百科事典マイペディア 「ジャコバン・クラブ」の意味・わかりやすい解説
ジャコバン・クラブ
→関連項目右翼|左翼|ルイ・フィリップ
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1789年,ベルサイユで三部会が開催された時,ブルターニュ出身議員で結成された政治結社。ジャコバン党ともよぶ。初めブルトン・クラブといわれたが,パリに移りジャコバン修道院(ドミニコ会)を本部としたので,ジャコバン・クラブとよばれるようになった。正式名は〈憲法の友の会〉(1792年9月以降は〈ジャコバン協会,自由と平等の友〉)。最初この結社の主たる目的は議会の重要な議事の事前討議にあったが,他の議員や民間のブルジョアの入会につれて,特に恐怖政治下には,革命政府を補佐代弁する最大の全国的な民間の革命運動組織となった。その傾向の差異により,創立から1792年ころまでの穏和な立憲君主主義者(フーイヤン・クラブ)の指導した時期,93年5月までのジロンド派と山岳派の対立した時期,94年7月のテルミドール9日までの山岳派の支配した時期,そして94年11月の閉鎖までの衰退期の,およそ4時期に分けられる。
→フランス革命
執筆者:小井 高志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス革命期の政治結社。1789年11月にパリのジャコバン修道院内に「憲法の友の会」の名で設立され,92年9月に「ジャコバン協会」と改名。91年夏までは立憲王政派,92年夏まではジロンド派,それ以降は山岳派が主導権を握り,常に議会左派を中心として,議会と民衆運動の中間的位置を占めた。地方の民主的クラブと連絡を持ったが,94年11月12日,閉鎖された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…17世紀以来,貴族や上層ブルジョアには,社交の場として〈サロン〉があったが,しだいに勢力を伸ばしてくる中小ブルジョア,とくに行動的知識人にとっては,カフェが,政治や芸術をめぐって議論をたたかわせ,新しい思想を練り上げるための絶好の場となった。パレ・ロアイヤルには,多くの評判のカフェが集まっていたが,そのひとつ〈カフェ・ド・フォア〉はジャコバン・クラブのたまり場で,1789年7月12日,ネッケル罷免の報せに,カミーユ・デムーランが机にとび乗り〈カフェを出て革命を!〉と訴えたという逸話で名高い。革命後,カフェと政治との直接的なかかわりは薄れ,ブルジョア社会に対抗する政治・社会運動の拠点は,民衆の談論の場であった居酒屋の手に移る。…
…正式名称は〈人間と市民の諸権利の友の会Société des droits de l’homme et du citoyen〉であるが,最初セーヌ左岸のコルドリエ修道院に本部をおいたため,コルドリエ・クラブと呼ばれるようになった。このクラブは,革命において,全国のクラブのうち,ジャコバン・クラブに次いで重要な役割を演じた。しかし,指導者にはダントン,マラなどの後の山岳派が多くみられ,会費も低額であったため,ジャコバン・クラブにくらべ民衆的で急進的な傾向を持っていた。…
※「ジャコバン・クラブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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