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強制栽培制度 きょうせいさいばいせいど Cultuurstelsel

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

強制栽培制度
きょうせいさいばいせいど
Cultuurstelsel

オランダ領東インド農産物生産および供出制度。 17世紀末頃ジャワやモルッカ諸島で農産物の強制供出を命じたのに始るが,正式には 1830年オランダ東インド総督ファン・デン・ボスが,ジャワの各村落耕地の5分の1以内の部分に,コーヒー豆,アイ,茶,サトウキビなど政府の指定する作物を栽培させ,その収穫物または加工品を一定価格で買取った制度をいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

きょうせいさいばいせいど【強制栽培制度】

オランダが1830年にジャワで始めた農業経営制度。オランダ語では単に栽培制度Cultuurstelselというが,ふつう強制栽培制度と意訳される。ただしこれは通称で,公式には政府管掌栽培という。国家財政のために政府が権力を行使して,住民に一方的に定めた低い栽培賃金で世界市場向け農産物を栽培,製品化させる,植民地の農業的収奪の制度と定義することができる。植民地でのジャワ戦争パドリ戦争,本国でのベルギーの分離独立や財政運営の失敗などによって生じた財政危機を克服するために,1830年ファン・デン・ボス東インド総督着任と同時に,純益政策の重要な柱として,王侯領を除くジャワ全州にこの制度を導入した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

強制栽培制度
きょうせいさいばいせいど
Cultuur-stelsel

ジャワ島で1830年からオランダによって始められた植民地経済政策インドネシア地域におけるオランダの植民地支配の歴史は香料供出の強制を幕開きとするが、18世紀初頭ヨーロッパにおけるコーヒー需要の増大に着目したオランダは、ジャワ島西部にそれを栽培させ、住民首長層に対し産物の供出を義務づけた。さらに18世紀なかば以降ジャワ島中・東部にも支配領域を広げた彼らは、その地の豊かな米に注目し、華僑(かきょう)などに水田地帯の村落をまるごと貸して米の生産販売を任せる「村落賃貸制」を生み出した。支配当初からの「強制供出制」と後の「村落賃貸制」の連接、つまり、ヨーロッパ人または華僑の請負人を選び、商品作物の栽培、製品化、供出の責任を負わせ、他方、村落支配者層には村落単位の用地選定から栽培その他の労働力提供の管理義務を課すという形で、ヨーロッパ市場向け作物供出を図って案出されたのが、この制度である。1830年、時の総督ファン・デン・ボスがこの制度の実施に踏み切ったのは、オランダ本国の財政危機を救い、ジャワ戦争などによる植民地における膨大な出費を償うためであったが、商品作物を実際に栽培させられた農民にとっては、労働力とともに、村落内の土地に対する父祖伝来の耕作権も恣意(しい)的な政策によって奪われることがしばしば起こった。ことに藍(あい)と甘蔗(かんしょ)(サトウキビ)の栽培は農民の米作に強い圧迫を加えた。1870年には農地法、砂糖法が出されてこの制度にもいちおうの終止符が打たれたが、植民地支配がより巧妙な段階へと展開するのは、実はこれ以後であった。[森 弘之]
『和田久徳・森弘之・鈴木恒之著『東南アジア現代史I』(1977・山川出版社)』

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世界大百科事典内の強制栽培制度の言及

【インドネシア】より

…東南アジア地域の英蘭の勢力分野はその後1824年の英蘭協約により確定され,オランダはマレー半島を放棄する一方,スマトラ全域の支配権を掌握した。オランダは30年以降ファン・デン・ボス総督のもとで〈強制栽培制度〉を施行し,ジャワの土地と農民支配を本格的に開始した。圧制の典型として後世に伝えられるこの制度のもとで,農民は小説《マックス・ハーフェラール》(ムルタトゥーリ作。…

【オランダ領東インド】より

… 領土拡張と共に新しい商業用作物が相次いで導入され,なかでも1699年にジャワに移植されたコーヒー苗はバタビア周辺やプリアンガン地方で盛んに栽培された。会社は原住民首長から収穫物を買い上げる際に,一方的に価格を決めたが,義務供出制度と呼ばれるこの方式は,のちの強制栽培制度の先駆となった。コーヒーのほかに,サトウキビ,藍,茶,綿花,のちにはゴムなどが紹介された。…

【ファン・デン・ボス】より

…在職1830‐33年。彼の名は,1830年以来採用された強制栽培制度とともに広く知れわたっている。17歳でジャワのバタビア(現,ジャカルタ)に赴き,以後職業軍人としての道を歩んだ。…

【ムルタトゥーリ】より

…若いころから詩作に従事し,ロマン主義やルソーの思想に傾倒し,正義の実現を願望した。当時ネーデルラント王国はベルギーの独立(1830)による財政困難と経済的破綻を改善するため,ジャワ島に苛酷な強制栽培制度を導入し,巨利をあげていた。ダウエス・デッケルがみた植民地の現実は苛酷な搾取と住民の悲惨な窮乏であり,現地人支配者の頂点に立つオランダの植民地官吏の不正と横暴であった。…

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