ポルトガルの文学者,日本文化研究家。リスボンに生まれ,海軍士官となり,モザンビークで勲功をたてたほか,博物採集なども行った。1888年マカオに来,《極東遊記》を書き始めた。89年はじめて日本を訪ね,97年《大日本》をリスボンで刊行した。99年神戸のポルトガル領事となり,翌年芸者福本ヨネを落籍,同棲をはじめ,日本通信を次々とポルトガルで発表した。1910年本国で革命が起こりポルトガル王国が共和国となると官を辞し,12年おヨネが死んだこともあって,翌年には徳島で斎藤コハルとの生活をはじめた。《徳島の盆踊》《おヨネとコハル》はその間の作品である。16年コハルも亡くなり,29年75歳のとき徳島で死亡した。邦訳は花野富蔵の手になるものが多い。小説化された伝記に佃実夫《わがモラエス伝》がある。
執筆者:平川 祐弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ポルトガルの海軍士官、日本文化研究家。海軍兵学校を卒業して海外植民地に勤務。1889年(明治22)初めて来日、以後しばしば日本を訪れた。98年マカオ港務副司令(海軍中佐)を最後に退役し、日本に移住。神戸、大阪領事となり、徳島生まれの芸者福本ヨネと結婚。ヨネの死後1912年徳島に移住、その姪(めい)斎藤コハルをめとったが、3年ほどでコハルも病没し、同地で孤独な晩年を送った。日本の庶民文化を熱愛し、これを研究紹介する多くの作品を故国の新聞・雑誌に書き送った。それらは掲載され、また書籍として出版された。主著に『大日本』(1897)、『日本通信』(1902~13)、『徳島の盆踊』(1911)、『お米(よね)と小春』(1923)、『日本精神瞥見(べっけん)』(1925)などがある。モラエスの生涯を描いた日葡(にっぽ)合作の映画『恋の浮島』(1982、パウロ・ローシャ監督)がある。
[濱口乃二雄]
『花野富蔵訳『定本モラエス全集』全五巻(1969・集英社)』▽『佃実夫著『わがモラエス伝』(1966・河出書房新社)』
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