日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャワ戦争」の意味・わかりやすい解説
ジャワ戦争
じゃわせんそう
オランダの経済政策に対する不満とジョクジャカルタ侯の王位継承権問題などを契機として、1825~30年に発生したジャワ人の対オランダ抵抗戦争。オランダは、ナポレオン戦争により疲弊した本国財政を、東インド(現インドネシア)からの経済的搾取により立て直そうと図っていた。一方このころ、ジョクジャカルタの王宮(クラトン)では、かねてから王位を約束されていたディポネゴロDiponegoro(1785―1855)王子が、オランダの支持を受けた異母弟の一派により王位継承者の地位を追われ、隠遁(いんとん)生活に入っていた。これを機に、王子に同情を寄せる王宮内勢力や彼を支持するイスラム指導者、さらには現状に不満を抱く一般民衆が、王子の下に結集することになった。こうして1825年、王子と彼を補佐するイスラム指導者キヤイ・セントットに指導されたジャワ軍は、ジョクジャカルタを占領し、その後ジャワ各地でオランダ軍に対する果敢な武力抵抗を展開した。しかしジャワ軍は、近代的な軍備を整えたオランダ軍によってしだいに追い詰められ、29年10月セントットが、ついで翌30年ディポネゴロ王子が詭計(きけい)により捕らえられ、ついにジャワ軍は敗れ去った。この戦争の結果、オランダのジャワ支配は確立されたものとなり、30年からは強制栽培制度がジャワ農民のうえに課せられてゆくことになった。
なお、指導者ディポネゴロ王子は、独立後のインドネシアにおいて「民族英雄」の一人として高く評価されている。
[後藤乾一]