ジョビン(読み)じょびん(英語表記)Antonio Carlos Jobim

日本大百科全書(ニッポニカ)「ジョビン」の解説

ジョビン
じょびん
Antonio Carlos Jobim
(1927―1994)

ブラジルの作・編曲家、ピアニスト。作詞家のビニシウス・ジ・モライスVinicius de Moraes(1913―1980)、アロイシオ・ジ・オリベイラAloysio de Oliveira(1914―1995)、ニュートン・メンドンサNewton Mendonça(1927―1960)らと組んでボサ・ノバ名曲の数々を生み出した。作詞家別の代表曲は以下の通り。「トリステ」「飛行機のサンバ」「ウェイブ」「五月の水」「コルコバード」(以上本人が作詞)、「イパネマの娘」「おいしい水」「シェガ・ジ・サウダージ(ノー・モア・ブルース)」(以上ジ・モライス)、「ジンジ」(ジ・オリベイラ)、「デサフィナード」(メンドンサ)。

 ジョビンは、リオ・デ・ジャネイロのチジュカという街に生まれ、1歳のときに家族とともにイパネマに引っ越す。10代でピアノと出会い、ブラジルに移住してきたドイツ人ピアニスト、ハンス・ヨアヒム・ケールロイターHans-Joachim Köllreutter(1915―2005)に師事する。ケールロイターはベルリン州立音楽アカデミー出身で、ブラジルではムジカ・ビバというヨーロッパ現代音楽のコンサートを主催するグループのリーダーでもあり、アルノルト・シェーンベルクの十二音音楽などを紹介し、当時のブラジルのアバンギャルド音楽に大きな影響を与えた人物だった。ジョビンは、ハーモニーや作曲などの知識の多くを彼から与えられた。

 しかし、ジョビンの関心は、バロック音楽とブラジルのさまざまな民族音楽に影響を受けたブラジルの作曲家エイトル・ビラ・ロボスの作品に向かっていた。その後、一時、ジョビンは職業として建築関係に進むが、すぐに音楽家に戻る。1950年ごろからナイトクラブでの演奏を開始、1952年からはコンチネンタル・レコードで、楽譜が書けない作曲家の採譜の仕事を得る。1953年にはオデオン・レコードで芸術監督の職につく。このころよりメンドンサとともに曲を作りはじめた。1954年にはアレンジャーとして、フランク・シナトラにボーカル・スタイルが似た男性歌手ディック・ファーニーDick Farney(1921―1987)、サンバ、サンバ・カンソン(カンソンは歌の意味で、情感があふれるサンバ)の大物女性歌手エリゼッチ・カルドーゾ、作曲家ビリー・ブランコBilly Blanco(1924―2011)、ギタリストのルイス・ボンファLuis Bonfa(1922―2001)らと仕事をする。1956年にはジ・モライスに出会い、それまでのほかのミュージシャンとの交流や模索の結果としてボサ・ノバへの歩みが一気に加速していく。1958年からはジョアン・ジルベルトとの録音を開始、1962年以降アメリカ合衆国で演奏するなど活動の場を広げ、ボサ・ノバを世界に広めた。

 ジョビンは若いころより十二音音楽とショーロやサンバなどのブラジルのリズム、ドビュッシーやラベルなどの近代的西洋音楽とアフリカ系リズムのあいだで揺れてきた。体制的なものや通常のハーモニーに抗するように音楽を思考してきたとも述べている。またサンバ・カンソンの再活性化を目ざし、ビラ・ロボスだけではなく、より大衆的なドンガDonga(1889―1974)、アリ・バローゾAry Barroso(1903―1963)といった先行するブラジルの作曲家たちへの憧憬の念をもち続けてもいた。こうしたさまざまな音楽をかたちにすることができたのは奇跡であり、ジョビンがいなければ、20世紀後半以降の世界に響く音は大きく異なっていたかもしれない。

[東 琢磨]

『エレーナ・ジョビン著『アントニオ・カルロス・ジョビン――ボサノヴァを創った男』(1998・青土社)』『「特集:ボサノヴァ」(『ユリイカ』1998年6月号・青土社)』『クリス・マッガワン、ヒカルド・ペサーニャ著、武者小路実昭・雨海弘美訳、『ブラジリアン・サウンド――サンバ、ボサノヴァ、MPB ブラジル音楽のすべて』(2000・シンコー・ミュージック)』『ルイ・カストロ著、国安真奈訳『ボサノヴァの歴史』(2001・音楽之友社)』

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百科事典マイペディア「ジョビン」の解説

ジョビン

ブラジルの作曲家,ピアノ奏者。リオ・デ・ジャネイロ生れ。詩人ビニシウス・モラエスと出会い音楽劇《聖母懐胎祭》をつくり,それをもとにブラジルで撮られたフランス映画《黒いオルフェ》(1957年)の音楽で世界に認められた。ギター奏者のジョアンジルベルトとともにボサノバの創始者とされ,1958年作曲の《想いあふれて》はその最初の曲として知られる。さらに《イパネマの娘》《ワン・ノート・サンバ》などボサノバを代表する曲を作った。その後もアメリカのジャズ・ミュージシャンと交流するなど,ボサノバの枠を超えた活動をし,深い抒情をたたえた美しいメロディとシンフォニックなアレンジを特徴とする数々の名曲を残した。エコロジーをテーマにした曲も多い。

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デジタル大辞泉「ジョビン」の解説

ジョビン(Antonio Carlos Jobim)

[1927〜1994]ブラジルの作曲家・ピアニスト。映画「黒いオルフェ」の音楽を手がけて注目される。ジョアン=ジルベルトらとともにボサノバを創始。代表曲「イパネマの娘」はボサノバの名曲として知られる。他の作品に「コルコバード」「」など。

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世界大百科事典 第2版「ジョビン」の解説

ジョビン【Antonio Carlos Jobim】

1927‐94
ブラジルの作曲家,ピアニスト。1954年ころから作曲家として徐々に頭角を現し,57年,ブラジルで撮影したフランス映画《黒いオルフェ》の音楽を担当。58年あたりから作った新感覚のサンバ歌曲が,のちにボサノバと名づけられる潮流の始まりだった。62年に作曲した《イパネマの娘》が世界的にヒットしジョビンの名とボサノバを有名にした。【中村 とうよう】

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世界大百科事典内のジョビンの言及

【ボサノバ】より

…1958年ころにブラジルで生まれたサンバの新しい形態。作曲家でピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビンAntônio Carlos Jobim(1927‐94),歌手でギタリストのジョアン・ジルベルトJoão Gilberto(1931‐ )らが生みの親で,それまでの野性と熱狂を特徴とするサンバとは対照的に,ウェスト・コースト・ジャズの影響をうけた知的で落ち着いた感覚と新しいハーモニーをもっていた。初期の代表的な曲目は《ジザフィナードDesafinado》《ワン・ノート・サンバSamba de Uma Nota Só》(ともにジョビン作)などだったが,1963年に《イパネーマの娘Garôta de Ipanema》(同じくジョビン作)がアメリカでヒットして以来,ボサノバは商業化され,ソフトタッチのムード・ジャズといった受け止められ方で世界に広まっていった。…

【ボサノバ】より

…1958年ころにブラジルで生まれたサンバの新しい形態。作曲家でピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビンAntônio Carlos Jobim(1927‐94),歌手でギタリストのジョアン・ジルベルトJoão Gilberto(1931‐ )らが生みの親で,それまでの野性と熱狂を特徴とするサンバとは対照的に,ウェスト・コースト・ジャズの影響をうけた知的で落ち着いた感覚と新しいハーモニーをもっていた。初期の代表的な曲目は《ジザフィナードDesafinado》《ワン・ノート・サンバSamba de Uma Nota Só》(ともにジョビン作)などだったが,1963年に《イパネーマの娘Garôta de Ipanema》(同じくジョビン作)がアメリカでヒットして以来,ボサノバは商業化され,ソフトタッチのムード・ジャズといった受け止められ方で世界に広まっていった。…

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