ドイツの哲学者。ベルリン生まれ。ベルリン大学で、マックス・プランクの弟子として物理学の論文で学位をとった。キール大学などいくつかの大学で教えたのち、1922年からウィーン大学教授となる。その間にアメリカの大学に教えに行ったこともある。彼同様に自然科学の素養があったノイラート、カルナップ、ワイスマンFriedrich Waismann(1896―1959)、ゲーデルなどとともに、検証可能な命題だけを基礎に哲学を再編成しようとするウィーン学団を結成し、宣言を発表し、国際会議を開き、機関誌を発行するなど、この学団の活動の中心人物であった。ノイラートやカルナップの極端な物理主義とは異なり、精神現象について述べる言語の独立性を説き、ウィーン学団のなかでは右派といわれる。1936年、彼は精神に障害をもっていた学生に暗殺された。まもなく学団のメンバーはナチスの弾圧を避けて諸外国に亡命し、論理実証主義の内部崩壊が始まりかけたので、彼はこの主義と興亡をともにしたシンボルのようにいわれることがある。主著に『一般認識論』(1918)、『倫理学考』(1930)などがある。
[吉田夏彦 2015年2月17日]
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ドイツの哲学者。ベルリン大学でM.プランクの下で物理学を学んだのち,ウィーン大学に移り,カルナップを呼びよせて〈ウィーン学団〉を創設,みずからその中心人物として活躍した。その思想は〈論理実証主義〉と呼ばれ,マッハの実証主義とB.A.W.ラッセルの論理主義をウィトゲンシュタインの哲学の下で結合したものである。倫理学においては功利主義をとなえたが,今日のわれわれにとって重要なのは,彼がはじめて,命題の意味とはその検証方法であるという,〈意味の検証理論〉を明確に打ち出したことである。
執筆者:黒崎 宏
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…この講座を中心としてウィーン大学において,近代自然科学に接近した経験主義的な哲学傾向がしだいに醸成された。このような状況の中で,1922年シュリックがこの講座を引き継いだ。当時シュリックのもとに多くの若い哲学者,物理学者,数学者,社会科学者などが集まり,私的な会合が続けられていたが,28年,このメンバーが中心となって〈マッハ協会〉を設立し,ウィーン学団が結成され,その公的な哲学運動が始まる。…
※「シュリック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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