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シン・フェイン党 しんふぇいんとうSinn Féin

翻訳|Sinn Féin

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シン・フェイン党
しんふぇいんとう
Sinn Fin

1905年に組織されたアイルランドの政治結社、政党。シン・フェインとは、アイルランド語で「われら自身」の意味。パーネルの失脚で自治運動が挫折(ざせつ)したのち、ハイドのゲール同盟がアイルランドの民族運動を再興したが、その動きのなかの一つで、グリフィスArthur Griffith(1872―1922)は「ハンガリー政策」によるイギリス・アイルランドの新しい関係(オーストリア・ハンガリー二重王国のような同君連合の政体を目ざす)を樹立しようとした。具体的には、アイルランド選出議員のイギリス議会からの引揚げ、それによるアイルランド議会の開設を提案したが一般の支持はなかった。1916年のイースター蜂起(ほうき)には参加しなかったが、17年に蜂起派がシン・フェイン党の名で復活(第二シン・フェイン党)すると、自治主義者や社会主義者も含めて全民族勢力を結集し、18年の総選挙で圧倒的支持を得、19年1月、国民議会を樹立して独立戦争に入った。22年の自由国成立のとき、ほかの組織と同様に分裂したが、条約・自由国反対派は改めてシン・フェイン党を結党した(第三シン・フェイン党)。そのときデ・バレラが、条件付きだが議会に戻ることにして、フィアナ・フォイル(共和党)を結成したため、シン・フェイン党は、自由国以来の過程をいっさい否定する強硬派として、現在まで続いており、北アイルランドで反英武力闘争を続けているIRA(アイルランド共和軍)の政治部門として南北アイルランドで政党活動を続けている。シン・フェイン党とIRAの歴史的関係は複雑で、かならずしも一体として活動してきたわけではなかった。しかし70年、IRAのオフィシャル(公式派)とプロビジョナル(暫定派)の分裂がシン・フェイン党の分裂でもあったように、有機的に連携を保ってきたことは確かである。分裂後オフィシャル・シン・フェインはシン・フェイン労働者党となり現在は労働者党として北アイルランドで合法活動に専念している。一方プロビジョナル・シン・フェインは選挙には出ても議会活動を一切否定していたが、議会活動も重視するように変わってきた。83年にジェリー・アダムズが党首になってからは、社会民主労働党の党首ジョン・ヒュームと緊密な連携をとるようになり、その結果IRAの停戦を条件としてシン・フェイン党は和平プロセスに参加することになった。イギリス、アイルランド両政府はシン・フェイン党抜きには北アイルランド和平が実現できないことを認識している。
 2005年現在、イギリス議会に5議席、アイルランド議会に5議席をもつ。北アイルランド地方議員も増加しており、96年の和平会議代議員選挙では、17議席(110議席中)であったが、2003年の北アイルランド議会選挙では24議席(108議席中)獲得した。[堀越 智]
『鈴木良平著『IRA』(1991・彩流社) ▽小野修著『アイルランド紛争――民族対立の血と精神』(1991・明石書店) ▽堀越智著『北アイルランド紛争の歴史』(1996・論創社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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