兵制廃止の方針を表明した。1997年には新規徴兵事務が停止され、段階的に徴兵制を廃止する計画を開始するとともに、これまでの徴兵制にかわる志願制役務制度を新設した。この役務には国際協力活動、人道援助活動などへの参加が含まれている。[亀野邁夫・鈴木 滋]
ドイツ
第二次世界大戦後、旧西ドイツでは1949年に基本法(憲法)が制定され、再軍備の基礎が形づくられた。さらに1955年の基本法改正で第二次世界大戦後初めての正規軍が設けられた。同年には国防省が設置された。1955年から1956年にかけて志願兵法、軍人法が成立した。議会は、これらを含めて20に及ぶ国防関係法を制定し、国防態勢を着々と整備した。なかでも、政治の優位の確立と「制服を着た市民」である軍人の権利保障に重点が置かれていた。1955年5月にはNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)加盟が認められ、西欧安全保障体制に組み込まれることになった。
 1990年10月のドイツ統一によって、異なる政治体制の下にあった東西ドイツ両軍の統合という問題が浮上した。もっとも、統一は実質的に西ドイツによる東ドイツの吸収という形で行われた。東ドイツ国防省は、すでに統一前の段階で解消されており、国防組織の崩壊にみられる東ドイツの国家破綻(はたん)と西ドイツの政治的優位は明らかであった。結果的に、統一ドイツの政治・行政システムは、旧西ドイツの制度をそのまま引き継ぐ形となった。そのため、軍制についても、従来と比べて骨格となる部分に大きな変化はみられない。
 ドイツ基本法は、軍に対する元首の最高司令権を否定している。すなわち、大統領は軍の名義上の長であり、指揮権をもたない。文官、軍人の任免を行い、戦争の宣言をするなど形式的な権限を有するにとどまる。基本法上、軍に対する命令権および指揮権を有するのは、平時においては連邦国防相であるが、防衛事態(戦時)には、これらの権限は連邦首相に移行する。軍は、行政権の一部として統合され、平時は連邦国防省の下に軍政、軍令が一元化されているが、戦時には連邦首相の管理下に置かれることになる。連邦首相および連邦国防相は連邦議会に対して責任を負う。したがって、軍は戦時、平時を問わず連邦議会の統制下に置かれる(政治の優位)。基本法は、連邦が国防のために軍隊を設けると定め、その勢力および組織の大綱は予算によって明確にされねばならないとする。これも、立法権、予算制定権を有する議会による軍の統制を確保する一例である。防衛事態の確認は連邦議会が行い、大統領が国際法上の宣言を行う。議会には国防委員会が置かれ、軍人の基本権保護および議会による統制の補助のために防衛受託者制度が設けられている。連邦議会が機能しないときは両院の合同委員会がこれにかわる。
 連邦政府に、国防政策および国防基本計画調整のための閣僚会議として、首相を議長とするドイツ連邦安全保障会議が置かれる。常任の構成員は首相、国防相、内相、蔵相および経済相である。国防相は、政務次官(1人)と行政および装備を担当する事務次官(2人)に補佐される。国防相以下4人で国防機構の指導部を形成する。連邦国防省は、軍総監部―連邦軍、陸軍、海軍、空軍、医務衛生の5総監と、事務局―予算局、人事局、管理・法務局、装備局、宿泊施設・不動産局および厚生局からなる。軍指導部の付属機関として計画部、広報・報道部および組織部が置かれている。ドイツ連邦軍総監は連邦軍の最高責任者であり、かつ参謀総長であり、連邦安全保障会議の構成員でもあるが、他の4総監に対しては行政上の指示権を行使するのみで、軍令にかかる指揮権を有しない。指揮権は国防相に属する。他の4総監は各軍の参謀総長を兼ね、各軍の最高司令官である。
 ドイツ軍(ドイツ連邦国防軍)は、軍隊、連邦国防管理機関および軍事司法部門で成り立っている。連邦国防管理機関には地域軍が含まれる。軍隊は陸・海・空軍、連邦国防軍中央機関および連邦国防軍中央衛生機関で構成される。陸軍には軍団(3)、師団(7)、旅団、大隊があり、軍司令部、地区司令部、防衛管区司令部、陸軍事務局などが置かれる。海軍には艦隊司令部、海軍援護司令部、海軍事務局があり、空軍には作戦司令部のほか、支援司令部、通信・管制司令部、輸送司令部、北方・南方両司令部、軍務局がある。
 1996年に国防省が議会に提出した報告書を端緒として、ドイツ軍の編制は冷戦後の新たな脅威への対応を見据えた形に変化した。それは、戦闘部隊を基幹防衛部隊と危機対応部隊とに分割再編したことである。前者がドイツおよびNATO領域の防衛にあたることを任務とし、従来から国防軍に与えられてきた役割を基本的に継承しているのに対し、後者は、国連平和維持活動への参加や続発する地域紛争への対応を任務としており、即応性の高い緊急展開部隊として新編された。陸軍は6個旅団、空軍は2個戦闘航空団、2個戦闘爆撃航空団などを危機対応部隊に指定している。海軍の場合、緊急対応部隊としてとくに指定された艦隊はない。3軍全体で危機対応部隊に指定された部隊の要員は、延べ5万3000人余りにのぼっている。
 ドイツはNATO加盟国のうちでも、とくにNATO依存度が高く、3軍の大部分を供出している。平時においても、NATO司令部は作戦計画、軍の配備などに関する権限を有するが、戦時には連邦軍の軍事作戦計画と遂行もNATO司令部の責任となる。連邦固有の指揮の下に残るのは地域陸軍、兵站、訓練、徴兵などの事項である。1994年にオランダ軍との間で発足させた合同部隊をはじめとして、冷戦後ドイツ軍は周辺国と共同でいくつかの多国籍部隊を編制したが、その多くは、NATO軍の統一的な指揮下に置かれている。
 フランスをはじめ、オランダ、ベルギーなど冷戦後のヨーロッパ諸国では徴兵制を廃止する動きが強まっているが、ドイツは依然として徴兵制を維持している。基本法は満18歳以上の男子に兵役を義務づけており、その他徴兵制に関連した法令としては、1956年に制定された「義務兵役法」がある。なお、ドイツ基本法は、良心的兵役拒否についても定めている。徴兵拒否率は年々上昇しており、国防省の統計では、1994年に30%を超える高率に達した。このような動きを受けて、徴兵期間は冷戦期の18か月から統一後は12か月、1996年からは10か月に短縮された。ドイツでも徴兵制を維持することは政治的に困難となりつつある。軍事司法については、ドイツ基本法は軍による裁判権を認めず、軍人の犯罪および権利擁護については司法権の管轄であるとする。すなわち、軍刑事裁判所は連邦裁判所としてのみ設置される。軍刑事裁判所は、戦時にのみ、および在外または軍艦上の軍人に対してのみ刑事裁判権を行使することができるが、現在は設置されていない。[亀野邁夫・鈴木 滋]
ロシア

ソ連時代
ソ連時代の国防機構と軍事指揮系統の概要は次のとおりである。
 ソ連では最高国家権力機構であるソ連邦最高会議が軍事全般に関する最高指導権を掌握していた。1977年の憲法では、ソ連邦最高会議幹部会がソ連邦国防会議を設置し、その構成員を承認し、ソ連軍の最高統帥部を任命すると定められていた。最高会議幹部会の下にソ連邦大臣(閣僚)会議が置かれ、これに国防省が所属する。大臣会議の一員である国防相(軍人)が隷下の各軍を指揮、統制する。国防相は最高軍事会議に補佐される。同会議は、通常、各軍種の司令官、各軍政治本部長、参謀総長および国防省総監察部長からなる集団指導のための諮問機関である。各軍種、軍管区、艦隊などには、集団として意志を決定し、部隊を指導する軍事会議が置かれた。また国防会議は、戦争計画に関して最高責任を有する軍事、経済の計画担当機関であった。
 このように、ソ連ではソ連邦最高会議を頂点とする軍事制度が確立していたが、実際には以下のごとく、軍は共産党の厳格な統制下にあった。すなわち、軍事政策などの重要な事項は党中央委員会で決定される。軍の事実上の総司令官は党書記長であったといわれる。軍における党の最高統制機関は、党中央委員会軍事部に属する陸海軍政治総本部である(国防省には属さない)。政治総本部の下部組織として各軍種、軍管区、艦隊および防衛地区に党政治本部が置かれ、軍団、師団、旅団などに党政治部が置かれる。これらに配属される政治将校が政治指導を行う。政治総本部以下の任務は軍の政治活動について司令官を補佐することであり、統帥権にかかわるものではない。この意味では、司令官の下に軍政、軍令両事項が集中され、一元指揮制の原則が守られていたが、現実には師団以下の政治部の長は軍管区等の軍事会議の構成員として指揮系統に連なっていた。また、国防相以下、参謀総長、軍種総司令官等は党中央委員会に属し、ソ連軍兵士の80%以上が党員または共産主義青年同盟員であった。
 ソ連軍の軍種は、地上軍、海軍、空軍、防空軍、戦略ロケット軍の5種で、各軍種は国防省および隷下の参謀本部によって中央集権的指揮を受けていた。ソ連の国土は軍管区(16)と防空管区(12)に区分され、海軍は作戦単位として4個の艦隊に分けられる。軍事作戦命令は、参謀本部から、軍管区司令官、艦隊司令官、戦略ロケット軍総司令部、防空軍総司令部などに直接下される。ソ連には、以上の5軍種のほか、大臣会議所属の国家保安委員会の指揮下に国境警備隊があり、内務省には内務保安部隊が置かれていた。
 兵役については、1977年の憲法で普通兵役義務制が施され、軍務に服することはソ連市民の名誉ある義務であるとされていた。1939年の兵役法(1967改正)は18歳以上のすべての男子に軍務に服する義務を課していた。また憲法は、軍法会議を一般裁判所と等しくソ連の司法機関であるとし、軍法会議の裁判官は最高会議幹部会によって5年の任期で選出されると定めていた。[亀野邁夫・鈴木 滋]
新生ロシア
1991年8月の保守派クーデター失敗に端を発した共産党支配の終焉(しゅうえん)や、同年9月から12月にかけて起こったバルト三国、ウクライナの独立によって、連邦国家としてのソ連は実質的に解体し、同年12月8日にはロシア、ウクライナ、ベラルーシがソビエト連邦の消滅と独立国家共同体(CIS)の創設を正式に決定した。CISへの移行に伴う旧ソ連軍の再編という課題は、当初CIS合同軍の創設という方向で検討された。CIS創設協定には核兵器の統一管理が盛り込まれ、同年12月21日に旧ソ連構成国(ジョージア、バルト三国を除く)が調印したアルマ・アタ宣言、さらに同月30日に開かれたミンスクでのCIS首脳会議でも戦略軍の合同司令部設置、核兵器の統一管理が合意された。
 このように、戦略部隊(核兵器運用部隊)についてはソ連時代と同じく統合運用に向けた合意が整ったが、通常戦力部隊については、ウクライナなど数か国が統合に反対する姿勢を崩さず、CIS合同軍の創設交渉は難航した。1992年1月にはウクライナとベラルーシが相次いで独自軍の発足に踏み切り、ロシアも同年5月独自軍を創設した。同月のCIS首脳会議において6か国からなる集団安全保障条約が調印され、各国の独自軍によって編制する緩やかな合同軍という構想が検討されたものの、翌1993年6月の6か国国防相会議では、合同軍司令部を「軍事協力のための合同参謀部」に改編することが合意された。この組織改編は、実質上合同軍創設の断念に等しかった。その後、同年12月の国防相会議で合同軍司令部の正式な廃止が決定されるに及んで、構想は破綻せざるをえなかった。
 新たに創設されたロシアの国防組織・軍制は政治・社会体制の変化を反映してソ連時代のものとはいくつかの点で異なっている。もっとも大きな変化は、軍に対する指揮命令権が党(ソ連共産党)から国家元首である大統領に移ったことである。ロシア憲法および「ロシア連邦国防法」は、大統領が連邦軍の最高司令官であることを定める。これは、ロシア軍が社会主義体制における「党の軍隊」から「国家の軍隊」へと変化したことを意味する。また、議会の国防分野における権能について、憲法と連邦国防法は、連邦会議(上院)が戦争状態の布告に関する大統領令を承認し、連邦領域外への軍隊投入に関する問題を解決すること、国家会議(下院)が国防費関連の審議と国防分野の連邦法採択を行うことを定めている。
 ロシアにおける国防組織で重要な位置を占めているのは国防省と安全保障会議である。国防省は大統領に直属する。国防相は、最高司令官である大統領の命令を受け、参謀本部を通じて軍に対する指揮権を行使する。ロシアでは職業軍人が国防相を務めることが多く、2001年3月に初めて文民の国防相が誕生したものの、民主主義的なシビリアン・コントロールは制度的に確立されていない。また、参謀総長が国防第一次官を兼務するなど、国防省と参謀本部は組織上混在している面が強く、軍政と軍令が明確に分離されていない。これらは、欧米諸国の軍制とは大きく異なるロシアの特色といえる。1995年には参謀本部を国防省から分離する組織改革案が検討されたが、実現に至らなかった。
 一方、安全保障会議は、1992年3月の「安全保障法」公布に基づいて設置された大統領の諮問会議であり、国家安全保障にかかわる諸問題の検討を任務とする。主催者は大統領となっており、実質的に国防政策の最高決定機関として機能している。安全保障会議は、2000年2月時点で、事務局に会議書記、副書記、事務局長のほか、国家・社会安全保障局、国際安全保障局、経済・産業安全保障局など8局、防衛安全保障委員会、市民の権利擁護・社会安全保障・犯罪および汚職取締委員会など12の省庁間委員会を設置している。会議設立以来、事務局の組織は頻繁に改編されており、2000年2月の改編では北カフカス地域安全保障問題担当局が新設された。なお、1996年7月に安全保障会議の任務と重複する機関として国防会議が設置されている。これは、当時安全保障会議書記をめぐって政権内部で起きた権力抗争の所産とみなされていたが、1998年3月に廃止された。
 ロシア軍の編制は、発足当初はおおむね旧ソ連軍のそれを引き継ぎ、地上軍、海軍、空軍、防空軍、戦略ロケット軍の5軍種から構成されていたが、その後大幅な軍組織の改革が進められた。政府は、1997年に戦略ロケット軍とミサイル防衛部隊(防空軍所属)の統合、空軍と防空軍の統合などを含む長期的な軍改革案を発表した。改革の最終目的は、防空軍廃止による地上軍、航空・宇宙軍、海軍3軍制への移行である。改革案の発表を受けて、1998年に防空軍が空軍に編入された結果、ロシア軍は4軍種へ再編された。2000年には戦略ミサイル軍(1997年11月、戦略ロケット軍から改編)の廃止が議論されたが、安全保障会議は当面存続させることを決定した。なお、これらの軍種に加えて、準軍隊的な組織として、内務省の指揮監督を受ける国内保安軍のほか、国境警備軍、政府通信部隊、民間防衛部隊、鉄道部隊がある。軍管区はソ連時代には16個あったが、ロシアでは6個に再編された。
 ロシアは、ソ連と同じく徴兵制を採用している。憲法および連邦国防法は、祖国防衛を市民の責務とし、連邦法に従って兵役に服することを規定している。兵役義務について具体的に定めた連邦法は、1993年2月に公布された「兵役義務および軍勤務法」であり、18歳から27歳までの男子市民は兵役に服する義務を課される。この法律は、基本的には旧ソ連における徴兵制の根拠であった「一般兵役義務法」を踏襲しているが、大きく異なる点として、志願兵制を導入したこと、兵役期間を大幅に短縮したこと、兵役にかわる代替役務制度を新設したことなどがあげられる(代替役務制度については憲法でも定めている)。志願兵制度は、徴兵期間が終了した者や予備役に対して、契約によって勤務期間を延長または新たに設定するものである。
 アフガニスタン侵攻の泥沼化で厭戦(えんせん)気分が社会全体に広がったことなどで、ロシアではすでにソ連時代から徴兵拒否率が高まっていた。兵役義務および軍勤務法の制定は、そのようなロシア社会と国民への政治的な配慮と、深刻な問題となっていた兵員充足率低下への効果的な対策という二つの目的を満たすためのものであった。しかし、兵員不足は容易に解消されず、1995年4月、陸軍の兵役期間を6か月延長する修正法案が採択されるに至った。翌1996年5月には2000年までに徴兵制を廃止する大統領令が公布されたが、当初から大統領選をにらんだ政治的思惑が指摘されていた。また、職業軍隊を維持するうえで必要となる財源の裏づけが政府にないこともあって、実現を疑問視する声が強かった。ロシアでは徴兵制がその後も維持されている。近い将来廃止される見通しは不透明といわざるをえない。[亀野邁夫・鈴木 滋]
中華人民共和国
1949年に中華人民共和国が成立して以来、軍事制度は何度か改革されたが、その間一貫して問題となったのは「党の軍隊」か「国家の軍隊」かという点であった。中国人民解放軍の前身の中国工農紅軍は農民の自衛的武装組織として1920年代に出現したが、一方では共産党の指導を受ける「党軍」としての性格をもあわせもっていた。
 建国後の1954年9月の憲法第42条で、国家主席が全国の武装力を統率し、国防委員会主席の任につくとされ、軍の統帥権を国家主席が掌握することとなった。同時に国務院の下に国防部が置かれ、動員、兵役、復員および軍事建設などの軍政事項を担当するとされた。軍令事項は別に設けられた人民解放軍各総部が担当した。1954年当時5個であった各総部はのちに整理統合され、現在は「総参謀部」「総政治部」「総後勤部」「総装備部」(1998年4月新設)が軍令事務だけでなく、国防部から委任された軍政事務をも行っている。
 1975年憲法では国家主席と国防委員会が廃止され、中国共産党中央軍事委員会主席(党主席が就任)が軍隊を統率するとされ、人民解放軍は戦闘隊であり工作隊であり、かつ生産隊であると定められた。国防軍から党軍すなわち革命のための軍隊としての性格が強調されたといえる。党中央軍事委員会は軍隊内の党組織であり、開戦、停戦、長期戦略計画、作戦・訓練計画、政治工作などについての最高政策決定機関である。政策の実施は党中央委員会政治局の決定に基づいて党中央軍事委員会が行うとされた。実施機関として前述の党中央軍事委員会直属の総参謀部、総政治部、総後勤部および総装備部があり、それぞれ「作戦・編制・動員・情報」「軍の組織と思想工作」「兵站」「調達・兵器研究開発」を担う。これら各総部は同格である。
 軍管区については、国防部の下に7管区の一級軍区(大軍区)が置かれる。一級軍区は計27の省級軍区に分けられ、さらにその下は軍分区、警備区に分けられている。ただし、上海(シャンハイ)、天津(てんしん/ティエンチン)の両警備区は一級軍区に直属する。各軍区には1954年4月に公布された中国共産党軍隊委員会条例に基づいて党委員会が設けられており、中央軍事委員会による指導の徹底が図られている。その他、省級軍区に準じるものとして、北京(ペキン)に衛戍(えいじゅ)区が設けられている。また、大規模な演習などの際、「戦区」を設置する場合がある。これは、七大軍区の枠を超えて臨時に置かれるものである。
 人民解放軍は、陸軍、海軍、空軍、第二砲兵(戦略ミサイル軍)の4軍種からなる。陸軍には歩兵軍および6個の特種兵(技術兵種)があり、一級軍区の直接指揮下に置かれる。省級軍区の直属部隊は地方軍と称される。海軍には北海艦隊と東海艦隊のほか、海軍航空兵と海軍歩兵(海兵隊)、空軍には軍区空軍と空挺部隊がある。陸海空3軍に対する実質的な指揮命令権は総参謀部が握っているが、第二砲兵のみは中央軍事委員会に直属する。中国は、冷戦後各国が国防予算の削減と地域紛争への対応を目的とした部隊再編のため、兵員の削減を進めていることを受けて、1997年から50万人削減計画を開始した。しかし、計画の進捗(しんちょく)ははかばかしくなく、政府は1999年6月に計画実行状況の検査監督、計画実施にかかわる賞罰などを規定した「中国軍組織編成管理条例」を公布して、計画の促進に努めている。なお、解放軍のほか、中国における「人民武装力量」を構成する準軍隊的組織として、人民武装警察部隊および民兵がある。
 1982年12月に第5期全人代第5回会議で採択された新憲法では、国家主席が復活し、新たに国家中央軍事委員会が設置され、全国の武装力を指導すると定められた。また、国防部はそれまでどおり国務院の下に置かれ、武装力建設を指導、管理するものとされた。これにより人民解放軍の正規軍化、すなわち党軍(革命軍)から国防軍への転換が図られつつあると思われるが、同年の党新規約では党に中央軍事委員会を置く旨規定された。党中央軍事委員会の構成員は同時に国家中央軍事委員会の構成員となることができるため、党中央が軍を指導するという制度は依然として堅持されている。
 このように、中国では軍制についておもに憲法で定めていたが、政治・社会全般にわたって法治主義が進展するのに伴って、国防組織・軍制の骨格を定める法令の整備が冷戦後の新たな課題として検討されるようになった。1997年3月に制定された「国防法」は、軍隊に対する党主導の原則、党・国家中央軍事委員会の軍事指揮権などを規定し、従来は憲法や条例・命令、党幹部の見解などに基づいて運用されてきた軍制の根幹を明確に法制化した。また、国防法は、それまでかならずしも明らかにされてこなかった国務院(国防部)や中央軍事委員会など国家軍事機構の任務・権限についても規定している。
 中国の兵役制度は1955年の「兵役法」公布により確立された。その規定によれば、満18歳の男子はすべて兵役の義務に服するとされる。また、中国では正規軍である人民解放軍の後備兵力としての民兵制度が行われ、16歳以上の男女が任務に服する。民兵には普通民兵と基幹民兵(一部が武装化)がある。人民解放軍の階級制度は1965年に廃止されたが、その後も職制上の等級および指揮員(将校)と戦闘員(下士官、兵士)の区別は残されていた。1982年憲法は軍近代化の一環として軍人の階級制度の復活をうたっている。
 1984年には、階級制度の復活とともに、兵役適齢年限の短縮や民兵の法的位置づけなどを骨子とする兵役法改正草案が公表され、同年10月より施行された。その後も兵役法は改正されており、1999年12月には志願兵制度の一部導入と徴兵期間の短縮を盛り込んだ改正兵役法が施行された。これは、欧米諸国と同様、中国でも少子化が進行し、徴兵制による軍隊の維持が困難になりつつあることを受けたものである。[亀野邁夫・鈴木 滋]
『松下芳男著『日本軍制と政治』(1960・くろしお出版) ▽松下芳男著『明治軍制史論』改訂版・全2冊(1978・国書刊行会) ▽防衛法学会編『世界の国防制度』新訂版(1991・第一法規出版) ▽史料調査会編『世界軍事情勢』各年版(原書房) ▽防衛庁編『防衛白書』各年版(財務省印刷局) ▽Stokholm International Peace Research Institute Sipri Yearbook 2000 Armaments, Disarmament and International Security(2000, Oxford University Press) ▽International Institute for Strategic Studies Military Balance 2000/2001(2000, Oxford University Press)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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